オスマン・フアト・オスマンオウル

オスマン・フアト・エフェンディ・オスマンオウルオスマン語: عثمان فهد‎、Osman Fuad Efendi Osmanoğlu、1895年2月24日 - 1973年5月19日)は、オスマン帝国の帝家であったオスマン家の第39代当主で帝位請求者。名目上の皇帝としてはオスマン4世IV. Osman)。

オスマン・フアト
عثمان فهد
オスマン家
アフリカ総軍司令官の軍服を着たオスマン・ファド・エフェンディ

出生 (1895-02-24) 1895年2月24日
オスマン帝国の旗 オスマン帝国イスタンブールオルタキョイチュラーン宮殿
死去 (1973-05-19) 1973年5月19日(78歳没)
フランスの旗 フランスニース
埋葬 フランスの旗 フランスボビニー
配偶者 ケリメ・ハリム・ハヌム
父親 シェフザデ・メフメト・セラハディン・エフェンディ
母親 ジャレフェル・ハヌム
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生涯 編集

オスマン帝国第33代皇帝のムラト5世とその第1夫人エルル・メヴヒベ・バシュ・ハトゥン(Elru Mevhibe Baş Hatun)との間の第一皇子であるメフメト・セラハディン皇子の息子として、帝都コンスタンティニエチュラーン宮殿で生まれた。母はアルメニア人の第5夫人ジャレフェル・ハヌム(Jalefer Hanım)である。1954年に異母兄のアフメト・ニハトが死去すると、オスマン家家長の座を継いだ。1973年にニースで死去し、パリ郊外のボビニー墓地に葬られた。

1920年3月26日ベシクタシュのファリヤ宮殿において、エジプト副王タウフィーク・パシャの孫娘ケリメ・ハリム・ハヌム(Kerime Halim Hanım)と結婚したが、間に子供は無く、1932年に離婚した。

先代
アフメト・ニハト
オスマン家第39代家長
1954年 - 1973年
次代
メフメト・アブデュルアズィズ