カテリーナ・ディ・サヴォイア

カテリーナ・ディ・サヴォイア(イタリア語:Caterina di Savoia, 1297/1304年 - 1336年9月30日)またはカテリーナ・フォン・ザヴォイエン(ドイツ語:Katharina von Savoyen)は、オーストリア公レオポルト1世の妃。

カテリーナ・フォン・ザヴォイエン
Katharina von Savoyen

出生 1297/1304年
ブラバント公国
死去 1336年9月30日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国ラインフェルデン英語版
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
チロル伯領、ケーニヒスフェルデン修道院英語版
1770年
ザンクト・ブラジエン大聖堂ドイツ語版
1806年
シュピタル・アム・ピュールン修道院ドイツ語版
1809年
ザンクト・パウル修道院英語版
配偶者 オーストリア公レオポルト1世
子女 カテリーナ
アグネス
家名 サヴォイア家
父親 サヴォイア伯アメデーオ5世
母親 マリー・ド・ブラバン
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生涯 編集

カテリーナはサヴォイア伯アメデーオ5世とその2番目の妃マリー・ド・ブラバンの間の娘である。ハプスブルク家ルクセンブルク家の和解の結果として、1310年よりカテリーナとオーストリア公レオポルト1世との結婚についての話し合いが始まった。1315年5月26日バーゼルにおいてカテリーナとレオポルト1世は結婚した。この結婚で2人の娘が生まれた。カテリーナは政治にも関与し、教皇ヨハネス22世ともしばしば連絡を取った。1326年に夫レオポルト1世が死去した。

1336年にカテリーナは死去し、ケーニヒスフェルデン修道院英語版に埋葬された。1770年ザンクト・ブラジエン大聖堂ドイツ語版に改葬されたが、1806年にザンクト・ブラジエン修道院英語版が閉鎖された後、シュピタル・アム・ピュールン修道院ドイツ語版に移された。さらに1809年ケルンテンラヴァントタール英語版にあるザンクト・パウル修道院英語版に改葬された。

子女 編集

参考文献 編集

 
カテリーナ・ディ・サヴォイア(16世紀)