ジョアッキーノ・トーマ

ジョアッキーノ・トーマ(Gioacchino Toma、1836年1月24日 - 1891年1月12日)はイタリアの画家である。歴史画や風俗画を描き、ナポリ美術アカデミーの教師も務めた。晩年、自伝『孤児の思い出』("Ricordi di un Orfano":1886年)を執筆した。

ジョアッキーノ・トーマ
Gioacchino Toma
誕生日 1836年1月24日
出生地 イタリア,ガラティーナ
死没年 1891年1月12日
死没地 イタリア,ナポリ
テンプレートを表示

略歴 編集

イタリア南部、プッリャ州ガラティーナの医師の息子に生まれたが、6歳で父を亡くし、8歳で母親を失い孤児となった。10歳で父方の叔父に預けられたが、叔父は養育を拒み、修道院や慈善施設に預けられ、施設で絵画を学んだ。施設を出た後、苦しい生活を送り、18歳になった1855年にナポリに移った。アレサンドロ・フェルゴーラ(Alessandro Fergola:1812-1864)やドメニコ・モレリの弟子になって絵を学んだ。

1854年から1855年はナポリで装飾画家として働いたが、1857年にナポリ王国への陰謀の疑いで逮捕され、1年半、ピエディモンテ・ダリーフェ(Piedimonte d'Alife 後にピエディモンテ・マテーゼとなる)に拘束され、その間、肖像画や静物画を描いて過ごした[1]。1859年以降はイタリア統一運動に加わり、1860年にピエディモンテ・マテーゼで結成された240人の義勇兵団、マテーゼ連隊の一員としてジュゼッペ・ガリバルディの軍とともに戦った。

1861年と1862年にナポリの展覧会、1863年にフィレンツェの展覧会に出展した。1865年から工芸学校などで絵を教えることに重点を置くようになり[1]、1878年からナポリ美術アカデミーで教えるようになり、のちに装飾画の教授になった。 ジェノヴァの美術学校(Accademia Ligustica) の名誉教授や工芸学校の校長も務めた[1]。レース産業のデザイン集や、絵画の基礎の教科書も出版した。亡くなる少し前に、自伝『孤児の思い出』を執筆した[2]

トーマに学んだアーティストには彫刻家のジョヴァンニ・デ・マルティーノ(Giovanni De Martino:1870-1935)や画家のリオネッロ・バレストリエーリ(Lionello Balestrieri:1872-1958) らがいる。

作品 編集

参考文献 編集

  1. ^ a b c Brief biography from the Enciclopedia Italiana @ Treccani.
  2. ^ Dizionario degli Artisti Italiani Viventi: pittori, scultori, e Architetti., by Angelo de Gubernatis. Tipe dei Successori Le Monnier, 1889, page .