アッパー・オソリー伯爵

アッパー・オソリー伯爵(アッパー・オソリーはくしゃく、: Earl of Upper Ossory)は、アイルランド貴族の爵位。1751年に創設され、1818年に廃絶した。

歴史

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アイルランド王国出身の海軍軍人リチャード・フィッツパトリック(c.1662–1727)は1696年に国王ウィリアム3世よりアイルランドでの大領地を与えられたのち、1715年4月27日にアイルランド貴族であるキルケニー県ゴーランにおけるゴーラン男爵に叙された[1]

その息子である2代男爵ジョン・フィッツパトリック(1719–1758)は1744年に母からノーサンプトンシャーでの領地を相続したのち、1751年10月5日にアイルランド貴族であるクイーンズ・カウンティにおけるアッパー・オソリー伯爵Earl of Upper Ossory in the Queen's County)に叙された[2]。初代伯爵もその息子である2代伯爵ジョン・フィッツパトリック(1745–1818)ホイッグ党所属のグレートブリテン庶民院議員であり、2代伯爵は1794年8月9日にグレートブリテン貴族であるベッドフォード州アムティルのアッパー・オソリー男爵に叙された[2]。しかし2代伯爵に嫡出の男子がおらず、その死をもって爵位がすべて廃絶した[3]

アッパー・オソリー伯爵家の遺産は2代伯爵の庶出の娘ガートルード(1774–1841)とアン(1774–1841)(2人ともに生涯未婚)が一代限りで相続した後、2代伯爵の庶子ジョン・ウィルソン・フィッツパトリック(1811–1883)が相続した[3]。ジョンは1869年に連合王国貴族であるカースルタウン男爵英語版に叙された[3]

ゴーラン男爵(1715年)

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アッパー・オソリー伯爵(1751年)

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出典

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参考文献

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  • Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Warrand, Duncan; Howard de Walden, Thomas, eds. (1926). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Gordon to Hustpierpoint) (英語). Vol. 6 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 39–40.
  • Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1959). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Tracton to Zouche) (英語). Vol. 12.2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 193–195.

関連項目

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