アルダハン県

トルコの県

アルダハン県(アルダハンけん、トルコ語: Ardahan iliクルド語: Parêzgeha Erdêxanêアゼルバイジャン語: Ərdəhan rayonu)は、トルコ東アナトリア地方の県。県都はアルダハン。南にカルス、南西にエルズルム、西にアルトヴィンの各県と接しており、北部、東部をジョージアとの国境に接している。また、接してはいないがアルメニアとの国境付近である。

Ardahan ili
アルダハン県
アルダハン県の位置
アルダハン県の位置
アルダハン県の位置
概要
地方: 東アナトリア地方
県都: アルダハン
県番号: 75
面積: 4,934 (km2)
人口: 96,161 2020年
人口密度: 19 人/km2
自治体数: 6
Location ofアルダハン県の位置
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アルダハン県の自治体
市外局番: 0478
知事:
Hüseyin Öner
公式サイト:

地理

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この県は高地地帯にあり、気温が簡単に零下に下がり-20℃に達することもある。このため多くの時期雪で覆われており、観光客も多い。経済は牧畜がさかんである。

1993年までこの県はカルス県の一部であり、県になることでインフラへの投資を呼び込むと考えられたが、1950年から現在でも人口の流出は止まっておらず、貧窮している。1990年には17万人いた人口も2000年には約12万人に減少している。キプチャク族トルコ人トルクメン人カラパパク人、アゼル系トゥルク人などが住んでいる。

トルコ軍はこの国境の県に存在感を示しており、軍関連施設、軍事雇用などもこの県の経済を強めている。バクー・トビリシ・ジェイハンパイプラインもこの地域に活性化をもたらしている。

歴史

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紀元前680年スキタイ人がコーカサスを超えて北方から侵入し、ウラルトゥ王国からこの地を得て支配した。ヴァン湖の南岸に首都を持った。

この後ペルシアに奪還され、その後紀元前330年ごろ、アレクサンドロス3世(大王)によって支配される。

1068年、セルジューク朝クマン人やPecenek族がこの地域を支配した。1124年にはキプチャクがコーカサスを越えてきた。1267年のイルハン時代は、アヘルツィヘを首都にキプチャク王朝を樹立した。この王朝はオスマン帝国に1578年に征服されるまで残った。

観光

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アルダハン城の様な幾つかの城が残っている。また、1年のある時間に、Damal山はAtaturkの生きているような影を写す。

下位自治体

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この県には6つの下位自治体がある。