オッドビョルン・ハーゲン(Oddbjørn Hagen、1908年2月3日 - 1983年6月25日)は、ノルウェーヘードマルク県Ytre Rendal出身のノルディック複合クロスカントリースキー選手。

獲得メダル
 ノルウェー
男子 ノルディック複合
オリンピック
1936 ガルミッシュパルテンキルヒェン 個人
ノルディックスキー世界選手権
1934 Sollefteå 個人
1935 Vysoké Tatry 個人
男子 クロスカントリースキー
オリンピック
1936 ガルミッシュパルテンキルヒェン 18km
1936 ガルミッシュパルテンキルヒェン 4x10km
ノルディックスキー世界選手権
1935 Vysoké Tatry 18km
1935 Vysoké Tatry 4x10km

プロフィール 編集

ハーゲンはオスロBækkelagets SKで競技生活を送った。

1932年のホルメンコーレン大会ノルディック複合で優勝、1934年の世界選手権では複合で金メダルを獲得、またクロスカントリースキー4x10kmリレーではアンカーを務めてスウェーデンのArthur Häggbladと銀メダルを争っていたが、コースを間違えて10分時間をロスし、ドイツに抜かれてしまった。最終的にスウェーデンに競り負けて4位に終わった。同年ホルメンコーレン大会で2度目の優勝を果たし、ホルメンコーレン・メダルを受賞した。

翌1935年の世界選手権で2連覇を達成、これは66年後の2001年にビャルテ・エンゲン・ビークが達成するまで唯一の記録だった。クロスカントリースキーでは個人18kmと4x10kmリレーで銀メダルを獲得した。ホルメンコーレン大会では3度目の優勝を果たした。

1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは金メダル1個、銀メダル2個を獲得した。 クロスカントリースキー4x10kmリレーでは第1走者としてスウェーデンのジョン・ベルゲルに17秒差、フィンランドのスロ・ヌルメラに1分2秒差をつけ1位でバトンを渡した。チームはフィンランドに6秒及ばず銀メダルとなった。 個人18kmはノルディック複合の前半距離を兼ねて実施され、スウェーデンのエリック=オーク・ラーションに次いで銀メダルとなった。複合にエントリーした選手では最高のタイムをもって翌日の後半ジャンプに臨み、金メダルを獲得した。

外部リンク 編集