ギュメ学堂(ギュメがくどう、チベット語:རྒྱུད་སྨད་གྲྭ་ཚང་།、ワイリー方式:rGyud smad grwa tshang、英語:Gyudmed Tantric University、中国語:下密院[1]1433年 - 現在)は、ゲルク派を代表する最も中心的な密教僧院のうちの1つ[2]

概要

編集

ギュメ学堂は、チベット仏教最大の宗派であるゲルク派の開祖、聖ツォンカパ(Tsong kha pa、1357-1419)の直弟子、尊者シェーラプ・センゲ(shes rab seng+ge、1383-1445)によって、密教を伝承するために、1433年に設立された[3]

現在は、チベットラサにあるもとの学堂と、亡命した南インドカルナータカ州マイソール地区フンスール・タルクのラプギェー・リンチベット人入植地内に位置する学堂の二つがあり、密教を中心とした仏教の教育・研究・修行が行われている。かつて、ギュメ学堂は、場所への執着を避けるため一箇所に定住しなかった。厳しい僧院、修行道場として知られている[4]

ギュトゥー学堂(rGyud stod grwa tshang)とともに、ゲルク派内の上下二大密教学堂(rgyud grwa stod smad gnyis)に数えられ、ゲルク派密教の総本山に近い役割を持つ。日本語では、ギュメ寺[5]、ギュメ密教学堂[6]、ギュメ密教大学[7]、ギュメー密教学院[8]と呼ばれることがあり、表記に揺れがある。チベット語では、単に rGyud smad(ギュメー)と呼ばれる他、dPal ldang smad rgyud grwa tshang(「具吉祥下密学堂」の意)[9]gSang chen rgyud smad grwa tshang(大秘密下密学堂」の意)とも呼ばれる。

歴史

編集

起源

編集

1419年秋に、聖ツォンカパセラ・チュー・ディン(se ra chos sdings)にいたとき、『秘密集会タントラ』に対して自身が著した『四注集成』('Grel ba bzhi sbrags)を手に持って、「ཁྱེད་ཅག་མཁས་པ་རྣམས་ཀྱི་ཁྲོད་ན་དཔལ་གསང་བ་འདུས་པའི་རྒྱུད་ཀྱི་བཤད་སྲོལ་འཛིན་ནུས་པ་སུ་ཡོད་དམ།(あなたたち賢者のたちのうちで、吉祥秘密集会タントラの注釈伝統を保つことのできるものは、誰かいるか」と尋ねたが、そこにいたすべての者たちはまったく応答出来なかった。

しかし、その時、尊者シェーラプ・センゲは立ち上がって、三度の礼拝をして、「དེ་ལྟ་བུ་བདག་གིས་བགྱིའོ།(まさに私がいたしましょう)」と応えた。聖ツォンカパは心から喜び、加持を込めた秘密集会の仏像と『四注集成』と内供のカパーラなどを与えて、彼を密教の後継者とした。

その後、まず最初に、ツァン地方のセンゲ・ツェ・セ・ギュ(seng ge rtse srad rgyud)というところに行って、ドゥル・ナクパ・ペル・デン・サンポ('Dul nag pa dpal ldan bzang po)にタントラを説かねばならないと助言した。セー・リン・チェン・ツェ・パ(srad rin chen rtse pa)が施主となって、セー・ガンデン・ポタン(srad dga' ldan pho brang)において、多くの賢者にタントラと注釈と口伝を説いた。トゥー・ギュ(bstod rgyud)あるいはセー・ギュ(srad rgyud)として名高い素晴らしい真言学院が建てられた。

その後、1433年に、ケートゥプ・ジェ(mKhas grub rje、1385-1438)による地方にもタントラを浸透させる必要があるという助言に従って、尊者シェーラプ・センゲウ・ツァンに行き、自身の弟子を多く集め、その年に、ギュメ学堂をラサに設立し、ラサタントラの説・聞を根付かせた。尊者シェーラプ・センゲは13年間、初代僧院長を勤めた。その後、ギュメ学堂は、ジンパ・ペル阿闍梨(sLo dpon sbyin pa dpal)に引き継がれた[10]

インドへの亡命

編集

中国によるチベット侵攻に伴って、ギュメ学堂のうち150名の僧侶が、1959年ダライ・ラマ14世(1935-)の亡命とともにインドに渡る。最初は、北インドのダルホージーに一時的に僧院を再建した。1972年に、カルナータカ州の助力により南インドのグルプラの現在の地に移転する。現在は、500名の僧侶を抱える僧院となっている[11]

現在の所在地は、Tibetan Settlement, P.O.Gurupura - 571105, Hunsur Taluk, Mysore Dist. Karnataka State, India. である。なお、滞在するにはギュメ学堂から事前に許可を得る必要がある上に、パスポートビザに加えて、遅くとも渡航の1ヶ月前にインド内務省にPAP(Protected Area Permit)[12]の申請を行い、許可を受ける必要がある[13]

学習カリキュラム

編集

ガンデン寺、セラ寺、デプン寺といった顕教を中心として僧院で所定の学習項目を終え、問答試験に合格したゲシェー(仏教博士)は通常1年から2年ギュメ学堂ないしギュトゥー学堂に密教を学びに訪れる[14]

組織

編集

かつては、ギュメ学堂には、寮(kang tshan)が5つ存在した[15]

  • アムド寮(a mdo khang tshan)
  • ツァワ寮(tsha ba khang tshan)
  • ギェルロン寮(rgyal rong khang tshan)
  • セルコン寮(ser kong khang tshan)
  • トレホル寮(tre hor khang tshan)

