アーネスト・アルバート・キルボルン英語:Ernest Albert Kilbourne、1865年 - 1928年4月13日)は、中田重治チャールズ・カウマン夫妻と共にホーリネス教会を立ち上げた宣教師

アーネスト・キルボルン
生誕 1865年
カナダオンタリオ州ナイアガラフォールズ
死没 1928年4月13日
カリフォルニア州ロサンゼルス
職業 電信技士宣教師
子供 エドウィン・L・キルボルン
テンプレートを表示

生涯 編集

1865年にイギリス領北アメリカ(現在のカナダオンタリオ州ナイアガラ・フォールズで、雑貨商を営む熱心なメソジストの教会員の家に生まれた。1879年に14歳で電信技士になり電信局で働く。新聞記者になろうと思い、ニューヨーク、さらにはアフリカケープタウンから、オーストラリアニュージーランドを経由して、サンフランシスコまで行ったが、新聞記者になることを断念して、バージニア州で再び電信技士になり、カトリックの女性と結婚した。そして、転勤したシカゴでは、千人の部下を持つ立場となる一方、社交界に忙しくなり信仰から遠ざかる。その時に、チャールズ・カウマンに出会い信仰が覚醒する。その後、カウマンとは終世の友であった。

1901年にチャールズ・カウマンが日本に宣教師として行った、翌年1902年8月に、一家で日本に行く。栃木県宇都宮伝道をしている間の1904年車田秋次山崎亭治森五郎が信仰を持つ。 1923年OMS(東洋宣教会)の二代目の総理になる。 1928年4月13日アメリカで死去する。後継として、レテー・B・カウマンがOMSの3代目の総理になる。

参考文献 編集

  • 山口幸子『ホーリネスの流れ』ホーリネス出版局、1999年
  • 米田勇『中田重治伝』


先代
チャールズ・カウマン
東洋宣教会
総理1923年 - 1928年
次代
レテー・カウマン
先代
笹尾鉄三郎
柏木聖書学院
院長1913年 - 1917年
次代
中田重治