カルロス・アルギニャーノ

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はアルギニャーノ第二姓(母方の)はウルキオラです。

カルロス・アルギニャーノ・ウルキオラKarlos Arguiñano Urkiola)[1], 1948年9月6日 - )は、スペインギプスコア県ベアサイン出身の料理人・テレビ司会者プロデューサー実業家バスク人。食事の栄養面や衛生管理の知識を庶民にもたらし、家庭料理においても食事の楽しみを伝えた功績がある[2]

カルロス・アルギニャーノ
Karlos Arguiñano.jpg
生誕 (1948-09-06) 1948年9月6日(74歳)
スペインの旗 スペイン
ギプスコア県ベアサイン
教育オテル・エウロマル・ホテル学校
公式サイト公式サイト
料理人歴
様式新バスク料理

経歴編集

 
アルギニャーノのレストラン

料理人として編集

1948年、カルロス・アルギニャーノはバスク地方ギプスコア県ベアサインに生まれた。4人兄弟の長男であり、母親が身体障害者だったため、子どもの頃から家庭で料理を行っていた。ベアサインには鉄道車両製造のCAF本社があり、料理界に進出する前にはCAFで働いていた。17歳の時にオテル・エウロマル・ホテル学校(Escuela de Hosteleria del Hotel Euromar)での料理講座に参加することを決め、3年間、料理人のルイス・イリサル英語版に料理の本質を教わった。この学校でペドロ・スビハナやラモン・ロテタのような料理界での成功者に出会っている。1978年にはギプスコア県サラウツにあるオーベルジュ(レストラン付きのホテル)を任された。1996年にはプロ・アマチュア双方の料理人を育成するために、オーベルジュ内に自身の名を冠したカルロス・アルギニャーノ・アイアラ料理学校を開校させた。

テレビシェフとして編集

アルギニャーノはスペイン初のテレビシェフのひとりであり、お昼時間帯にテレビで『La cocina de Arguinano』(アルギニャーノの料理、1995年-1998年)、『Karlos Arguinano en tu cocina』(君の料理のカルロス・アルギニャーノ、1995年-)という冠番組を持っている。当初はバスク州の公共放送であるEITBで放送されていたが、1991年からは国営放送のTVEで放送され、2004年から2010年には民放のテレシンコで、2010年9月以降はアンテナ3で放送されている。また、アルゼンチンではカナル7やカナル13で放送された。

アルギニャーノは料理のコツやジョークも加えたレシピを提示し、「おいしく、おいしく、栄養価も一緒に」(Rico, rico y con fundamento) というキャッチフレーズがある。アルギニャーノはテレビシオン・エスパニョーラ(国営放送)で週7日放送のレギュラー番組を持ったスペイン初の料理人であり、スペイン全土の主婦たちの熱狂的な支持を得た[2]。アルギニャーノが夏場の卵の保存状態について警告を発すると、スペイン全土で卵の売り上げが減少したという[2]。また、アルギニャーノは料理のアクセントとして必ずパセリを用いることから、多くの家庭の食卓にパセリが登場するようになったという[2]。12歳年下の妹のエバ・アルギニャーノスペイン語版もまた料理人としてテレビに出演しており、主にカルロスの番組のデザート部門を担当している。

実業家として編集

自身が設立した映像制作会社アセガルセを通じて、冠番組の制作を引き継いでいる。アセガルセは料理番組の制作の他に、バスク・ペロタのプロリーグの映像制作も行っている[3]。アセガルセはラ・セスタが所有する企業のひとつである。

番組編集

フィルモグラフィー編集

アルギニャーノは何本かの映画の製作に参加している。

  • 1997年 Airbagフアンマ・バホ・ウジョア監督
  • 2000年 Ano Mariano - カーラ・エレハルデ監督とフェルナンド・ギリェン・クエルボ監督
  • 2002年 El rey de la Granja - カルロス・サバラ監督とグレゴリオ・ムロ監督

脚注編集

  1. ^ KarlosとUrkiolaはバスク語の綴りであり、スペイン語のCarlosやUrquiolaではない。しかし、Arguiñanoはスペイン語の綴りであり、バスク語のArginanoではない。
  2. ^ a b c d 坂東省次戸門一衛碇順治『現代スペイン情報ハンドブック』三修社, 2007年, p.117
  3. ^ No consigo entender cuales son las razones de mi exito エル・ムンド, 1997年9月25日

外部リンク編集