イブン・ジュルジュル

イブン・ジュルジュル・アンダルスィーIbn Juljul al-Andalusī)は、10世紀、アラブ=イスラーム時代のイベリア半島の医者、薬理学者[1]。西暦943年または944年(ヒジュラ暦332年)にコルドバで生まれ、994年以後に亡くなった[1]。イスムはスライマーン・ブン・ハッサーン(Sulaymān b. Ḥassān)、クンヤはアブー・ダーウード(Abū Dāwūd)という。

イブン・ジュルジュル
誕生 スライマーン・ブン・ハッサーン(Sulaymān ibn Ḥassān)
943年又は944年
アンダルシア(現在のスペイン)・コルドバ
死没 994以後 (太陽暦換算で満50歳以後に亡くなった)
職業 ムスリムの医師薬理学者
民族 アンダルシア
代表作 『医者と才人の系譜』(Tabqat-ul-Atiba wal-Hukama'
طبقات الأطباء والحكماء )
活動期間 circa 960– 994
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生涯編集

イブン・ジュルジュルは自伝を書き残している。自伝は散逸したが13世紀の詩人イブン・アッバール英語版の著書 Takmilla に引用されるかたちで伝存している。それによるとイブン・ジュルジュルはヒジュラ暦332年にコルドバで生まれた[2]。343年にアブー・バクル・アフマド・ブン・ファドル・ディーナワリーという人物[注釈 1]からコルドバでハディースを伝え聞いた[2]。14歳から24歳までの間、カリフ・アブドゥッラフマーン3世の宰相であり宮廷医でもあったユダヤ人のハスダーイ・ブン・シャプルートが率いる医者たちの下でギリシア医学を学んだ。その後は引き続いて、カリフ・ヒシャーム2世の宮廷医を務めた。

著作編集

イブン・ジュルジュルは、『医者と才人の系譜』 (Ṭabaqāt al-aṭibbā' wa'l-ḥukamā' )と題した本を987年に書き終えた[1]。この本はアラビア語で書かれた医学の歴史としては2番目に古い本である[1]。1番古い本は、イスハーク・ブン・フナインアラビア語版(Ishāq ibn Ḥunayn)の『諸医学の歴史』 (Ta'rīj al-aṭibbā') であるが、『医者と才人の系譜』は『諸医学の歴史』より正確であり、網羅的である[1]。『医者と才人の系譜』は、ギリシア・ローマ・東方イスラーム世界から31人[注釈 2]、西方イスラーム世界から26人、全部で57人の医学者を選び、師弟関係に基づいて9つの系譜に分類したものである。イブン・ジュルジュルが参照した文献は、古代ギリシア文化のもの(ヒポクラテスディオスコリデスガレノス)、ラテン文化のもの(オロシウスイシドールス、以後のイベリア半島のキリスト教徒の医学者たち)、イスラーム文化のもの(アブー・マアシャルフランス語版)がある。ただし、内容に誤りが多く、特に時系列の順序が間違っていることが多いが、興味深い情報を伝えていることは確かである[注釈 3]。列伝の後半部分は10世紀コルドバについて詳細な情報を現代にもたらしている。イブン・ジュルジュルは、アッバース朝のカリフ・ラーディーフランス語版(940年没)の治世以後、東方イスラーム世界にもはや見るべき重要な人物はいないと言い切っている。

その他に、イブン・ジュルジュルは本草学に関する著作もある。982年に書かれた『ディオスコリデスの著作に基づく薬草の名前の解説』(Tafsīr asmā' al-adwiya al-mufrada min kitāb Diyusqūridūs)は、317種類の医療用植物のギリシア語名とアラビア語名を対照させ、それらの見分け方について説明している。ただしこの著作は断章にすぎない。これに対して、その後に書かれた『ディオスコリデスにより言及された薬草について』(Maqāla fī dhikr al-adwiya al-mufrada lam yadhkurha Diyusqūridūs)はディオスコリデスの著書 De materia medica を補完する内容になっている。イブン・ジュルジュルの著作としてはほかに、『幾人かの医学者の誤りについて』(Risālat al-tabyīn fī-mā ghalaṭa fīhi ba'ḍ al-mutaṭabbibīn)という著作も現在に伝わっている。

アルベルトゥス・マグヌスは、著作 De sententiis antiquorumDe materia metallorum (De mineralibus, III, 1, 4) の中で、"Gilgil" という名前の著者の De secretis という著作を引用している。これはおそらくイブン・ジュルジュルのことであり、De secretis は散逸して現代には伝わらなかった彼の著作である。

校定本編集

  • Ibn Juljul, Kitāb ṭabaqāt al-aṭibbā' wa'l-ḥukamā' , éd. Fuad Sayyid, Le Caire, 1955.
  • Juan Vernet, « Los médicos andaluces en el Libro de las generaciones de los médicos de Ibn Ýulýul » (traduction espagnole de la dernière partie consacrée aux médecins andalous), Anuario de Estudios Medievales 5, 1968, p. 445-462, et Estudios de Historia de la Ciencia Medieval, Barcelone, 1979, p. 469-486.
  • Ildefonso Garijo, « El tratado de Ibn Ýulýul sobre los medicamentos que no mencionó Dioscórides », in Ciencia de la naturaleza en Andalusia. Textos y Estudios I, éd. Expiración Garcia Sànchez, Grenade, 1990, p. 57-70.

注釈編集

  1. ^ 不詳。ディーナワリーというニスバから、マーフル・クーファと呼ばれたディーナワル英語版出身が示唆される。
  2. ^ Hermès I, II et III, Asclépiade, Apollon, Hippocrate, Dioscoride, Platon, Aristote, Socrate, Démocrite, Ptolémée, Caton, Euclide, Galien, al-Harith al-Thaqafi, Ibn Abi Rumtha, Ibn Abhar, Masarjawayhi, Bakhtishu, Jabril ibn Bakhtishu, Yuhanna ibn Masawayhi, Yuhanna ibn al-Bitriq, Hunayn ibn Ishaq, al-Kindi, Thabit ibn Qurra, Qusta ibn Luqa, al-Razi, Thabit ibn Sinan, Ibn Wasif, Nastas ibn Jurahy.
  3. ^ Par exemple sur la première traduction d'un ouvrage de médecine grecque en arabe, le Kunnash d'Aaron d'Alexandrie (par Masarjawayhi à partir d'une version syriaque).

出典編集

  1. ^ a b c d e Dietrich,, A. (2012). “Ibn D̲j̲uld̲j̲ul”. Encyclopaedia of Islam. Edited by: P. Bearman, Th. Bianquis, C.E. Bosworth, E. van Donzel, W.P. Heinrichs. (Second ed.). ISBN 9789004161214. https://doi.org/10.1163/1573-3912_islam_SIM_3146 2018年5月28日閲覧。. 
  2. ^ a b سليمان بن حسان المتطبب”. Islam.web. 2018年5月28日閲覧。