クシストフ・ヴィエリツキ

クシストフ・イェジ・ヴィエリツキポーランド語: Krzysztof Jerzy Wielicki1950年1月5日 - )は、ポーランド登山家で、世界で最も著名なヒマラヤ登山者の1人である。1980年から1996年の間に、世界で5人目の8000メートル峰全14座登頂を成し遂げた[1]。またそのうちの3つ、エベレストカンチェンジュンガローツェでは、世界で初めて冬季の登頂に成功した。ヴィエリツキは、隊長としてもいくつかの8000m峰の冬期登頂を指揮し成功に導いた。ヴィエリツキは2013年の冬季ブロード・ピークにおいてポーランド隊を率い、アダム・ビエレツキ英語版ら4人を頂上に送り込んで成功させたものの、登頂後に精鋭2人を失った[1]

クシストフ・ヴィエリツキ

ヴィエリツキは、ニューヨークの登山部であるエクスプローラーズ・クラブに所属している。永年の登山への貢献により、2018年にはアストゥリアス皇太子賞スポーツ部門を受賞した。

8000メートル峰全14座の登頂記録 編集

  1. 1980年 エベレスト - 冬季初登頂[2]
  2. 1984年 ブロード・ピーク - 1日で登頂
  3. 1984年 マナスル - 南南東の新ルート
  4. 1986年 カンチェンジュンガ - 冬季初登頂
  5. 1986年 マカルー
  6. 1988年 ローツェ - 冬季初登頂
  7. 1990年 ダウラギリ
  8. 1991年 アンナプルナ
  9. 1993年 チョ・オユー
  10. 1993年 シシャパンマ - 南の新ルート、単独、24時間で登頂
  11. 1995年 ガッシャーブルムII峰
  12. 1995年 ガッシャーブルムI峰
  13. 1996年 K2
  14. 1996年 ナンガ・パルバット

酸素ボンベを使用した山はエベレストのみで、他の13座は無酸素。

出典 編集

  1. ^ a b Geiger, Stephanie (2013年3月7日). “Triumph und Entsetzen am Broad Peak”. Frankfurter Allgemeine Zeitung. 2018年6月11日閲覧。
  2. ^ 山と溪谷』2018年2月号、山と溪谷社、 163頁。

関連項目 編集