アマーリア・フォン・クールラント

マリア・アンナ・アマーリア・フォン・クールラントMaria Anna Amalia von Kurland, 1653年6月12日 - 1711年6月16日)は、リヴォニアクールラント公爵家の公女で、ヘッセン=カッセル方伯カールの妻。

アマーリア・フォン・クールラント
Amalia von Kurland
Maria Amalia, 1653-1711 (Johan N Cramer) - Nationalmuseum - 14692.tif

出生 (1653-06-12) 1653年6月12日
Flag of courland.svg クールラント・ゼムガレン公国ミタウ
死去 (1711-06-16) 1711年6月16日(58歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=カッセル方伯領ヴァイルミュンスター
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=カッセル方伯領カッセル、ザンクト・マルティン教会
配偶者 ヘッセン=カッセル方伯カール
子女 一覧参照
家名 ケトラー家
父親 クールラント公ヤーコプ・ケトラー
母親 ルイーゼ・シャルロッテ・フォン・ブランデンブルク
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生涯編集

クールラント公ヤーコプ・ケトラーとその妻でブランデンブルク選帝侯ゲオルク・ヴィルヘルムの娘であるルイーゼ・シャルロッテの間に生まれた。最初、母親同士が姉妹の従兄にあたるヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム7世と婚約したが、ヴィルヘルムがグランド・ツアーの最中に19歳で急死したため、その弟で方伯家を継いだカールと結婚した。2人の結婚式は1673年5月21日にカッセルで執り行われた。

1699年、息子のマクシミリアンと共同でゼンゼンシュタイン城(Burg Sensenstein)を与えられた。死後はカッセルのザンクト・マルティン教会(Martinskirche)に葬られた。

子女編集

参考文献編集

  • Christian Röth: Geschichte von Hessen S. 305
  • Ulrich Schoenborn: Mit Herz und Verstand: Biographie und Lebenswelt der Töchter Herzog Jakobs von Kurland in Hessen-Homburg, Herford und Hessen-Kassel. Kovač, Hamburg 2010, ISBN 978-3-8300-4667-7 (nicht ausgewertet).