アンヘル・デラ・ヴァッレ

アンヘル・デラ・ヴァッレ(Ángel Della Valle、1852年10月10日 - 1903年7月16日)は、アルゼンチンの写実主義のスタイルの画家。アルゼンチンの政治の安定とともに西欧化を進めた「1880年世代(Generación del '80)」 の芸術家の一人である。

アンヘル・デラ・ヴァッレ
Ángel Della Valle
自画像
誕生日 (1852-10-10) 1852年10月10日
出生地 ブエノスアイレス
死没年 1903年7月16日(1903-07-16)(50歳)
死没地 ブエノスアイレス
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略歴 編集

ブエノスアイレスでイタリアからの移民の家族に生まれた。父親はアルゼンチンで大きな建築の仕事に関わった監督者で、アンヘル・デラ・ヴァッレはブエノスアイレスの名門学校(Colegio San José)で学ぶことができた[1]。早くから芸術の才能を示し、1871年に父親が亡くなったが、翌年イタリアに留学し、フィレンツェアントニオ・チゼリに学んだ[2]

1883年にアルゼンチンに戻り、実家にスタジオを開き、アウグスト・バレリーニ(Augusto Ballerini:1857-1902)、エドゥアルド・シボリ(Eduardo Sívori: 1847-1918)、エルネスト・デ・ラ・カルコヴァ(1866-1927)、レイナルド・ジュディチ(1853-1921)といった画家や彫刻家のルシオ・コレア・モラレス(Lucio Correa Morales: 1852-1923)とフランシスコ・カフェラタ(Francisco Cafferata: 1861-1890)と美術家グループを結成し[1]、1893年からアルゼンチンで初めて定期的なグループ展を開く美術家グループとなった。

初め、肖像画を専門にし、幼なじみで著名な眼科医になったPedro Lagleyzeや、その患者になったフリオ・アルヘンティーノ・ロカ大統領の肖像画なども描いた[3]。その後、アルゼンチンの田園で働く人々を描いた。代表作にはスペイン人に抵抗したマプチェ族の戦士を描いた1892年の作品「マロンの帰還」があり、1893年のシカゴ万国博覧会のアルゼンチン館で展示された[2]

1876年設立のブエノスアイレスの美術教育機関、「美術振興協会(Sociedad de Estímulo de Bellas Artes)」で18年間教えた。1903年に若い芸術家を教えている時に、急死した[2]

作品 編集

参考文献 編集

  1. ^ a b "Della Valle, Ángel - apenas Un Grande" by Carlos Raúl Risso @ Escritor Costumbrista (originally published in Revista de mis Pagos, #19).
  2. ^ a b c Biographical notes @ Fundación Konex.
  3. ^ "Dr. Pedro Lagleyze depicted in the visual arts" by Dr. Ricardo Darío Wainsztein @ the Consejo Argentino de Oftalmología.