クリノリン英語: crinoline)は、1850年代後半にスカートを膨らませるために発明された下着で、鯨ひげ針金を輪状にして重ねた骨組みである(後に材質は変化)。1860年代に入るとクリノリンはその形を変化させ、前後にやや扁平で水平断面が楕円のデザインなどさまざまなバリエーションが生まれた[1]

クリノリンをつけた女性
クリノリンをスカート下に着用した女性たち(手前)と絵画の女性の対比

概要 編集

「クリノリン」とは尻尾の毛を指す「クリノ(イタリア語: crino)」と、麻布を指す「リノ(イタリア語: lino)」の合成語[2][3]。原義は馬の毛を織り込んで張りのある綿布(もしくは麻布)で縫ったペチコートを指し、やがてスカート布を膨らませる新発明の下着[注釈 1][2]も、布地を多用して大きく広がるスカートを備えたスタイルもクリノリンと呼ぶようになった。

それまでスカートを膨らませるにはペチコートを何枚も重ね履きする必要があったところ、1856年にフランスでのような下着が発明され、ミリエという人物が針金やクジラのヒゲを丸めた輪を支持材で吊り、円錐形にまとめた。この枠を着用して上にスカートをかぶせるとドーム型のシルエットが容易に得られ、ヴィクトリア朝のイギリス女性の間で爆発的な人気を得た。スカートの裾は大きく広がれば広がるほど良いという風潮が生まれ、クリノリンが巨大化した理由の一つは1856年、皇太子(ナポレオン4世)を身ごもっていたフランスのウジェニー皇后とされた。姿態の不恰好さを隠すためにクリノリンを極端に拡大して使っていた[独自研究?]。それが新しいモードとしてサロンに受け入れられると[4]、1850年代末にクリノリンの大きさは最大値に達する。巨大化は1860年代まで続き[5]、大量の布がたてる衣擦れ(きぬずれ)の音は、病人がうるさがるほどであった[6]

しかし身につけたクリノリンが引っかかると転倒したり、暖炉などの火がスカートに引火して火傷をしたりなど事故が多発するにいたった。

一説にはクリノリンに起因する事故にあう人は年間2万人、死者は3000人といわれる。フローレンス・ナイチンゲールは著書『看護覚え書』の1868年版において、1863年から1864年の2年間に服に引火して焼死した女性630名はあらゆる年齢層にわたり、その内訳はクリノリンを着る年齢が10歳以後から一生と仮定すると「このばかばかしい醜悪な慣習」が焼死者277人を出したと指摘した上で、戸籍本署英語版長官の記録した女性の焼死者数はもっと多く、原因を記録しないせいで実態が明らかでないとも述べた[7]。また医療の現場で患者に悪影響を与える様々な雑音のひとつとしてクリノリンの衣擦れを挙げた上で、以下のように記している。

(中略)これらの〔死者の〕数に、死亡はしないまでも一生障害を負った者の数を加えると、女性の服による場合は実に残酷である! — フローレンス・ナイチンゲール、『看護覚え書』(1868年版[8]

収蔵資料 編集

文化学園服飾博物館のコレクションに下着のクリノリン(イギリス)ほか、流行したアール・ヌーヴォー時代のイギリスとアメリカの服飾を収蔵する[注釈 2][1]

参考文献 編集

主な執筆者順。

  • フローレンス・ナイティンゲール 著、助川尚子 訳、ヴィクター・スクレトコヴィッチ 編『看護覚え書 : 決定版』医学書院、1998年、96頁。ISBN 4260343017NCID BA35012509 
  • 川口和正『世界ふくそうの歴史 4』リブリオ出版、2001年。
    • 「ヨーロッパ(18世紀)」34-35頁。バロック様式の服装、スカートに着けるパニエ(枠)について。
    • 「資本主義が発達したころのヨーロッパ(19世紀)」裏表紙、イラストと説明。スカートを大きくする道具「クリノリン」。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ スカートの中に履く釣り鐘型フレーム。
  2. ^ 文化学園服飾博物館より、下着:クリノリン(イギリス、1860年代中頃、資料番号:W03808_000000)、ドレス(推定フランス、1860年頃、資料番号:W01715_000000)、デイ・ドレス(アメリカ、1865年頃、 資料番号:W00914_002001)、ドレス(アメリカ、1870年代、資料番号:W00914_002500)。

出典 編集

  1. ^ a b クリノリン(検索子)”. jmapps.ne.jp. 文化学園服飾博物館. 2023年12月10日閲覧。
  2. ^ a b [ID:4822]下着:クリノリン:資料情報”. 文化学園服飾博物館. 収蔵品データベース. 文化学園服飾博物館. 2023年12月10日閲覧。
  3. ^ ランダムハウス英和大辞典”. Japan Knowledge. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  4. ^ ピエール=ポール・アモン作「皇后ウジェニー」”. www.fujibi.or.jp. 作品詳細. 東京富士美術館. 2023年12月10日閲覧。
  5. ^ 増田葉子(Yoko Masuda、文・写真:). “~企画展「クリノリンの帝国のもとで」~ガリエラ美術館英語版”. メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド. DNPアートコミュニケーションズ. 2023年12月10日閲覧。 “企画展「クリノリンの帝国のもとで~1852-1870」【開催期間】 2008年11月29日-2009年4月26日”
  6. ^ Nightingale, Florence (1859). “IV. Noises” (英語). Notes on nursing: what it is, and what it is not. ロンドン: Harrison. p. 27(31コマ目). https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uc2.ark:/13960/t9862td1c&seq=5 2023年12月10日閲覧. "注記:Patient's repulsion to nurses who rustle [患者はカサカサ音を立てる看護者に反発]" カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校図書館蔵書。
  7. ^ a b ナイチンゲール、助川 1998, p. 96, 「Ⅳ章 音」
  8. ^ [7])。亀甲カッコ部分は引用者の注。

関連資料 編集

発行年順。

  • 諏訪原 貴子、鷹司 綸子「教材研究として:19世紀のボール・ガウンのレプリカ作成」服飾文化学会 編『服飾文化学会誌』第3巻第1号、2002年、49-59頁。掲載誌別題『Costume and textile : journal of costume and textile』。
  • 塚本 和子「クリノリン・ドレスの縫製技術 : 1860年代の実物資料調査より」『文化女子大学紀要. 服装学・造形学研究』第36号、文化女子大学、2005年1月、9-23頁。(IRDB)。
  • 塚本 和子「クリノリン・ドレス(1860年代)のスカート・パターンの特徴」『文化女子大学紀要. 服装学・造形学研究』第37号、文化女子大学、2006年01月、15-28頁。(IRDB)
  • 北川 則道「『社会的責任』(SR)と『ものつくりの倫理』--技術者の倫理を支えるもの(特集 SR(ソーシャル・リスポンシビリティー))」静電気学会 編『静電気学会誌』第33巻第2号(通号 189)「社会的責任」(SR)と「ものつくりの倫理」2009年、69-74頁。
  • 富田 弘美「システムパニエ:クリノリンへの応用型」服飾文化学会 編『服飾文化学会誌. 作品編』第9巻第1号、服飾文化学会、2016年。11-14頁。
  • 倉 みゆき「(5)1840年代から1860年代のクリノリン(西洋服飾史実物資料のレプリカ制作)」服飾文化学会 編『服飾文化学会誌. 作品編』第10巻第1号、2017年、1-6頁。

関連項目 編集

50音順。

外部リンク 編集