エドワード・ブライ (第7代ダーンリー伯爵)

第7代ダーンリー伯爵エドワード・ヘンリー・スチュアート・ブライ英語: Edward Henry Stuart Bligh, 7th Earl of Darnley 1851年8月21日 - 1900年10月31日)は、イギリス貴族地主。1896年まではクリフトン卿(Lord Clifton)と称した。

略歴編集

第6代ダーンリー伯爵ジョン・ブライ、その妻ハリエット・メアリー(第3代チチェスター伯爵ヘンリー・ペラムの長女)の長男として生まれる。

1870年6月8日、オックスフォード大学クライスト・チャーチに入学[1]。1870年代、ファーストクラス・クリケット英語版の選手として活躍した[2]

1896年、ダーンリー伯爵となる。1900年に49歳で死去。伯爵位は弟のイーヴォが、クリフトン男爵英語版位は長女エリザベスが継承した[3]

家族編集

1899年1月26日、ジェマイマ・アデライン・ベアトリス(フランシス・J・L・ブラックウッドの娘)と結婚。1子をもうける[3]

  • エリザベス(1900年 - 1937年)- 第17代クリフトン女男爵

その他編集

「恐ろしい気質の持ち主で、浪費家」だった[4]。「金を水のように使い」、伯爵家の財産を大幅に減少させたという[4]

脚注編集

  1. ^ Foster, Joseph, ed (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886. A–D. Oxford. p. 123. https://archive.org/stream/alumnioxonienses01univuoft#page/122/mode/2up 
  2. ^ Player Profile: Lord Clifton”. www.cricketarchive.com. 2016年1月18日閲覧。
  3. ^ a b Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P. (1914). Genealogical and Heraldic Dictionary of the Peerage and Baronetage of the British Empire. London: Harrison & Sons. p. 571. https://books.google.com/books?id=RVggAAAAYAAJ 
  4. ^ a b Wynne-Thomas & Griffiths, p. 7.

外部リンク編集

  • Wynne-Thomas, P. & Griffiths, P. (2002) ‘’Ivo Bligh”, Famous Cricketers Series – No. 67, ACS Publications: Nottingham. ISBN 1 902171 60 8.
  • Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Edward Henry Stuart Bligh, 7th Earl of Darnley(英語)
アイルランドの爵位
先代
ジョン・スチュアート
  ダーンリー伯爵
1835年–1896年
次代
イーヴォ英語版
イングランドの爵位
先代
ジョン・スチュアート
クリフトン男爵英語版
1896年–1900年
次代
エリザベス