オロシウス
オロシウス(英: Orosius、生没不詳)は、4・5世紀頃のキリスト教の聖職者、歴史家、学者。
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人物情報 | |
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学問 | |
影響を 受けた人物 | アウグスティヌス |
生涯編集
ローマ帝国後期の人物であり、生涯についてはほとんどわかっていない[1]。生まれは現在のポルトガルのブラガあたりと見られているが確証は無い。ほかにもフランスやスペインの複数の地域が候補にあがっている。
裕福な一族出身と考えられている。どこで学問を学んだことについても記録は残っていない。ローマ帝国のキリスト教徒であった。
通説では5世紀の初め頃にゲルマン人から逃れるためアフリカに渡った。おそらく410年の西ゴート族のアラリック1世によるローマ陥落に衝撃をうけてたとかんがえられている。アフリカでは教父アウグスティヌスに従い弟子入りした[2]。
キリスト教徒として見聞を深めるため各地を訪れた。師匠アウグスティヌスのかわりにエルサレムでペラギウスと神学論争をかわした。帰国後、師匠アウグスティヌスのもとで数多くの神学、歴史書を書いた[3]。
後年の生涯については全く不明である。いつ頃、死去したかについても分かっていない。研究者によれば、おそらく5世紀初頭と見られているが、証拠はまったくない。