サウス・サイド・パーク
サウス・サイド・パーク(South Side Park)は、アメリカのイリノイ州シカゴにかつて存在した野球場である。
サウス・サイド・パークIII South Side Park III | |
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施設データ | |
所在地 | Chicago, Illinois |
開場 | 1900年4月24日 |
取り壊し | 1940年12月25日(火災で焼失) |
所有者 | 不明 |
グラウンド | 天然芝 |
建設費 | 不明 |
設計者 | 不明 |
建設者 | 不明 |
旧称 | |
スカーリングス・パーク(1911年 ~ 1940年) | |
使用チーム • 開催試合 | |
シカゴ・ホワイトソックス(開場 ~ 1910年) 、 シカゴ・アメリカン・ジャイアンツ(1911年 ~ 1940年) | |
収容人員 | |
15,000人 | |
グラウンドデータ | |
球場規模 |
※全て推定 左翼 - 300 ft (約91.4 m) 左中間 - 381 ft (約116.1 m) 中堅 - 399 ft (約121.6 m) 右中間 - 392 ft (約119.5 m) 右翼 - 340 ft (約103.6 m) |
フェンス | 不明 |
1880~90年代、シカゴにはサウス・サイド・パークが2ヶ所あった。1ヶ所目は39番通りに面した場所にあり、ユニオン・アソシエーション(1884年のみ)というリーグのシカゴ・ブラウンズが本拠地にしていた。もう片方は35番通り沿いに建設され、1890年にはプレイヤーズ・リーグ(この年のみ)のシカゴ・パイレーツが、1891~93年にはナショナルリーグのシカゴ・コルツ(現シカゴ・カブス)がホームとして使用していた。
1900年、シカゴ・ホワイトソックスオーナーのチャールズ・コミスキーによって、39番通りの北方に3軒目のサウス・サイド・パークが建設され、ホワイトソックスの本拠地として使用され始めた。1909年には火事のためスタンドが焼失したが、すぐに新しいスタンドが建設された。ホワイトソックスは1910年のシーズン半ばにより収容人数の多い新球場コミスキー・パークに移転するまでの間サウス・サイド・パークを本拠地にした。
1911年からは、ルーブ・フォスターによって結成されたニグロリーグ・シカゴ・アメリカン・ジャイアンツの本拠地となった。コミスキーの義理の息子で、フォスターの仕事上のパートナーのジョン・C・スカーリングの名を取って、球場名がスカーリングス・パーク(Schorling's Park)に改称された。
1940年12月25日、スカーリングス・パークは火事で全焼した。球場は再建されず、アメリカン・ジャイアンツはコミスキー・パークへ移転した。
前本拠地: ウエスト・サイド・パーク 1885 - 1890 |
シカゴ・カブスの本拠地 1891 - 1893 |
次本拠地: ウエスト・サイド・パーク 1894 - 1915 |
前本拠地: n/a - |
シカゴ・ホワイトソックスの本拠地 1900 - 1910 |
次本拠地: コミスキー・パーク 1910 - 1990 |