コンスタンティン・フィップス (初代マルグレイヴ男爵)
初代マルグレイヴ男爵コンスタンティン・フィップス(英語: Constantine Phipps, 1st Baron Mulgrave、1722年8月22日(洗礼日) – 1775年9月13日)は、アイルランド王国の貴族。
生涯
編集ウィリアム・フィップス(William Phipps、1698年 – 1730年、アイルランド大法官サー・コンスタンティン・ヘンリー・フィップスの息子)とキャサリン・ダーンリー(Catharine Darnley、第3代アングルジー伯爵ジェームズ・アンズリーの娘)の息子として生まれ、1722年8月22日に洗礼を受けた[1]。1730年2月1日に父の死去に伴いその遺産を継承、1739年7月11日にミドル・テンプルに入学した[1]。
1743年3月13日に母方の祖母キャサリン・ダーンリーが死去すると、マルグレイヴ城の領地を継承した[1]。その後、1767年9月3日にアイルランド貴族であるニュー・ロスのマルグレイヴ男爵に叙された[1]。
1775年9月13日にスパで死去、クロイドンで埋葬された[1]。長男コンスタンティン・ジョンが爵位を継承した[1]。
家族
編集1743年2月26日、ウェストミンスターでレペル・ハーヴィー(Lepell Hervey、1723年1月 – 1780年3月11日、第2代ハーヴィー男爵ジョン・ハーヴィーの娘)と結婚[1]、下記の子女を儲けた。
- コンスタンティン・ジョン(1744年 – 1792年) - 海軍軍人、政治家。第2代マルグレイヴ男爵
- チャールズ(1753年 – 1786年) - 海軍軍人、グレートブリテン庶民院議員。生涯未婚
- ヘンリー(1755年 – 1831年) - 陸軍軍人、政治家。第3代マルグレイヴ男爵、後に初代マルグレイヴ伯爵に叙爵。子供あり
- ヘンリエッタ・マリア(1757年3月26日 – 1782年9月1日) - 第12代ディロン子爵チャールズ・ディロンと結婚、子供あり
- エドマンド(1760年 – 1837年) - 陸軍軍人、グレートブリテン庶民院議員。生涯未婚
- オーガスタス(1762年 – 1826年)
脚注
編集- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 418.
アイルランドの爵位 | ||
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爵位創設 | マルグレイヴ男爵 1767年 – 1775年 |
次代 コンスタンティン・ジョン・フィップス |