ガルワール王国
गढ़वाल राज्य
गढ़वाळ रजौड़ा
823年 - 1948年 インド連邦 (ドミニオン)
ガルワール王国の国旗
(国旗)
ガルワール王国の位置
版図(1907年 - 1909年
公用語 ガルワーリー語ヒンディー語サンスクリット
首都 デーヴァルガル(1500年-1519年)
シュリーナガル(1519年-1804年)
テヘリー(1815年-1862年)
プラタープナガル(1862年-1890年)
キールティナガル(1890年-1925年)
ナレーンドラナガル(1925年-1948年)
ラージャマハーラージャ
823年 - 888年 カナクパール
1684年 - 1716年ファーテー・シャー
1946年 - 1948年マナベンドラ・シャー
変遷
建国 823年
藩王国1815年4月12日
インド連邦へ加入1948年5月18日
現在インドの旗 インド

ガルワール王国(ガルワールおうこく、英語:Garhwal Kingdom、ヒンディー語:गढ़वाल राज्य)は、北インドガルワール地方を支配したヒンドゥー王朝9世紀 - 1947年)。首都はデーヴァルガル(1500年-1519年)、シュリーナガル(1519年-1804年)、テヘリー(1815年-1862年)、プラタープナガル(1862年-1890年)、キールティナガル(1890年-1925年)、ナレーンドラナガル(1925年-1948年)

1815年4月12日イギリスと軍事保護条約を締結し藩王国となった。

歴史編集

9世紀ラージプートカナク・パールによりガルワール王国が建国された[1]

18世紀末、ネパール王国の摂政バハドゥル・シャハは武将ダモダル・パンデアマル・シンハ・タパに西方遠征を命じ、二四諸国を制圧したのち、ガルワールへと侵入した[2]。ネパール軍はアクラナンダ川を越え、ガルワールの首都シュリーナガルにまで到達した[2]

1792年清・ネパール戦争が勃発すると、ネパール王国は極西に進出していたアマル・シンハにガルワール王国と講和するように命じ、呼び戻させた[3]。だが、ネパール王国は清は清と講和したのち、再び西方に進出し、1804年にアマル・シンハの軍勢がアルモーラー地方を越えて、ガルワールを制圧した[4]。同年に王は戦闘で殺害され、1814年までネパール王国に領土が占領されていた。

1814年イギリスとネパール王国との間にグルカ戦争が勃発すると、イギリスはガルワールにも兵を進めた[5]。ガルワールにいたネパール軍はアマル・シンハとその息子ラナジョール・シンハ・タパの下で戦った[5]。その一方でガルワール王国もイギリス側で参戦した。

1815年4月21日、ガルワール王国はイギリスと軍事保護条約を締結し、イギリス従属の藩王国となった。同年5月、アマル・シンハはイギリスと講和し、彼と息子の財産を保証する代わり、ガルワール地域の塞を英軍に明け渡すこととなった[6]

1947年8月15日インド・パキスタン分離独立時、ガルワール藩王国はインドへと併合された。

脚注編集

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  1. ^ A Brief History of Garhwal”. 2016年7月11日閲覧。
  2. ^ a b 佐伯和彦 2003, p. 504.
  3. ^ 佐伯和彦 2003, p. 505.
  4. ^ 佐伯和彦 2003, p. 510.
  5. ^ a b 佐伯和彦 2003, p. 512.
  6. ^ 佐伯和彦 2003, p. 515.

参考文献編集

  • 佐伯和彦 『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。 

関連項目編集