イスカンダル・サニ・アラウッディン・ムハヤット・シャーIskandar Thani Alauddin Mughayat Syah1610年 - 1641年2月15日)は、アチェ王国の第13代スルターン

イスカンダル・サニ
Iskandar Thani
アチェ王国スルターン
在位 1636年12月27日 - 1641年2月15日

全名 Iskandar Thani Alauddin Mughayat Syah
イスカンダル・サニ・アラウッディン・ムハヤット・シャー
出生 1610年
パハン
死去 1641年2月15日(31歳没)
アチェ王国
配偶者 タジ・ウル=アラム英語版
父親 アフマド・シャー2世英語版
母親 プトゥリ・ボンス・チャンドラ・デウィ
宗教 イスラム教
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生涯 編集

1610年にパハンの第11代スルターン・アフマド・シャー2世英語版の息子として生まれる。1617年にアチェのスルターン・イスカンダル・ムダ英語版によって故郷が征服され、家族と共にアチェに連行される。イスカンダル・ムダの娘タジ・ウル=アラム英語版と結婚し、1636年にイスカンダル・ムダの後を継ぎアチェの王位を継承する。イスカンダル・サニは1629年の海戦でアチェ艦隊が弱体化していたため外征で勢力拡大を図ることが出来ずに内政に専念し、イスカンダル・ムダと同様に貴族たちを抑え王権の維持に努めた[1]。しかし、イスカンダル・ムダの死後、貴族たちは勢力を盛り返し、王妃タジ・ウル=アラムを王位に就け傀儡とした[2]

イスカンダル・サニの宮廷はイスラム教教育の中心地として栄え、1637年にグジャラートからアチェを訪れた学者ヌルディン・アル=ラニリ英語版を庇護した。ヌルディンはアチェ宮廷の学者たちの書物を批判して新たな文学的・宗教的規範を確立し、それまでのイスラム書物を燃やすようにイスカンダル・サニに指示している[3]

出典 編集

  1. ^ Barwise and White, 117
  2. ^ Ricklefs, 35
  3. ^ Ricklefs, 51

参考文献 編集

  • J.M. Barwise and N.J. White. A Traveller’s History of Southeast Asia. New York: Interlink Books, 2002.
  • M.C. Ricklefs. A History of Modern Indonesia Since c. 1300, 2nd ed. Stanford: Stanford University Press, 1994.
インドネシアの君主
先代
イスカンダル・ムダ英語版
  アチェ王国スルターン
第13代:1636年 - 1641年
次代
タジ・ウル=アラム英語版