ナポリ: Napoli ( 音声ファイル) ; ナポリ語: Napule)は、イタリアの南部にある都市。その周辺地域を含む人口約97万人の基礎自治体コムーネ)。カンパニア州の州都であり、ナポリ県の県都でもある。ローマミラノに次ぐイタリア第三の都市で、南イタリア最大の都市。都市圏人口は約300万人。

ナポリ
Napoli
ナポリの風景
ナポリの旗 ナポリの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
カンパニア州の旗 カンパニア
県/大都市 ナポリ
CAP(郵便番号) 80100
市外局番 081
ISTATコード 063049
識別コード F839
分離集落
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
地震分類 zona 2 (sismicità media)
気候分類 zona C, 1034 GG
公式サイト リンク
人口
人口 966,144 [1](2018-01-01)
人口密度 8,238.6 人/km2
文化
住民の呼称 napoletani
守護聖人 聖ジェンナーロ
(San Gennaro)
祝祭日 9月19日
地理
座標 北緯40度50分0秒 東経14度15分0秒 / 北緯40.83333度 東経14.25000度 / 40.83333; 14.25000座標: 北緯40度50分0秒 東経14度15分0秒 / 北緯40.83333度 東経14.25000度 / 40.83333; 14.25000
標高 17 (0 - 457) [2] m
面積 117.27 [3] km2
ナポリの位置(イタリア内)
ナポリ
ナポリの位置
ナポリ県におけるコムーネの領域
ナポリ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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ナポリ湾に面した港湾都市・工業都市である[4]。古代ギリシア人によって建設された植民市に起源を持ち、13世紀以降はナポリ王国の首都として南イタリアの政治・経済の中心地となった[4]ヴェスヴィオ火山を背景とする風光明媚な景観[4]で知られる観光都市であり、ゲーテをして「ナポリを見てから死ね (vedi Napoli e poi muori)」[注釈 1](『イタリア紀行』より)と言わせた[4]。旧市街地は「ナポリ歴史地区」として世界遺産に登録されている。ナポリ周辺にも、ヴェスヴィオ火山やポンペイの遺跡、カプリ島などの観光地を有する。

名称 編集

地名

形容詞・住民呼称

  • イタリア語:napoletano, -na(ナポレターノ、ナポレターナ)
  • ナポリ語:napulitano, -na(ナプリターナ)
  • ラテン語:neāpolītānus, -na(ネアーポリーターヌス、ネアーポリーターナ)
  • 英語:Neapolitan(ニアポリタン)
  • フランス語:napolitain, -taine(ナポリタン、ナポリテーヌ)

地理 編集

 
ナポリ県概略図

位置・広がり 編集

ティレニア海の一部、ナポリ湾の北岸に位置する都市であり、サレルノから西北西へ46km、ベネヴェントから南西へ53km、首都ローマから南東へ189kmの距離にある[5]。コムーネの面積は117.27 km2に及ぶ[3]ヴェスヴィオ火山は東南東14kmに位置する[5]カプリ島などへフェリー・高速船が通っており、南にソレントアマルフィ海岸が位置する。古代都市ポンペイも見える距離にある。最高地点は450m。

隣接コムーネ 編集

隣接するコムーネは以下の通り。

気候 編集

気候はケッペンの気候区分地中海性気候 (Csa) と温暖湿潤気候 (Cfa) の中間で、夏は暑くやや乾燥し、冬は寒く湿度がある。平均最高気温は5~10月が最高20~30℃、11月~4月が20~13℃。

ナポリの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 13.0
(55.4)
13.5
(56.3)
15.7
(60.3)
18.1
(64.6)
23.0
(73.4)
26.7
(80.1)
29.9
(85.8)
30.3
(86.5)
26.9
(80.4)
22.1
(71.8)
17.1
(62.8)
14.1
(57.4)
20.8
(69.4)
日平均気温 °C°F 8.7
(47.7)
8.8
(47.8)
11.1
(52)
13.2
(55.8)
17.8
(64)
21.4
(70.5)
24.3
(75.7)
24.7
(76.5)
21.4
(70.5)
17.1
(62.8)
12.4
(54.3)
9.8
(49.6)
15.9
(60.6)
平均最低気温 °C°F 4.4
(39.9)
4.5
(40.1)
6.3
(43.3)
8.4
(47.1)
12.6
(54.7)
16.2
(61.2)
18.8
(65.8)
19.1
(66.4)
16.0
(60.8)
12.1
(53.8)
7.8
(46)
5.6
(42.1)
11.0
(51.8)
降水量 mm (inch) 104.4
(4.11)
97.9
(3.854)
85.7
(3.374)
75.5
(2.972)
49.6
(1.953)
34.1
(1.343)
24.3
(0.957)
41.6
(1.638)
80.3
(3.161)
129.7
(5.106)
162.1
(6.382)
121.4
(4.78)
1,006.6
(39.63)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 9.9 9.8 9.5 8.8 5.7 4.0 2.3 3.8 5.8 8.1 10.8 10.7 89.2
平均月間日照時間 114.7 127.6 158.1 189.0 244.9 279.0 313.1 294.5 234.0 189.1 126.0 105.4 2,375.4
出典:World Meteorological Organization[6]

