オラツィオ・ベネヴォリ

オラツィオ・ベネヴォリOrazio Benevoli, 1605年4月19日1672年6月17日)はイタリア初期バロック音楽の重要な作曲家

ローマフランス人の家庭に生まれる。地元ローマで訓練を積んでから、1624年から1643年まで市内のさまざまな教会で楽長として活躍した。1644年から1645年までウィーンに滞在して、オーストリア宮廷楽団に加わる。旧説では、この間に53声部の《ザルツブルクのミサ》を作曲したと推測されてきたが、現在この楽曲はベネヴォリの真作ではなく、ハインリヒ・イグナツ・フォン・ビーバーアンドレアス・ホーファー17世紀に作曲したと推定されている。1646年以降にローマに戻り、バチカンで聖歌隊長を務めた。

約20曲のミサ曲や数々のモテット詩篇唱を遺している。しばしば合唱や器楽アンサンブルを4部かそれ以上に分割し、複雑なポリフォニー書法を巧みに駆使して、分割合唱様式による大掛かりな宗教曲を残した。ローマ楽派巨大バロック様式を代表する一人と見なされている。

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