アメンエムハト4世(Amenemhat IV)は、紀元前1815年頃から紀元前1806年頃までエジプトを治めたファラオである。

アメンエムハト4世
Amenemhat IV
アメンエムハト4世の名前が彫られた片麻岩製の小さなスフィンクス。大英博物館所蔵。
アメンエムハト4世の名前が彫られた片麻岩製の小さなスフィンクス大英博物館所蔵。
古代エジプト ファラオ
統治期間 紀元前1815年頃 - 紀元前1806年頃,エジプト第12王朝
前王 アメンエムハト3世
次王 セベクネフェル
子息 セベクヘテプ1世?
セネブエフ?
アメンエムハト3世?
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概要 編集

アメンエムハト3世の時代には共同摂取を務め[1]考古最高評議会議長ザヒ・ハワスの言うところの[2]エジプト中王国時代に建てられ、現存する唯一の完全な神殿であるメディネット・マアディの神殿を完成させた[3]。2006年始めに行われた考古学調査で、神殿の基礎部分が掘り返されている。アメンエムハト4世は、ファイユーム北東の Qasr el-Sagha にある神殿も建てたと考えられている。

トリノ王名表では、アメンエムハト4世の治世は9年3ヶ月と4日続いたと記録されている[4]ヌビアの rock graffito によると、その最初の1年は、アメンエムハト3世の摂取としてであったという。彼の短い治世期間中は、大きな出来事もなく、比較的平和であった。中王国が徐々に崩壊し始めたのは、彼の死後だと考えられている。

アメンエムハト4世は、男子の跡継を残さずに死んだが、次の王朝の最初の2人の王、セベクヘテプ1世セネブエフは彼の息子だった可能性がある[5]。彼の跡は、約1500年ぶりの女性のエジプト支配者となった半妹(おばの可能性もある)のセベクネフェルが継いだ。セベクネフェルと結婚していた可能性もあるが、それを支持する証拠は見つかっていない。

出典 編集

  1. ^ Kim S. B. Ryholt, The Political Situation in Egypt during the Second Intermediate Period, C. 1800-1550 B.C., Museum Tusculanum Press 1997, p.212
  2. ^ Middle East Times: Egypt finds clue to ancient temple's secret
  3. ^ Dieter Arnold, The Encyclopaedia of Ancient Egyptian Architecture, B.Tauris 2002, p.145
  4. ^ Ryholt, p.15
  5. ^ Aidan Dodson & Dyan Hilton, The Complete Royal Families of Ancient Egypt, Thames & Hudson (2004) ISBN 0-500-05128-3, p.102

関連文献 編集

  • W. Grajetzki, The Middle Kingdom of Ancient Egypt: History,Archaeology and Society, Duckworth, London 2006 ISBN 0-7156-3435-6, 61
  • Shaw, Ian. Nicholson, Paul: The Dictionary of Ancient Egypt. Harry N. Abrams, Inc., Publishers. 1995.

関連項目 編集

外部リンク 編集

先代
アメンエムハト3世
古代エジプト王
紀元前1815年頃 - 紀元前1806年頃
次代
セベクネフェル