アディオス・ノニーノ』(Adiós Nonino)は、アルゼンチンの作曲家、バンドネオン奏者アストル・ピアソラ(1921年 - 1992年)の初期の作品である。

作曲の経緯 編集

1958年、ピアソラはそれまでの活動にマンネリを感じ、ブエノスアイレスを出てニューヨークに移住した。しかし、約束された仕事はなく、活動はまったく期待外れだった。経済的に困窮したピアソラは、食べるためにナイトクラブでタンゴダンスショーの伴奏をしていた。

1959年10月、ファン・カルロス・コーペス舞踏団とともにプエルトリコ巡業中、父親ビセンテ(愛称ノニーノ)が故郷で亡くなった知らせを受けた。しかし、ピアソラにはアルゼンチンに帰る旅費がなかった。ニューヨークに戻り、失意のなかで亡き父に捧げて作曲したのが「アディオス・ノニーノ」である。

演奏・編曲 編集

「アディオス・ノニーノ」には、さまざまな編曲による演奏が残されている。初録音は、キンテート(五重奏団)によるスタジオ録音(1961年)で、かなりオーソドックスな演奏である。その後1969年に、ピアノのカデンツァをフィーチャーしたキンテート用の編曲が発表された。他にも、さまざまな編成のための編曲がみられる。1980年代のものは、1969年の編曲をもとに、カデンツァ部分をシーグレル(ピアノ)用に書き直したものと言われている。

ステージでの即興演奏を好んだアストル・ピアソラは、アルゼンチン・タンゴの演奏家としては珍しくライヴ・レコーディングや映像を多く残している。

  • 「ライヴ・イン・トーキョー」(1982年録音)
    • 「アディオス・ノニーノ」「ブエノスアイレスの冬」「ラ・クンパルシータ」(歌:藤沢嵐子)などを含む16曲。
  • 「ライヴ・イン・ウィーン」(1983年録音)
    • 「アディオス・ノニーノ」「ブエノスアイレスの夏」「リベルタンゴ」などを含む8曲。

外部リンク 編集