歴代管長

編集

学風

編集

ギュメ学堂付設の雪国学校

編集

ダライ・ラマ14世がギュメ学堂に、2007年に訪問した際に、インドにおいて仏教とチベット仏教文化を学べる施設の開校、性別・人種・年齢・カースト制・国籍などの関係なく、俗人も尼僧も誰もが自由に入学可能な学校にするようにという提案をした。それに基づき、School of Snow(雪国学校)が開設された。近代的な設備を兼ね備え、留学者の受け入れが可能である[16]

日本との関わり

編集

清風学園理事長の平岡英信は長年ギュメ学堂の施主をしており、2024年、その死に際してギュメ学堂は法要を行った[17]清風高校校長・種智院大学客員教授の平岡宏一は、1988年に日本人として初めてギュメ学堂に留学し、非チベット人としては初めてCERTIFICATEをギュメ学堂から受けた[18]高野山大学特任教授でデプン寺ロセリン学堂出身のゲシェー・テンジン・ウッセル2014年にギュメ学堂での密教の修学を修了した[19]。テンジン・ケンツェ(板野弘映)は、2017年にギュメ学堂に留学し、日本人でありながらも、ギュメ学堂に所属する正式な比丘となった[20][21][22]西澤昭男監督は、ギュメ学堂をテーマとして、ドキュメンタリー映画ギュメ寺は祈っている』を撮影し、2008年に公開された。

映画化

編集

関連項目

編集

関連文献

編集

外部リンク

編集

脚注

編集
  1. ^ 下密院寺 - ラサ市、下密院寺の写真 - トリップアドバイザー”. www.tripadvisor.jp. 2024年7月5日閲覧。
  2. ^ About Gyudmed Tantric Monastic University, South India” (英語). Gyudmed Tantric Monastic School. 2024年7月5日閲覧。
  3. ^ About Gyudmed Tantric Monastic University, South India” (英語). Gyudmed Tantric Monastic School. 2024年7月5日閲覧。
  4. ^ 白雪姫と七人の小坊主達 ギュメ滞在記 (1) 施主と応供の法宴”. shirayuki.blog.fc2.com. 2024年7月5日閲覧。
  5. ^ ドキュメンタリー映画「ギュメ寺は祈っている」”. www.wao-corp.com. 2024年7月5日閲覧。
  6. ^ ダライ・ラマ法王14世日本公式サイト (2024年7月5日). “” (英語). ダライ・ラマ法王14世日本公式サイト. 2024年7月5日閲覧。
  7. ^ ギュメ密教大学「雪国学校」のご案内” (英語). Tibet House Japan. 2024年7月5日閲覧。
  8. ^ テンジン・ウセル | 教員紹介 | 大学案内 | 高野山大学”. テンジン・ウセル | 教員紹介 | 大学案内 | 高野山大学. 2024年7月5日閲覧。
  9. ^ Ngawang (2013年11月24日). “དཔལ་ལྡན་སྨད་རྒྱུད་གྲྭ་ཚང་མདོ་སྔགས་བཤད་སྒྲུབ་ཀྱི་སློབ་གཉེར་ཁང་ཆེན་མོ།” (英語). His Eminence Professor Samdhong Rinpoche, བདག་ཉིད་ཆེན་པོ་སློབ་དཔོན་ཟམ་གདོང་རིན་པོ་ཆེ་མཆོག. 2024年7月5日閲覧。
  10. ^ モンラム大辞典(蔵蔵)のརྒྱུད་སྨད་གྲྭ་ཚང་། の項目参照。”. monlamdictionary.com. 2024年7月5日閲覧。
  11. ^ About Gyudmed Tantric Monastic University, South India” (英語). Gyudmed Tantric Monastic School. 2024年7月5日閲覧。
  12. ^ PAPVT”. papvt.mha.gov.in. 2024年7月5日閲覧。
  13. ^ Contact Gyudmed Monastic School” (英語). Gyudmed Tantric Monastic School. 2024年7月5日閲覧。
  14. ^ ゲシェーの学位について” (英語). Tibet House Japan. 2024年7月5日閲覧。
  15. ^ モンラム大辞典(蔵蔵)のརྒྱུད་སྨད་གྲྭ་ཚང་། の項目参照。”. monlamdictionary.com. 2024年7月5日閲覧。
  16. ^ ギュメ密教大学「雪国学校」のご案内” (英語). Tibet House Japan. 2024年7月5日閲覧。
  17. ^ Facebook”. www.facebook.com. 2024年7月5日閲覧。
  18. ^ 平岡 宏一 - 法藏館 おすすめ仏教書専門出版と書店(東本願寺前)-仏教の風410年”. pub.hozokan.co.jp. 2024年7月5日閲覧。
  19. ^ テンジン・ウセル | 教員紹介 | 大学案内 | 高野山大学”. テンジン・ウセル | 教員紹介 | 大学案内 | 高野山大学. 2024年7月5日閲覧。
  20. ^ 2023年12月2日(土)テンジン・ケンツェ(板野弘映)師を囲む会 参加者4名募集 – 仏教サロン京都”. bukkyosalon.com. 2024年7月5日閲覧。
  21. ^ 築地本願寺にて『チベットフェスティバル・ジャパン2023』開催” (英語). Tibet House Japan (2024年6月18日). 2024年7月5日閲覧。
  22. ^ Facebook”. www.facebook.com. 2024年7月5日閲覧。