ジグムント・ディガット

ジグムント・ディガットポーランド語: Zygmunt Dygat, 1894年10月4日 - 1977年10月14日)は、ポーランド出身のピアノ奏者[1][2]

経歴・人物 編集

クラクフ出身。幼少時よりクララ・ツォップ=ウムラウフォヴァにピアノを学び、1907年からクラクフ音楽院に入学してピアノを専攻した。また1917年にはヤギェウォ大学大学で哲学と歴史を学んだ。その後、ウィーンに留学し、ウィーン音楽院のイェルジ・ラレヴィッツのクラスでピアノを学ぶ一方で、エミール・フォン・ザウアーの薫陶も受け、1919年にはウィーン音楽院を首席で卒業した。1920年からパリを中心に演奏活動を行うようになったが、1925年にはワルシャワに行ってワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に出演している。1928年にアメリカに演奏旅行に出かけた際には、イグナツィ・パデレフスキの知己を得、1939年までパデレフスキに教えを乞うた。第二次世界大戦中は、ポーランド音楽活動機構の共同設立者に名を連ねつつ、フランスを本拠に演奏活動を展開した。1958年からパリのラフマニノフ音楽院で教鞭をとる。1960年に演奏活動から引退し、パリに没す。

脚注 編集

  1. ^ Zygmunt Dygat”. 2018年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月17日閲覧。
  2. ^ Zygmunt Dygat”. 2018年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月17日閲覧。