サン・ミゲル・デ・アジェンデ

メキシコの都市

サン・ミゲル・デ・アジェンデ(San Miguel de Allende)とはメキシコグアナフアト州にある都市。

サン・ミゲル・デ・アジェンデ
San Miguel de Allende
メキシコの旗
街の風景
街の風景
サン・ミゲル・デ・アジェンデの市章
市章
位置
グアナフアト州におけるサン・ミゲル・デ・アジェンデの位置の位置図
グアナフアト州におけるサン・ミゲル・デ・アジェンデの位置
座標 : 北緯22度46分 西経102度33分 / 北緯22.767度 西経102.550度 / 22.767; -102.550
歴史
建設 1542年
行政
メキシコの旗 メキシコ
  グアナフアト州
 基礎自治体 サン・ミゲル・デ・アジェンデ
 市 サン・ミゲル・デ・アジェンデ
人口
人口 (2020年現在)
  市域 174,615人
その他
等時帯 中部標準時
郵便番号
市外局番 415
公式ウェブサイト : 公式サイト

概要 編集

メキシコの中央高原北西部にある都市である。コロニアル建築の歴史的建物が立ち並び、美しい景観を持つ事から観光地として人気がある[1]。もともと湿地帯近くの丘であった場所に造られた町であるため、坂が多い街である。

メキシコ全土に知られた美術学校であるアジェンデ美術学校エルニグロマンテ文化会館があり、日本を含めた世界から芸術家が集まるアートの街でもある[2]

歴史 編集

スペイン植民地時代初期の1542年フランシスコ会の聖職者サンミゲルによって開かれた「サン・ミゲル・デ・エルグランデ」という街がサン・ミゲル・デ・アジェンデの前身である[1]。当初は要塞都市としての性格が強かったという。

18世紀には産業が発達した。グアナフアト州にはで発展した都市が多いが、サン・ミゲル・デ・アジェンデは手工業で発展した。現在残る歴史建造物のほとんどはこの頃建てられたものである[1]

20世紀になってメキシコ独立戦争の指導者であるイグナシオ・アジェンデの生まれた町である事から、彼の名をとって「サン・ミゲル・デ・アジェンデ」と名を改めた。彼の生家は「サン・ミゲル・デ・アジェンデ歴史博物館」となっており、一般人も見学が可能である[2]

1926年には「国定コロニアル記念都市」に指定され、街並みが保護されることとなった。現在でも建物の改築、建築には政府の許可が必要である[1]

2008年には近くのアトトニルコの聖域と共に世界遺産に登録された。また、市内にカニャーダ・デ・ラ・ビルヘンと呼ばれる遺跡があり、ピラミッド競技場庭園などの跡がある。

行事 編集

サン・ミゲル・デ・アジェンデでは様々な行事が行われる。主なものを以下に挙げる。

セマナサンタ(Semana senta)

3、4月に行われる。キリストのエルサレム入城からキリスト復活の日までの一週間を記憶する行事(聖週間)。

サンタクルス祭り(Fiesta de la Santa Cruz)

5月に行われる。

サンミゲル祭(Festival de San Miguel Arcágel)

9月に行われる。本祭である聖ミカエル(スペイン語ではサンミゲル)の日には子供たちが仮面を付けてパレードを行うほか、本祭の前にはロバの競争やパンプロナーダ(街に放たれた牛を追いかける、闘牛の一種)が行われる。

ギター&フラメンコ音楽祭(Music Festival)

12月に行われる。

世界遺産 編集

北にアトトニルコという町がある。聖域があり、サン・ミゲル・デ・アジェンデと共に世界遺産になっている[1]

交通 編集

航空機

サン・ミゲル・デ・アジェンデに空港はない。最寄りの空港はレオングアナフアト国際空港である。

バス

郊外にバスターミナルがあり、国外はヒューストンダラスシカゴ、国内はメキシコシティ、ケレタログアナフアトグアダラハラ、レオン、ドローレス・イダルゴへ行くことが出来る。

姉妹都市 編集

脚注 編集

参考文献 編集

  • 地球の歩き方編集室編著 「B19 地球の歩き方 メキシコ 2009~2010」、ダイヤモンド社、2009年

外部リンク 編集