エドワード・ヴェサラ
フィンランドのミュージシャン (1945-1999)
エドワード・ヴェサラ[1](Edward Vesala、本名マルティ・ヴェサラ、1945年2月15日 - 1999年12月4日)[2]は、フィンランドのアヴァンギャルド・ジャズ・ドラマー[2]。
エドワード・ヴェサラ Edward Vesala | |
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エドワード・ヴェサラ(1984年) | |
基本情報 | |
出生名 | Martti Vesala |
生誕 | 1945年2月15日 |
出身地 | フィンランド マンチュハルユ |
死没 | 1999年12月4日(54歳没) |
ジャンル | ジャズ |
職業 | ミュージシャン、作曲家 |
担当楽器 | ドラム |
活動期間 | 1960年代 - 1999年 |
レーベル | ECM |
共同作業者 | トーマス・スタンコ、トマシュ・シュカルスキ、ヤン・ガルバレク |
略歴
編集マンチュハルユで生まれた彼は、1960年代にブルース・セクションやアポロなどのバンドでジャズやロックを演奏し始めた。1970年代には、ポーランドのトランペット奏者トーマス・スタンコとサックス奏者のトマシュ・シュカルスキとのカルテットである自身のジャズ・グループを率い、トト・ブランケのエレクトリック・サーカスと共演し、ノルウェーのサックス奏者ヤン・ガルバレクと録音した。1980年代と1990年代に、ヴェサラはジャズ、クラシック音楽、タンゴ、民俗音楽を組み合わせた自作のアルバムを数枚、自身のグループ「サウンド・アンド・フューリー」(主にヴェサラの生徒で構成された約10人の奏者からなるアンサンブル)と録音した。サウンド・アンド・フューリーの著名な演奏家には、サックス奏者のヨルマ・タピオとペパ・ペイヴィネン、ギタリストのラウル・ビョルケンハイムとジミ・スメン、そしてハープ奏者でキーボード奏者のイロ・ハールラ(ヴェサラの妻)が含まれていた[2][3][4][5]。
ヴェサラはフィンランドのイレーンでうっ血性心不全のため54歳で亡くなった[2]。
ディスコグラフィ
編集リーダー・アルバム
編集- 『ザ・ウェイ・オブ・ヴェサラ』 - Nan Madol (1974年、ECM)
- 『スター・フライト』 - Satu (1977年、ECM)
- Heavy Life (1980年、Leo)
- Lumi (1986年、ECM)
- Ode to the Death of Jazz (1989年、ECM)
エドワード・ヴェサラ・サウンド・アンド・フューリー
編集- Invisible Storm (1991年、ECM)
- Nordic Gallery (1994年、ECM)
- Pulsacion (2013年、Ektro)
- Thundering Of Dawn (2018年、Karkia Mistika)
参加アルバム
編集- Triptykon (1973年、ECM)
- TWET (Polish Jazz vol. 39) (1974年、Polskie Nagrania Muza)
- 『バラディナ』 - Balladyna (1976年、ECM)
- Live at Remont (1976年、Helicon)
- Almost Green (1978年、Leo)
- 『アラウンド6』 - Around 6 (1979年、ECM)
脚注
編集- ^ 「エドワード・ベサラ」の表記もある。
- ^ a b c d “Edward Vesala Biografia”. Jazz Finland. 23 June 2020閲覧。
- ^ Nuorteva, Kristiina (6 December 1999). “Jazzmuusikko Edward Vesala”. Helsingin Sanomat 23 June 2020閲覧。
- ^ “10.2. Teeman Elävä arkisto: Edward Vesala”. Yle (16 February 2015). 23 June 2020閲覧。
- ^ “Vesalan perintö elää”. Valon kuvia (10 July 2011). 23 June 2020閲覧。
外部リンク
編集- Allmusic Guide biography of Edward Vesala by Chris Kelsey
- Eetu – 12 sessiota Edward Vesalan kanssa Documentary film on Vesala and his work with Sound and Fury by Markus Viljanen (1994)
- Jazzhouse
- エドワード・ヴェサラ - Discogs