クラッシャー三浦

日本の元プロボクサー

クラッシャー 三浦(クラッシャー みうら、1963年12月23日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は三浦 利美(みうら としみ)。青森県南津軽郡大鰐町出身。第48代日本バンタム級王者。現役時代は国際ボクシングスポーツジム所属。現在はドリームボクシングジム会長として後進の指導に当たる。エディ・タウンゼント賞受賞トレーナーでもある。弘前電波工業高等学校(現・弘前東高等学校)卒業[1]

クラッシャー 三浦
基本情報
本名 三浦 利美[1]
階級 バンタム級
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1963-12-23) 1963年12月23日(60歳)
出身地 青森県南津軽郡大鰐町
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 21
勝ち 15
KO勝ち 10
敗け 5
引き分け 1
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来歴 編集

高校時代はボクシング部に在籍し、1981年の国体では高校団体3位の成績を残した[1]。その後、同郷の高橋美徳が経営する国際ボクシングスポーツジムでプロへ転向し、1982年5月25日、プロデビュー戦に4RTKO勝利を収めた[2]。同年7月23日のプロ2戦目からライトフライ級新人王戦に参戦したが、9月4日の予選2試合目で倉持正(角海老宝石)と対戦し、判定負けを喫した[2]。この後、1年9か月リングを離れるが、プロ転向を勧めた親友のレパード玉熊の活躍に奮起し、復帰を決心した[1][2]

1984年にも新人王戦に参戦し、予選を2試合連続KOで勝ち進んだが、11月10日の東日本スーパーフライ級新人王トーナメント準決勝で田中小兵太(新和川上)に判定負けを喫した[2]。1987年にはA級トーナメントにバンタム級で参戦。3試合連続の序盤KO勝利を収め、10月22日に優勝を果たした。

1988年7月11日、田中小兵太と日本バンタム級王座決定戦で再戦し、判定負けとなった。翌1989年6月12日、日本バンタム級王者の尾崎恵一(オサム)と対戦しし、判定勝利で新王者となった[2]。同年11月11日、米坂淳(北海道)を迎えての初防衛戦で判定勝利を収めたが、翌1990年2月17日、岡部繁(セキ)との2度目の防衛戦に判定負けを喫して王座を失い、この年に引退した[2]

現役引退後は国際ジムでトレーナーを務め、1999年に和田剛を第46回全日本スーパーバンタム級新人王(技能賞受賞)へ、2001年にセレス小林WBA世界スーパーフライ級王座へ、2002年にトラッシュ中沼を第46代日本フライ級王座へ導くなど活躍した[2]。この間2001年には、第12回エディ・タウンゼント賞、2001年度年間優秀トレーナー賞を受賞している[3][4]。2002年5月[5]、国際ジムから独立し、ドリームボクシングジムを開設した[2]

戦績 編集

  • アマチュアボクシング:48戦43勝5敗[1]
  • プロボクシング:21戦15勝 (10KO) 5敗1分

獲得タイトル 編集

  • 第2回KSD杯争奪A級トーナメントバンタム級優勝
  • 第48代日本バンタム級王座(防衛1)

参考文献 編集

  1. ^ a b c d e ボクシング・マガジン編集部編 『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ベースボール・マガジン社、2004年3月1日 ISBN 4-583-03784-8、221頁。
  2. ^ a b c d e f g h “クラッシャー 三浦”. ボクシング 選手名鑑 -戦績一覧- -戦歴一覧-. https://boxinglib.com/boxingmeikan/archive/359/0 2023年8月4日閲覧。 
  3. ^ 新田渉世 「戦士と語る =現場編= その16/ドリームジム 三浦利美会長」 Talk is Cheap、2004年4月。
  4. ^ ドリームボクシングジム - 会長紹介
  5. ^ ドリームボクシングジム - ジム紹介

関連項目 編集

外部リンク 編集

前王者
尾崎恵一
第48代日本バンタム級王者

1989年6月12日 - 1990年2月17日

次王者
岡部繁