アントワーヌ・ド・ファヴレイ

アントワーヌ・ド・ファヴレイ(Antoine de Favray、1706年9月8日 - 1798年2月9日)はフランス生まれの画家で、オスマン帝国聖ヨハネ騎士団が支配するマルタで。肖像画などを描いた。

アントワーヌ・ド・ファヴレイ
Antoine de Favray
Favray - autoportrait.jpg
自画像
生誕1706年9月8日
フランス,バニョレ
死没1798年2月9日
マルタ

生涯編集

フランス北部、現在のセーヌ=サン=ドニ県バニョレで生まれた。若い時代のことは知られていない。1738年にに在ローマ・フランス・アカデミーの校長に任じられた画家のジャン=フランソワ・ド・トロワに従ってローマに移ってきたトロワの弟子の一人であった。1739年にフランスに帰国した学生、フロンティエール (Jean-Charles Frontier)が住んでいた在ローマ・フランス・アカデミーの部屋を与えられ、ラファエロ・サンティの大作『ボルゴの火災』やグエルチーノティツィアーノ・ヴェチェッリオの作品の模写をした[1]

1744年にマルタを訪れ、1751年に聖ヨハネ騎士団に入会し、マルタの貴族の肖像画や修道院の装飾画を描くなどしていたが、スキャンダルでマルタを離れ、1762年にコンスタンティノープルに移った。コンスタンティノープルではフランスのトルコ大使ヴェルジャンヌ伯爵(Charles Gravier, comte de Vergennes)に気に入られ、トルコに9年間滞在した。ヴェルジャンヌ伯爵の家族の肖像画やトルコの風物を描いた。

再びマルタに戻り、92歳で亡くなるまでマルタで、画家、役人としても働いた。

作品編集

脚注編集

  1. ^ Alain Blondy, Antoine Favray, servant d'armes et peintre de cour à Malte, in Revue de la société de l'histoire et du patrimoine de l'ordre de Malte, nº 19, 2007, pp. 60-76.

参考文献編集

  • Alain Blondy, Antoine Favray, servant d'armes et peintre de cour à Malte, Revue de la société de l'histoire et du patrimoine de l'ordre de Malte, 2007, n. 19. pp. 60–76
  • Achille Ferres, "Descrizione storica delle chiese di Malta e Gozo", Malta, 1866.