アトランタ・スラッシャーズ
アトランタ・スラッシャーズ(Atlanta Thrashers)は、かつてアメリカ合衆国に存在した男子プロアイスホッケーチーム。本拠地はアメリカ合衆国ジョージア州アトランタ。ナショナルホッケーリーグ(NHL)に加盟していた。
アトランタ・スラッシャーズ Atlanta Thrashers | |
カンファレンス | イースタン・カンファレンス |
ディビジョン | サウスイースト |
創設年 | 1999年 |
歴代チーム名 | アトランタ・スラッシャーズ (1999年-2010年) ウィニペグ・ジェッツ (2011年- ) |
ホームアリーナ | フィリップス・アリーナ |
ホームタウン | アメリカ合衆国 ジョージア州アトランタ |
チームカラー | ライトブルー、紺、赤、金、白 |
メディア | {{{メディア}}} |
オーナー | |
GM | |
ヘッドコーチ | |
キャプテン | |
獲得タイトル(獲得年) | |
スタンレーカップ優勝 | |
なし | |
アブコワールド | |
カンファレンス優勝 | |
なし | |
ディビジョン優勝 | |
1回(2006-07) | |
プレジデンツトロフィー | |
なし |
チーム名とロゴはジョージア州の州鳥チャイロツグミモドキ(brown thrasher)に由来する。
2011年5月、アトランタ・スラッシャーズはカナダの企業に所有権が譲渡され、マニトバ州ウィニペグに本拠地を移動しチーム名をウィニペグ・ジェッツに改名することが正式に発表された。
歴史
編集アトランタ・スラッシャーズは1997年にアトランタ・フレームスの代替チーム(フレームスは1980年にカルガリーに移転しカルガリー・フレームスとなった)として、NHLのフランチャイズ権を獲得した。新生スラッシャーズは、1999年のドラフトにおいて第1巡目の1位指名でパトリック・ステファン (Patrik Stefan) を得る。設立後初試合は、1999年10月2日 対ニュージャージー・デビルス戦で1対4で敗北に終わった。
2003年9月オーナーのタイム・ワーナー社は、同じアリーナを使用するNBAのアトランタ・ホークスとともに、チームを幹部グループへと売却した。同月には、スターFWであったダニー・ヒートリー (Dany Heatley) が愛車フェラーリを運転中の自損事故により重傷を負い、同乗のセンター、ダン・スナイダー (Dan Snyder) は帰らぬ人となった。スラッシャーズは2003-2004シーズン中、スナイダーの追悼に身をささげ、彼の纏った37番の入った黒い喪章を付けて試合に臨んだ。
また、ヒートリーは2004年から2005年のNHLロックアウトの後、オタワ・セネターズにトレードされた。この見返りとしてチームが獲得したのが2006-2007年に100ポイントを上げ、プレーオフ進出に貢献したマリアン・ホッサ(Marian Hossa)と、堅実な守備が売りのグレッグ・デ・ヴリース(Greg de Vrie)である。
2007年度に念願のプレーオフ初進出を果たしたが、第1ラウンドで、ニューヨーク・レンジャースに4連敗のスウィープを食らった。その後は、ザック・ボゴシャン(Zach Bogosian)やエヴァンダー・ケーン(Evander Kane)などの有望株もいたものの、プレーオフ進出を果たすことはできなかった。
そして、2011年5月にカナダの企業「トゥルー・ノース(True North Sports and Entertainment)社」に所有権が譲渡された。マニトバ州ウィニペグに本拠地を移動し、チーム名をウィニペグ・ジェッツに改名することが発表され、同年6月にNHLから正式に承認された[1]。
シーズン別の成績
編集年 | 試合 | 勝 | 負 | 分 | OL | GF | GA | PTS | 最終順位 | プレイオフ |
1999-00 | 82 | 14 | 57 | 7 | 4 | 170 | 313 | 39 | 南東5位 | 進出せず |
2000-01 | 82 | 23 | 45 | 12 | 2 | 211 | 289 | 60 | 南東4位 | 進出せず |
2001-02 | 82 | 19 | 47 | 11 | 5 | 187 | 288 | 54 | 南東5位 | 進出せず |
2002-03 | 82 | 31 | 39 | 7 | 5 | 226 | 284 | 74 | 南東3位 | 進出せず |
2003-04 | 82 | 33 | 37 | 8 | 4 | 214 | 243 | 78 | 南東2位 | 進出せず |
2005-06 | 82 | 41 | 33 | 3 | 5 | 281 | 275 | 90 | 南東3位 | 進出せず |
2006-07 | 82 | 43 | 28 | 7 | 4 | 246 | 245 | 97 | 南東1位 | 第1ラウンド敗退 |
2007-08 | 82 | 34 | 40 | 2 | 6 | 216 | 272 | 76 | 南東4位 | 進出せず |
2008-09 | 82 | 35 | 41 | - | 6 | 257 | 280 | 76 | 南東4位 | 進出せず |
2009-10 | 82 | 35 | 34 | - | 13 | 234 | 256 | 83 | 南東2位 | 進出せず |
2010-11 | 82 | 34 | 36 | - | 12 | 223 | 269 | 80 | 南東4位 | 進出せず |