数学における エルミート多様体英語: Hermitian manifold)とはリーマン多様体の複素微分幾何における類似である。より正確には、エルミート多様体とは、各点の正則接空間エルミート内積を持ち、それらが滑らかに変化する複素多様体のことを指す。また、エルミート多様体を複素構造を保つリーマン計量を持つ実多様体として定義することもできる。

複素構造は、本質的には可積分条件をもつ概複素構造であり、この条件は多様体上にユニタリ構造(U(n)-構造英語版(U(n) structure))をもたらす。可積分条件を落とすと、概エルミート多様体を得る。

任意の概エルミート多様体上に、計量と概複素構造にのみ依存する基本2形式(fundamental 2-form)と呼ばれる微分形式を定めることができる。基本2形式は常に非退化である。これが閉形式である(すなわちシンプレクティック形式である)という追加の可積分条件を課すことにより、概ケーラー構造(almost Kähler structure)を得る。もし概複素構造と基本2形式の両方が可積分であれば、 ケーラー構造を持つ。

形式的定義 編集

滑らかな多様体(smooth manifold)   上の複素ベクトル束   におけるエルミート計量(Hermitian metric)とは、各々のファイバー上で滑らかに変化する正定値エルミート形式である。そのような計量は滑らかな切断

 

であって、  の任意の元   に対し

 

であり、  の任意の 0 でない元   に対し

 

を満たすような切断として表すことができる。

エルミート多様体(Hermitian manifold)は、その正則接空間英語版(holomorphic tangent space)上にエルミート計量を持つ複素多様体である。同様に、概エルミート多様体(almost Hermitian manifold)は、その正則接空間上にエルミート計量を持つ概複素多様体である。

エルミート多様体上では、計量は正則局所座標   を用いて

 

と表わされる。ここに   は正定値エルミート行列の成分である。

リーマン計量と随伴形式 編集

(概)複素多様体   上のエルミート計量   は、基礎多様体上にリーマン計量   を定義する。計量    の実部

 

で定義される。

形式  複素化された英語版(complexified)接バンドル   上の対称双線型形式である。  は自身の共役と等しいので、  上の実形式の複素化となる。  上での   の対称性と正定値性は、対応する   の性質から従う。局所正則座標では、計量  

 

と表わすことができる。

  には次数 (1,1) の複素微分形式   を付随させることもできる。形式    の虚部のマイナス1倍

 

として定義される。再び、  はその共役と等しいので、これは   上の実形式の複素化である。形式   は、随伴 (1,1)-形式(associated (1,1) form)、基本形式(fundamental form)、あるいはエルミート形式(Hermitian form)と様々な呼ばれ方をする。局所正則座標では、 

 

と表わされる。

座標表現から明らかなように、3つの形式     のうち1つが与えられれば、他の2つも一意に定まる。リーマン計量   と付随する形式   とは概複素構造   により次のように関係している: すべての複素接ベクトル    に対し、

 

エルミート計量     から等式

 

によって復元できる。3つの形式    概複素構造   を保つ。すなわち、すべての複素接ベクトル    に対し、

 

である。

従って、(概)複素多様体   上のエルミート構造は、

  1. 上記のエルミート計量  
  2. 概複素構造   を保つリーマン計量  
  3.   を保つ非退化 2-形式   ですべての 0 でない実接ベクトル   に対し   の意味で正定値

のいずれかで特定することができる。

多くの著者が   自身をエルミート計量と呼んでいることに注意する。

性質 編集

すべての(概)複素多様体にはエルミート計量が入る。このことはリーマン計量についての同様の命題から直ちに従う。概複素多様体   上の任意のリーマン計量   が与えられると、明らかに概複素構造   と整合するような新しい計量   を、次のように構成することができる:

 

概複素多様体   上のエルミート計量を選ぶことは、  上のU(n)-構造英語版(U(n)-structure)を選ぶことと同値である。つまり、  からユニタリ群   への  枠束(frame bundle)の構造群の縮小(reduction of the structure group)である。概エルミート多様体上のユニタリ枠(unitary frame)は、エルミート計量に関して正規直交系をなす複素線型枠である。M のユニタリ枠束英語版(unitary frame bundle)は、すべてのユニタリ枠の主 U(n)-バンドルである。

すべてのエルミート多様体   は、  により決定されるリーマン体積形式である標準体積形式を持つ。この形式は、随伴 (1,1)-形式   によって

 

として与えられる。ここに    と自身との   重のウェッジ積である。従って、体積形式は   上の実  -形式である。局所正則座標では、体積形式は

 

により与えられる。

エルミート計量は、正則ベクトルバンドル上でも考えることができる。

ケーラー多様体 編集

エルミート多様体の最も重要なクラスは、ケーラー多様体である。ケーラー多様体は、エルミート形式  閉形式

 

となるエルミート多様体である。この場合、形式  ケーラー形式と呼ぶ。ケーラー形式はシンプレクティック形式なので、ケーラー多様体は自然にシンプレクティック多様体となる。

随伴する (1,1)-形式が閉である概エルミート多様体は、自然に概ケーラー多様体と呼ぶ。任意のシンプレクティック多様体には、概ケーラー多様体をなすような整合的な概複素構造が入る。

可積分性 編集

ケーラー多様体は可積分条件を満たす概エルミート多様体である。この条件はいくつかの同値な方法で述べることができる。

  を実   次元の概エルミート多様体とし、  レヴィ・チヴィタ接続とすると、以下は   がケーラーとなる同値な条件である。

  •   が閉で、  が可積分である
  •  
  •  
  •  ホロノミー群英語版(holonomy group)が   に関するユニタリ群   に含まれる

これらの条件の同値性は、ユニタリ群の「3 から 2(2 out of 3)」の性質に対応する。

特に、  がエルミート多様体であれば、条件   が一見、非常に強く見える条件   と同値である。ケーラー多様体の理論の豊かさは、これらの性質によるところもある。

参考文献 編集

  • Griffiths, Phillip; Joseph Harris (1994) [1978]. Principles of Algebraic Geometry. Wiley Classics Library. New York: Wiley-Interscience. ISBN 0-471-05059-8 
  • Kobayashi, Shoshichi; Katsumi Nomizu (1996) [1963]. Foundations of Differential Geometry, Vol. 2. Wiley Classics Library. New York: Wiley Interscience. ISBN 0-471-15732-5 
  • Kodaira, Kunihiko (1986). Complex Manifolds and Deformation of Complex Structures. Classics in Mathematics. New York: Springer. ISBN 3-540-22614-1