ケルミスドイツ語: Kelmisフランス語: La Calamine ラ・カラミーヌ, ワロン語: Li Calmène リ・カルメーヌ)は、ベルギーワロン地域に属するリエージュ州にある、人口約1万人の基礎自治体ドイツ語共同体に属する9つの自治体のうちのひとつである。

ケルミス
Kelmis
La Calamine
ケルミスの市旗 ケルミスの市章
市旗 市章
位置
リエージュ州におけるケルミスの位置の位置図
リエージュ州におけるケルミスの位置
座標 : 北緯50度42分 東経6度00分 / 北緯50.700度 東経6.000度 / 50.700; 6.000
行政
ベルギーの旗 ベルギー
 地域 ワロン地域の旗 ワロン地域
 言語共同体 ドイツ語共同体
 州 リエージュ州の旗 リエージュ州
 市 ケルミス
地理
面積  
  市域 18.12 km2
人口
人口 (2006年1月1日現在)
  市域 10,396人
    人口密度   574人/km2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 4720-4728
市外局番 087
公式ウェブサイト : http://www.kelmis.be/

地理 編集

州都リエージュの約35km東に位置し、リエージュとドイツのアーヘンを結ぶ幹線道路・N3号線沿いにある町である。ドイツオランダとの国境に接しており、もっとも近くにある大都市は5km北東にあるアーヘンである。

隣接自治体 編集

歴史 編集

 
中立モレネ。集落は Altenberg と記されている。

ケルミスの中心地区は、もともとはモレネの町 (fr:Moresnetの一部で、ケルミスの丘と呼ばれる一帯であった。ここには「古い山」、すなわちフランス語でヴィエイユ・モンターニュVieille Montagne)、ドイツ語でアルテンベルクAltenberg)と呼ばれる亜鉛の鉱山があり、それに付随する集落があった。

ナポレオン戦争後のウィーン会議において、オランダ王国プロイセンは亜鉛鉱山の領有権をめぐり、モレネ一帯の領有権について対立した。1816年に締結されたアーヘン協定でモレネ地域は3つに分割され、モレネの町を含む西側区域はオランダ領、東側区域はプロイセン領となり、両者の中間にあって鉱山を擁するケルミスの丘一帯の 3.5 km2 は、改めて協定が結ばれるまで両国の共同統治領とすることになった。こうして中立モレネが発足し、この町はその「首都」となった。

共同統治の当事者は、1820年にベルギーがオランダから独立したことによってベルギーに移った。一時的な中立地帯として設置された中立モレネは1816年から1919年にかけての約100年間にわたって存続した。第一次世界大戦中にはドイツに占領されたが、戦後のヴェルサイユ条約(1919年)によって中立モレネはベルギー領とされ、1920年ベルギーに正式に編入された。

1920年以後のモレネは、ドイツからベルギーに編入されたエウペンマルメディと同じような歴史を歩んでいる。第二次世界大戦時にはドイツによる再占領を受け、1944年にベルギーへ復帰した。1973年、ドイツ語共同体が編成されると、その構成体のひとつとなった。

1977年に行われた自治体統廃合により、ケルミスは隣接する自治体であるノイ・モーレスネット(かつてのプロイセン領モレネ地区)とヘルゲンラートを編入した。

言語 編集

19世紀には、ドイツ語の方言である低地ディーツ語 (Low Dietschが話されていた。

ケルミスは現在、ドイツ語フランス語の両言語が使われている。ドイツ語共同体に属する9つの自治体のうちの一つである。

下位行政区画 編集

基礎自治体としてのケルミスは、中心地区のケルミスも含め、3つの地区(1977年の自治体統廃合までは独立の自治体)からなっている。

  • ケルミス
1816年のアーヘン協定で「中立モレネ」となった地区。
1816年のアーヘン協定でプロイセン領となったモレネの一部で、かつては「プロイセンのモレネ」プロイシッシュ・モーレスネット(Preußisch-Moresnet)と称した。第一次大戦後ベルギー領に編入され、地名も「新モレネ」を意味するノイ・モーレスネットに変更された。
ウィーン会議の結果プロイセン領となった村で、第一次世界大戦後ベルギーに編入された。

ギャラリー 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集