アリス (ヘッセン大公妃)
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アリス・モード・メアリー(英語: Alice Maud Mary, 1843年4月25日 - 1878年12月14日)は、イギリスのヴィクトリア女王とアルバート公の次女。ヘッセン大公ルートヴィヒ4世妃。
アリス Alice | |
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ヘッセン大公妃 | |
![]() 1871年 | |
在位 | 1877年6月13日 - 1878年12月14日 |
全名 |
一覧参照
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出生 |
1843年4月25日![]() ![]() |
死去 |
1878年12月14日(35歳没)![]() ![]() |
埋葬 |
1878年12月18日![]() ![]() |
結婚 | 1862年7月1日 |
配偶者 | ルートヴィヒ4世 |
子女 | |
家名 | サクス=コバーグ=ゴータ家 |
父親 | アルバート・オブ・サクス=コバーグ=ゴータ |
母親 | ヴィクトリア女王 |
生涯編集
フローレンス・ナイチンゲールの弟子の一人で、ヘッセンの福祉、医療改革などに貢献した。宗教にも造詣が深かった。1850年11月にウィンザー城で家族と共に出会った、同い年のアフリカ人の少女サラ・フォーブス・ボネッタとは度々文通をする仲となり、生涯を通じての親友となった。
1860年6月にヘッセン大公国のルートヴィヒ大公子と婚約、1862年7月1日に結婚した。ルートヴィヒは1877年に大公となった。1878年にジフテリアが蔓延した際、アリスは子供たちの看病をしていたが、自身も感染し、父の命日にわずか35歳で死去した。
夫との間に7人の子供をもうけたが、母から遺伝した血友病遺伝子を持っており、次男はそれが原因で早世した。長女ヴィクトリア・アルベルタ(ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人、1863年 - 1950年)はスウェーデン国王グスタフ6世アドルフ妃ルイーズおよびルイス・マウントバッテンの母であり、エリザベス2世の夫エディンバラ公フィリップの祖母に当たる。長男エルンスト・ルートヴィヒ(1868年 - 1937年)はヘッセン大公になり、次女エリーザベトはロシアの皇族セルゲイ大公妃エリザヴェータ・フョードロヴナ(1864年 - 1918年)に、四女アリックス(1872年 - 1918年)はロシア皇帝ニコライ2世の皇后アレクサンドラとなった。
アリスが嫁ぐ際、ヴィクトリア女王からダイアモンドをちりばめたティアラが贈られた。このティアラはアリスの死後、長男エルンスト・ルートヴィヒの妃エレオノーレに受け継がれた。1937年に起こったオーステンデでの飛行機墜落事故の際、乗客だったエレオノーレらヘッセン大公家の家族は事故死したが、鉄製の専用ボックスに入れられていたティアラは、奇跡的に無傷で見つかった。現在このティアラは、ヘッセン財団に保管されている。
子女編集
- ヴィクトリア・アルベルタ・エリーザベト・マティルデ・マリー(1863年 - 1950年) - 1884年、バッテンベルク公子ルートヴィヒ・アレクサンダーと結婚
- エリーザベト・アレクサンドラ・ルイーゼ・アリーツェ(1864年 - 1918年) - 1884年、ロシア大公セルゲイ・アレクサンドロヴィチと結婚
- イレーネ・ルイーゼ・マリア・アンナ(1866年 - 1953年) - 1888年、プロイセン王子ハインリヒと結婚
- エルンスト・ルートヴィヒ・カール・アルブレヒト・ヴィルヘルム(1868年 - 1937年) - ヘッセン大公
- フリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・ヴィクトル・レオポルト・ルートヴィヒ(1870年 - 1873年)
- ヴィクトリエ・アリックス・ヘレーネ・ルイーゼ・ベアトリーツェ(1872年 - 1918年) - 1894年、ロシア皇帝ニコライ2世と結婚
- マリー・ヴィクトリア・フェオドレ・レオポルディーネ(1874年 - 1878年)