歴史 編集

 
ウンベルト1世のガッレリア
19世紀の建築で、高さ58mのガラス天井を備える
 
ナポリの街並みとナポリ湾
 
セバスチァーノ通り
 
ナポリ大聖堂
 
ヌォーヴォ城 13世紀の建築
 
卵城

ナポリ市は、紀元前6世紀古代ギリシア人(特にアテネ人)の植民活動によって建市されたと考えられている。「ナポリ」の語源はギリシア語の「ネアポリス」(新しいポリス)であり[要出典]、最初に建設された植民都市パルテノペから数キロはなれた場所に新しく建設された町という意味である。その後、ナポリは長くローマ帝国の支配下にあったが、476年西ローマ帝国滅亡後、南イタリアは東ゴート族ランゴバルド族の支配が及ぶなど流動的な状況となった。6世紀になると、東ローマ帝国ユスティニアヌス1世がイタリアの再征服に乗り出し、イタリア半島はラヴェンナを首府とする東ローマ帝国の属州となった。ナポリ市には660年に東ローマ系の公国が設置されている。

11世紀にはノルマン人が南イタリアに到来し、イスラム教徒が支配するシチリア島を征服してシチリア王国オートヴィル朝)を建国するが、ノルマン人の支配は南イタリアでも拡大され、ナポリ公国も1140年ノルマン人の手に落ちた。12世紀にはシチリア王国は婚姻関係によってホーエンシュタウフェン家神聖ローマ皇帝の支配に移った。1224年には異色の皇帝フェデリーコ2世(神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)がナポリ大学を設立した。

フランスの王族シャルル・ダンジューによりホーエンシュタウフェン家のシチリア支配が断絶すると、ローマ教皇クレメンス4世1266年、シチリア王国をシャルル・ダンジューにあてがい、アンジュー家は王国の首都をパレルモからナポリに遷都した。しかし1284年シチリアの晩鐘事件を契機にシチリア島で反乱が起こると、アラゴン王ペドロ3世がシチリアを占領するが、ナポリを中心とする南イタリアはアンジュー家が依然として押さえていたので、王国は2つに分割された。2つの王国は共に「シチリア王国」を公称していたが、この時にナポリ王国が成立したと見ることができる。

トラスタマラ家のアラゴン王アルフォンソ5世はシチリア王を兼ねていたが、内紛続きのナポリ王国を征服して、1443年にナポリ入りし、2つの「シチリア王国」の王を兼ねた。アルフォンソはアラゴン王であるにもかかわらず、ナポリに長く滞在して統治した。1458年のアルフォンソの死後は私生児のドン・フェランテがフェルディナンド1世としてナポリ王位のみを継承するが、失地回復をめざすフランス・ヴァロワ朝シャルル8世がこれにつけ込んで、1494年にナポリを武力占領した。これに対してスペイン(カスティーリャ=アラゴン連合王国)から派遣されたコルドバ将軍は、1503年にナポリを征服し、フランス軍を南イタリアから追放した。ナポリ王家は取り潰され、スペインのナポリ総督によって支配される属州となった。

スペイン継承戦争1701年 - 1714年)のさなか、1707年にオーストリア・ハプスブルク家の軍隊がナポリに入城し、スペインの総督は追い払われた。オーストリアの支配は1734年まで続く。ポーランド継承戦争が起こると、フランス・ブルボン家スペイン・ブルボン家の支援を求め、1734年にスペイン王子でもあるパルマ公ドン・カルロスがナポリに入城してナポリ王カルロ7世として即位、シチリアも回復した。カルロスは1759年にスペイン王カルロス3世として即位した際、ナポリ王位を息子のフェルディナンド4世に譲った。この1734年をもって両シチリア王国の成立とする見方もある。ただこの時は正式名称としては使用されなかった。

ナポレオン戦争の間、ナポリ王フェルディナンドはナポリから追放され、シチリアを領有するのみとなった。ナポリは1806年から1815年にかけてナポレオン・ボナパルトの兄ジョゼフ、次いで妹婿のミュラを王に戴くことになる。1816年にフェルディナンドがナポリとシチリアの王として返り咲くと、間もなく国名を正式に両シチリア王国とした。1860年、両シチリア王国はジュゼッペ・ガリバルディに征服され、翌1861年に成立するイタリア王国に併合された。

第二次世界大戦中、イタリアの敗色が濃厚となる1943年9月9日頃、イギリス軍がナポリに上陸作戦を敢行。上陸を阻止しようとするドイツ軍との間で激しい交戦が行われた[7]。同年10月1日までにドイツ軍は撤退し、連合国軍がナポリに進駐した[8]

