アバフェルディ蒸溜所

スコットランドのハイランドにあるスコッチ・ウイスキーの蒸留所

アバフェルディ蒸溜所(アバフェルディじょうりゅうじょ、英語: Aberfeldy Distillery)は、スコットランドハイランドにあるスコッチ・ウイスキーの蒸留所である。ブレンデッド・ウイスキーの銘柄であるデュワーズキーモルトとして知られている。

アバフェルディ蒸溜所
Aberfeldy distillery
地図
地域:ハイランド
所在地 アバフェルディ英語版パース・アンド・キンロス[1]
座標 北緯56度37分28.200秒 西経3度50分59.316秒 / 北緯56.62450000度 西経3.84981000度 / 56.62450000; -3.84981000座標: 北緯56度37分28.200秒 西経3度50分59.316秒 / 北緯56.62450000度 西経3.84981000度 / 56.62450000; -3.84981000
所有者 バカルディ[1]
創設 1896年[1]
創設者 ジョン・デュワー&サンズ社[1]
現況 稼働中
水源 ピティリー川[1]
蒸留器数
生産量 年間340万リットル[注釈 1][1]

歴史

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アバフェルディ蒸溜所は1896年にジョン・デュワー&サンズ社によって創業された[3]。アバフェルディはゲール語で「パルドックの河口」を意味し、キリスト教伝道者の名に由来する[4]。場所はパース・アンド・キンロステイ川流域地域であるアバフェルディ英語版村である[5]。当時同社の拠点が置かれていたパースとの間に鉄道路線があったことや[6]、付近にピティリー川があるため良質の仕込み水を得られること[注釈 2]が蒸留所建設の決め手になった[3]。また、ジョン・デュワーの父の出身がこの付近であったという[6]。創業の背景には、1895年頃はスコットランドでのウイスキー投資が盛んに行われていた時期であり、多くのブレンダーが原酒確保のために蒸留所の建設を推し進めていたことがある[8]。ジョン・デュワーもその例に漏れずブレンデッド・ウイスキーであるデュワーズの原酒を確保するためにアバフェルディの建設を進め[9]、設立から2年後の1898年にウイスキーづくりを開始した[3]

1925年にディスティラーズ・カンパニー英語版の傘下になり、1930年にはスコティッシュ・モルト・ディスティラーズ社へ移管された[10]フロアモルティングはスコティッシュ・モルト・ディスティラーズ社時代の1960年代末から1970年代初頭に廃止されており[11]、1972 – 1973年にかけて蒸留器の増設や建物の建て替えなどの大規模な設備更新が行われた[10][12]。1998年にバカルディに売却された[10]。この際、デュワーズのブランドとアバフェルディだけでなく、オルトモア蒸溜所クライゲラキ蒸溜所ロイヤルブラックラ蒸溜所も合わせて売却されている[13]

製造

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年間生産能力は340万リットルである[1][注釈 1]

フロアモルティングはスコティッシュ・モルト・ディスティラーズ社時代の1972年に廃止された[11][14]。仕込みに使う麦芽は1回あたり7.5トンである[3]。仕込み水には蒸留所近隣のピティリー川の水を利用している[3]。金属成分豊富な火成岩から湧き出た硬水である[14]。廃水は化学処理を施してテイ川に放流している[15]

ウォッシュバック(発酵槽)はカラマツ製が8基、ステンレス製が3基の合計11基である[3]。アバフェルディ特有の蜂蜜のような風味は長時間の発酵によるものであるという[16]ポットスチルは大型のストレートヘッド型で、初留器が2基、再留器が2基の合計4基である[3]

製品

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デュワーズキーモルトとして知られている[1]

使用されているブレンデッドウイスキー

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見学

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観光客の受け入れに積極的であり、1998年にアバフェルディを買収したバカルディ社は200万ポンドを投じてビジターセンターを整備し、「デュワーズ・ワールド・オブ・ウイスキー」という博物館を設立した[5]。デュワーズはアメリカ市場で人気が高いことからアメリカ人観光客が多く、2021年時点では年間4万人が訪れる[1]

評価

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評論家の土屋守はアバフェルディの風味を「まろやかで飲みやすく、ナッツフルーツのような風味を持った、ハンサムな食後酒。ソフトでマイルドな南ハイランドモルトの典型」と評している[4]。評論家のマイケル・ジャクソンは「しっかりとして、オイリーで、すっきりとフルーティ。勢いがある」と評している[18]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 100%アルコール換算[2]
  2. ^ ピティリー川は良水で知られ、アバフェルディ設立以前にもピティリー蒸留所(1825年 – 1867年[7])がピティリー川の水を使ってウイスキーを製造していた[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 土屋 2021, p. 15.
  2. ^ 土屋 2021, p. 10.
  3. ^ a b c d e f g h 土屋 2021, p. 14.
  4. ^ a b 土屋 2002, p. 10.
  5. ^ a b 土屋 2021, pp. 14–15.
  6. ^ a b マクリーン 2017, p. 20.
  7. ^ ヒューム & モス 2004, p. 56.
  8. ^ ヒューム & モス 2004, p. 186.
  9. ^ ヒューム & モス 2004, pp. 186–188.
  10. ^ a b c ヒューム & モス 2004, p. 29.
  11. ^ a b ヒューム & モス 2004, p. 26.
  12. ^ ヒューム & モス 2004, p. 262.
  13. ^ ヒューム & モス 2004, p. 295.
  14. ^ a b ジャクソン 2021, p. 73.
  15. ^ 平澤 1990, p. 11.
  16. ^ ブルーム 2018, p. 109.
  17. ^ 土屋 2002, p. 11.
  18. ^ ジャクソン 2000, p. 31.

参考文献

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  • 土屋守『完全版 シングルモルトスコッチ大全』小学館、2021年。ISBN 978-4093888141 
  • マイケル・ジャクソン 著、山岡秀雄,土屋希和子 訳『モルトウイスキー・コンパニオン 改訂第7版』パイ・インターナショナル、2021年。ISBN 4-756-25390-3 
  • デイヴ・ブルーム 著、村松静枝 訳『世界のウイスキー図鑑』ガイアブックス、2018年。ISBN 978-4-88282-989-8 
  • チャールズ・マクリーン; デイヴ・ブルーム,トム・ブルース・ガーダイン,イアン・バクストン,ピーター・マルライアン,ハンス・オフリンガ,ギャヴィン・D・スミス 著、清宮真理,平林祥 訳『改訂 世界ウイスキー大図鑑』柴田書店、2017年。ISBN 978-4388353507 
  • ジョン・R・ヒューム; マイケル・S・モス 著、坂本恭輝 訳『スコッチウイスキーの歴史』国書刊行会、2004年。ISBN 4-336-04517-8 
  • 土屋守『改訂版 モルトウィスキー大全』小学館、2002年。ISBN 4-09-387364-X 
  • マイケル・ジャクソン 著、土屋希和子 訳『モルトウイスキー・コンパニオン 改訂第4版』小学館、2000年。ISBN 4-09-387317-8 
  • 平澤正夫『スコッチ・シングルモルト全書』たる出版、1990年。ISBN 4924713236 

関連項目

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外部リンク

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