ジャーンシー王妃連隊(Rani of Jhansi Regiment)は1942年、植民地インドのイギリス支配の打倒を目指し、インドの民族主義者大日本帝国の援助を得て東南アジアで結成した武装勢力、インド国民軍の女性連隊である。第二次世界大戦における女性だけで構成された戦闘部隊の一つ。ラクシュミ・スワミナサン大尉(後に2002年インド大統領選挙において左翼戦線の主要候補にもなったラクシュミ・サーガルとしても知られる[1])に率いられ、1943年7月に東南アジアインド系移民の中から志願した兵士により構成されていた[2]。インドの女王で自由の闘士として名高いジャーンシーのラクシュミー・バーイー王妃[3]にちなんで「ジャーンシー王妃連隊」と命名された。

ジャーンシー王妃連隊
Rani of Jhansi Regiment
創設1943年7月12日
(訓練開始は10月23日)
解散1945年5月
国籍自由インド仮政府
軍種陸軍
兵科歩兵連隊、看護部隊
任務戦列歩兵、ゲリラ兵
規模約1,000名
上級部隊インド国民軍
基地シンガポールラングーンバンコク
主な戦歴第二次世界大戦
著名な司令官ラクシュミ・スワミナサン

設立 編集

スバス・チャンドラ・ボースは、1943年7月12日に連隊の結成を発表した[4]。メンバーのほとんどはマレーのゴム農園出身のインド系の10代の志願者で、インドに行ったことのある者はほとんどいなかった[5]。 最初の部隊の中核はシンガポールの訓練キャンプ[6]で確立され、およそ170人の士官候補生がいた[6]。その後、ラングーンバンコクにもキャンプが設けられ、1943年11月には300人以上の士官候補生を抱えるに至った[6]

訓練 編集

シンガポールでの訓練は1943年10月23日に始まった[7]。新兵は部門と小隊に分けられ、教育資格に応じて下士官とセポイ(兵卒)の階級が与えらた。これらの士官候補生は、教練、行軍、射撃、手榴弾投擲、銃剣突撃による武器訓練を含む軍事訓練と戦闘訓練を受けた。その後、多くの士官候補生がビルマでのジャングル戦のより高度な訓練のために選ばれた[6]。1944年3月30日には500人の部隊により、シンガポール訓練所で最初の卒業パレードを挙行した[6]

また、約200名の士官候補生が看護師養成のために選抜され、チャンド・ビビ看護兵団を形成した[8]

行軍履歴 編集

インド国民軍のインパール作戦の間、約100名のジャーンシー王妃連隊の初動部隊がメイミョーに移動した。その一部は、インパールを陥落させた後、ベンガルのガンジス平野に侵入する前衛部隊を形成すること意図していた。部隊の一部はメイミョーの軍病院で看護隊を編成した。インパールの包囲が失敗し、国民軍が悲惨な撤退をした後、王妃連隊はモンユワやメイミョーに到着した国民軍部隊の救援と看護を調整する役割を担い、戦闘には使用されなかった。

連隊の終焉 編集

ラングーンが崩壊し、アザド・ハインド政権とスバス・チャンドラ・ボースがビルマに撤退すると、もともとビルマにいた部隊は解散を許され、連隊の残りは撤退する日本軍と共に徒歩で、利用可能な場合は車両で退却した。退却の間、連合軍による空襲とビルマのレジスタンスからの攻撃を受けた。死傷者の総数は不明である。この後、部隊は解散した。

隊長のラクシュミ大尉は1945年5月にイギリスに逮捕され、1946年3月までビルマに留めおかれた後、インドに送られた。当時、首都デリーではインド国民軍裁判によってインド国民のイギリス植民地支配への不満が高まっており、英領インドの終焉も近づいていた[9]

こちらも参照してください 編集

脚注 編集

  1. ^ Pradeep, K. (2012年7月25日). “A revolutionary and a singer”. The Hindu. http://www.thehindu.com/features/metroplus/a-revolutionary-and-a-singer/article3682419.ece?ref=relatedNews 2015年2月18日閲覧。 
  2. ^ Joyce Lebra, Women Against the Raj: The Rani Jhansi Regiment (2008) ch. 1–2
  3. ^ Edwardes, Michael (1975) Red Year: the Indian Rebellion of 1857. London: Sphere; p. 126
  4. ^ Indian National Army: Women's Regiment: How It All Began”. www.nas.gov.sg. National Archives of Singapore (2003年). 2015年2月18日閲覧。
  5. ^ Lebra, ch 2
  6. ^ a b c d e Indian National Army: Women's Regiment: Life in camp”. www.nas.gov.sg. National Archives of Singapore (2003年). 2015年2月18日閲覧。
  7. ^ Sahgal, Lakshmi (2012年7月23日). “My days in the Indian National Army by Lakshmi Sahgal”. NDTV-New Delhi Television. http://www.ndtv.com/india-news/my-days-in-the-indian-national-army-by-lakshmi-sahgal-493887 2015年2月18日閲覧。 
  8. ^ Meeta Deka, Women's agency and social change: Assam and beyond (2013) ch. 4
  9. ^ Menon, Parvathi (2012年7月23日). “Captain Lakshmi Sahgal (1914 - 2012) - A life of struggle”. The Hindu (Chennai, India). http://www.thehindu.com/news/national/article3672666.ece?homepage=true 2012年7月23日閲覧。 

ソース 編集

  • Hills, Carol and; Daniel C. Silverman (October 1993). “Nationalism and Feminism in Late Colonial India: The Rani of Jhansi Regiment”. Modern Asian Studies (Cambridge University Press) 27 (4): 741–760. doi:10.1017/S0026749X00001281. ISSN 0026-749X. http://web.calstatela.edu/faculty/swells2/hills-carol.pdf. 
  • Lebra, Joyce Chapman (2008). Women Against the Raj: The Rani of Jhansi Regiment. Institute of Southeast Asian Studies. ISBN 978-981-230-809-2. https://books.google.com/books?id=fuw1Wt1-O7EC 
  • Deka, Meeta (2013). Women's agency and social change : Assam and beyond. SAGE Publishing India. ISBN 978-935-150-784-0. https://books.google.com/books?id=pxdBDwAAQBAJ 

外部リンク 編集