ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse, 1849年4月6日 - 1917年2月10日)は、イギリスの画家。神話や文学作品に登場する女性を題材にしたことで知られる。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス John William Waterhous | |
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生誕 | 1849年4月6日![]() |
死没 | 1917年2月10日 (67歳)![]() |
国籍 | ![]() |
代表作 | シャロットの女、人魚 |
運動・動向 | ラファエル前派 |
生涯編集
1849年、ウィリアム・ウォーターハウスと妻イザベラの子として、ローマに生まれる。両親共に画家であった。一家は、ジョンが5歳のときに、当時設立されたばかりのヴィクトリア&アルバート美術館の近くのサウス・ケンジントンに引っ越す。1870年に英国王立美術院に入るまで、若い頃のジョンはずっと父・ウィリアムの元で学んでいた。
彼の初期の作品のテーマは、ローレンス・アルマ=タデマとフレデリック・レイトンに影響を受けた古典的なものであった。また、これらの作品は英国王立美術院の英国芸術家協会とダドリー・ギャラリーに展示された。
1874年25歳のとき、ジョンは古典的な寓意画 『眠りと異母兄弟の死』を英国王立美術院の夏の展示会で発表する。[1]この絵はとても好評であったため、1917年に死去するまでほとんど毎年、彼は英国王立美術院の展示会に招かれた。
1883年、彼はロンドンのイーリングの美術教師の娘エステル・ケンワージーと結婚する。エステル自身も絵を描き、花の絵を英国王立美術院の展示会などに出品している。この夫婦に子供はできなかった。
1895年、ジョンは英国王立美術院の最高芸術院会員に選ばれる。彼はセントジョーンズウッドの美術学校で教鞭を取り、同じ地の芸術クラブにも参加していた。また、英国王立美術院評議会の議員もしていた。
代表作編集
- シャロットの女
アーサー王物語の登場人物・騎士ランスロット(Lancelot)の愛を得られぬことを知った悲しみのあまりに死を選ぶ乙女を描いた作品、"シャロットの女" が、ウォーターハウスの最も有名な作品であろう。この乙女の題材は、実際にはそれぞれ異なる3種類のバージョンがある。
3種類のシャロットの女編集
「ヒュラスとニンフたち」に関する論争編集
2018年1月、ソニア・ボイスの作品プロジェクトの一環として、マンチェスター市立美術館のキュレーターたちはウォーターハウスのヒュラスとニンフたちを展示から撤去し、その場所を空いたままにした。女性の裸体の芸術的描写をどのように展示するべきかという点について議論を促すためである。来場者の意見を公開するために来場者にポストイットが配布され、この絵のハガキはギフトショップから撤去された。その美術館の行いは、検閲、ピューリタニズム(清教徒の厳格主義)、そしてポリティカル・コレクトネスであるとの批判を伴った反発を起こしてしまった。この絵は一週間の不在の後に再展示された。[3]
作品集編集
ウォーターハウスは生涯に118の作品を残している。以下はその一部である。
1870年代編集
オンディーヌ "Undine"
1872
1880年代編集
1890年代編集
オデュッセウスに杯を差し出すキルケ "Circe Offering the Cup to Ulysses"
1891聖セシリア "Saint Cecilia"
1895
1900年代編集
1910年代編集
デカメロン A Tale from the Decameron
1916ミランダ Miranda -- The Tempest
1916トリスタンとイゾルデ Tristan and Isolde
1916
日本語文献編集
参照編集
- ^ Trippi, Peter; Prettejohn, Elizabeth; Upstone, Robert. J.M. Waterhouse: The Modern Pre-Raphaelite Gallery Guide. The Royal Academy of Art. 2009.
- ^ ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス - Find a Grave(英語)
- ^ “Victorian nymphs painting back on display after censorship row”. BBC News. (2018年2月2日) 2018年2月4日閲覧。