1995年世界遺産(文化遺産)『ナポリ歴史地区』として登録された。

社会 編集

社会問題 編集

古くから過密が社会問題になっている。

イタリア以外の外国人が想像する輝く太陽と温暖な気候、陽気な人々というイタリアのイメージは、この都市が元になっている。その一方で、今日でもナポリを拠点とするマフィアカモッラによる影響が強い都市である。

ごみ問題 編集

2007年以降、ナポリではごみの増大に処理場の増設(1994年以降、数回造成されている[9])が追いつかず、街中に未回収のごみが散乱する状態が度々起こっている[10]

ごみが散乱する理由として、マフィアによるごみの不法投棄が挙げられる。1980年代からマフィアがナポリにイタリア北部から運んできた産業廃棄物を埋め始め、この頃からマフィアにとってごみ関連ビジネスが麻薬密売に次ぐ収入源となった。環境アナリストによると、違法ごみビジネスによって、マフィアは年間25億ユーロにも上る収益を得ているという[11][12]

健康被害 編集

イタリアの研究機関による調査で、ナポリ近郊では他の地域と比べてガンの発生率が上昇していることが判明した。これはカモッラが1980年代からゴミ処理ビジネスに参入し、有害物質を含むゴミを不法投棄したことが関連しているという。特にナポリ県北部はナポリ湾などの主要な観光地の近辺であるにもかかわらず、不法な焼却や投棄が続けられた結果、地元が「死の三角形(Triangle of Death)」と呼ばれるほど環境が悪化している[13]

観光 編集

「世界三大美港」の一つとされることがある[14]。また、日本では「世界三大夜景」の街の一つともされる。

建築物

博物館、美術館

遺跡

自然

 
ナポリのパノラマ 右にヴェスヴィオ山

交通 編集

文化 編集

食文化 編集

 
ナポリピッツァ
 
スフォリアテッレ

スポーツ 編集

サッカー 編集

イタリアのプロサッカーリーグであるセリエAに在籍する、SSCナポリのホームタウンとしても知られる。1986-87シーズンおよび1989-90シーズンでは、当時アルゼンチン代表だったディエゴ・マラドーナの活躍によってリーグ優勝を果たしている。コッパ・イタリアでは通算6度の優勝を飾っており、国内屈指の名門クラブとして名高い。

2022-23シーズンにも、ヴィクター・オシムヘンフヴィチャ・クヴァラツヘリアなどの活躍により33年ぶり3度目の優勝を成し遂げた。

姉妹都市 編集

人物 編集

著名な出身者 編集

ゆかりの人物 編集

色名 編集

注釈 編集

  1. ^ 日本のことわざでいうところの「日光を見ずに結構と言うな」

出典 編集

  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2018 by sex and marital status” (英語). 2019年2月2日閲覧。
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Napoli (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年10月3日閲覧。
  3. ^ a b 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Napoli (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年10月3日閲覧。
  4. ^ a b c d 堺憲一. “ナポリ”. 日本大百科全書ニッポニカ(コトバンク所収). 2016年4月20日閲覧。
  5. ^ a b 地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2016年4月20日閲覧。
  6. ^ Weather Information for Naples”. World Meteorological Organization (2011年6月). 2012年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月7日閲覧。
  7. ^ 米・英軍、ナポリに上陸『毎日新聞』昭和18年9月11日夕刊(東京版)(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p407 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  8. ^ 連合軍、ナポリを占領『朝日新聞』昭和18年10月3日夕刊(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p408)
  9. ^ “ナポリの未回収ごみ問題、混迷極める”. AFP. (2008年1月7日). https://www.afpbb.com/articles/-/2333487?pid=2504001 2011年8月22日閲覧。 
  10. ^ “ナポリでまたごみ問題 処理場不足、2千トン路上に”. 共同通信. (2011年4月9日). https://web.archive.org/web/20110411213654/http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011040901000063.html 2011年8月22日閲覧。 
  11. ^ ナポリの未回収ごみ問題に見るマフィアのごみビジネスの現状 AFP 2008年1月10日
  12. ^ 伊ナポリのごみ不法投棄、健康被害深刻 「死の三角地帯」 AFP 2013年11月24日
  13. ^ 伊ナポリのごみ不法投棄、健康被害深刻 「死の三角形」
  14. ^ a b c ナポリ市(イタリア)”. 鹿児島市. 2013年10月1日閲覧。
  15. ^ ナポリの街はお祝いムード、ピザ職人技が無形文化遺産に AFP(2017年12月8日)2017年12月14日閲覧
  16. ^ a b 姉妹(友好)提携情報”. 自治体国際化協会. 2012年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月1日閲覧。
  17. ^ 日本・イタリア間で提携された姉妹都市(リスト)”. 在イタリア日本国大使館イタリア語版. 2013年10月1日閲覧。

参考文献 編集

  • 澤井繁男「ナポリの肖像 血と知の南イタリア」中公新書(2001年)、書籍情報: ISBN 4-12-101609-2

関連項目 編集

外部リンク 編集

公式

観光