アラスカ航空60便オーバーラン事故

アラスカ航空による航空事故

アラスカ航空60便オーバーラン事故は、1976年4月5日アラスカ州で発生した航空事故である。ジュノー国際空港からシアトル・タコマ国際空港へ向かってアラスカ航空60便(ボーイング727-81)が経由地のケチカン国際空港英語版への着陸時に滑走路をオーバーランした。乗員乗客57人中1人が死亡した[2][3][4]

アラスカ航空 60便
Alaska Airlines Boeing 727-100 Silagi-2.jpg
同型機のボーイング727-100
出来事の概要
日付 1976年4月5日
概要 パイロットエラーによる滑走路のオーバーラン
現場 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アラスカ州 ケチカン国際空港英語版
北緯55度21分15秒 西経131度42分40秒 / 北緯55.35417度 西経131.71111度 / 55.35417; -131.71111座標: 北緯55度21分15秒 西経131度42分40秒 / 北緯55.35417度 西経131.71111度 / 55.35417; -131.71111
乗客数 50
乗員数 7
負傷者数 49
死者数 1
生存者数 56
機種 ボーイング727-81
運用者 アメリカ合衆国の旗 アラスカ航空
機体記号 N124AS[1]
出発地 アメリカ合衆国の旗 ジュノー国際空港
経由地 アメリカ合衆国の旗 ケチカン国際空港英語版
目的地 アメリカ合衆国の旗 シアトル・タコマ国際空港
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飛行の詳細編集

事故機編集

事故機のボーイング727-81(N124AS)は1965年に製造され、同年3月に全日本空輸に納入された。1972年6月22日からアラスカ航空の機材となっており、総飛行時間は25,360時間だった[2][5][6]

乗員編集

コックピットには機長と副操縦士、セカンド・オフィサーが乗務していた[7]

機長は55歳の男性で、1960年1月23日に入社した。総飛行時間は19,813時間で、727では2,140時間の経験があった。また、ケチカン国際空港への飛行経験は50回を越えていた。機長はボーイング727のほか、ダグラス DC-3コンベア240コンベア340コンベア440ロッキード L-382での飛行資格があった[5][7][8]。事故により機長は肋骨を骨折するなど重傷を負った[9]

副操縦士は42歳の男性で、1966年4月26日に入社した。総飛行時間は3,193時間で、727では1,980時間の経験があった[5][7][8]。副操縦士は事故により頭蓋骨や肋骨、脊髄を骨折するなど重傷を負った[9]

セカンド・オフィサーは43歳の男性で、1966年12月5日に入社した。総飛行時間は3,454時間で、727では2,641時間の経験があった[8]。セカンド・オフィサーは事故により脊椎を骨折するなど重傷を負った[9]

事故の経緯編集

PST7時38分、60便はジュノー国際空港を離陸した。60便はジュノー国際空港からケチカン国際空港英語版を経由してシアトル・タコマ国際空港へ向かう定期旅客便だった。8時05分、管制官は60便にケチカン国際空港への進入を許可した。8時11分、パイロットは10,000フィート (3,000 m)を降下中と報告し、滑走路11へのILS進入を開始した[2][5][10]。事故当時、空港付近では雪が降っており、霧も出ていた[3]

 
60便の飛行経路

4,000フィート (1,200 m)付近で地表を視認したため、機長は視認進入で着陸することに決めた。60便は145ノット (269 km/h)で滑走路11に着陸した[注釈 1]。 着陸後、機長はブレーキの効きが悪いと感じ、着陸復航を試みた。スポイラーは格納され、フラップは25度に設定された。しかし、逆推力装置は格納できなかった。そのため、機長は再びスポイラーを展開し、機体を停止させようとした。60便はオーバーランし、滑走路端から700フィート (210 m)地点の渓谷で停止した[2][5][11][12]

事故によりオレゴン州在住の85歳の女性が死亡したほか、乗員5人と乗客27人が重傷を負い、17人が軽傷を負った。コックピットクルー3人は全員重傷を負い、シアトルへ緊急搬送された[9][13]

事故調査編集

国家運輸安全委員会が事故調査を行った。目撃者たちは60便の着陸は通常よりも早い速度だったと証言した。ケチカン国際空港の滑走路11へ着陸する際の推奨速度はフラップ40度では117ノット (217 km/h)、フラップ30度では121ノット (224 km/h)であった。着陸時にフラップが何度に設定されていたかは判明しなかったが、どちらの場合にしても60便は推奨速度よりも速い速度で着陸したことが判明した[14]

事故原因編集

NTSBは最終報告書で機長のミスを指摘した。最終進入が不安定だったため、機体は滑走路に高速で着陸した。加えて、着陸復航を決断したタイミングも不適切であった。また、NTSBは事故の要因として機長がILS進入から視認進入に切り替えたことを挙げた[2][5][15]。その他、機長が低血糖状態だったことも事故に寄与したとされた[9][13]

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 機長は滑走路端から1,500フィート (460 m)地点に接地したと証言している。

出典編集

  1. ^ "FAA Registry (N124AS)". Federal Aviation Administration.
  2. ^ a b c d e Accident description Alaska Airlines Flight 60”. Aviation Safety Network. 2020年4月17日閲覧。
  3. ^ a b Alaska Airlines Accident history”. アラスカ航空. 2020年4月17日閲覧。
  4. ^ Alaska Airlines' accident history”. CNN. 2020年9月20日閲覧。
  5. ^ a b c d e f CRASH OF A BOEING 727-81 IN KETCHIKAN: 1 KILLED”. 2020年4月17日閲覧。
  6. ^ NTSB 1976, pp. 5.
  7. ^ a b c NTSB 1976, pp. 4.
  8. ^ a b c NTSB 1976, pp. 34.
  9. ^ a b c d e Airport Jet Crash was 35 years ago One died when Alaska Airlines 727 careened off Ketchikan runway”. 2020年4月17日閲覧。
  10. ^ NTSB 1976, pp. 2.
  11. ^ NTSB 1976, pp. 2–4.
  12. ^ Alaska Airlines Flight 60, Boeing 727-81, N124AS, Ketchikan International Airport”. 連邦航空局. 2020年10月27日閲覧。
  13. ^ a b Remembering the jetliner incident of 1976”. 2020年4月17日閲覧。
  14. ^ NTSB 1976, pp. 3–4.
  15. ^ NTSB 1976, pp. 28–29.

参考文献編集