ジョン・R・ペリー (護衛駆逐艦)

インドネシア共和国海軍所属の艦
艦歴
発注
起工 1956年1月4日
進水 1958年7月29日
就役 1959年5月5日
退役 1973年2月20日
その後 インドネシア海軍に移管
除籍 1973年2月20日
性能諸元
排水量 基準:1,314トン
満載:1,970トン
全長 312 ft (95.1 m)
全幅 38.9 ft (11.84 m)
吃水 満載:12.1 ft (3.7 m)
機関 マルチプル・ディーゼル方式
フェアバンクス・モース38ND-1/8
ディーゼルエンジン (1,700 bhp)4基
1軸推進
最大速 20-22ノット
乗員 士官12名、兵員159名
兵装 Mk.34 3インチ単装速射砲2基
ヘッジホッグMk.11対潜迫撃砲2基
Mk 32 3連装短魚雷発射管2基
爆雷投下軌条(竣工時)1条
FCS Mk.70 砲FCS1基
Mk.105 水中FCS1基
レーダ AN/SPS-6 対空捜索用1基
AN/SPS-10 対水上捜索用1基
ソナー AN/SQS-4 艦底装備1基

ジョン・R・ペリー (USS John R. Perry, DE-1034) は、アメリカ海軍護衛駆逐艦クロード・ジョーンズ級護衛駆逐艦の2番艦。艦名はジョン・R・ペリー少将に因む。

艦歴 編集

ジョン・R・ペリーは1956年1月4日ルイジアナ州エイボンデールエイボンデール・マリンウェイズ社で起工する。1958年7月29日にジョン・R・ペリー夫人(ペリー少将の未亡人)によって命名、進水し、1959年5月5日に艦長W・L・アトキンソン少佐の指揮下就役した。

ジョン・R・ペリーは北ヨーロッパおよびスカンディナヴィア諸国への整調巡航を行い、続いてキューバグアンタナモ湾へ向かった。その後艦隊ソナー学校の訓練艦としてフロリダ州キーウェストを拠点として活動し、対潜水艦作戦のためにカリブ海の主要港を訪問した。キューバ危機の際にはケネディ大統領がキューバ封鎖のために派遣した大西洋艦隊の内の1隻であった。ジョン・R・ペリーは封鎖を強化するためキューバ沖合をパトロールした。

その後はキーウェストを拠点としたソナー訓練艦の任務を再開し、1965年まで継続した。この主要な任務はチャールストン海軍工廠でのオーバーホールや、カリブ海での対潜水艦戦演習、アルファ任務部隊との東への展開、ベネズエラ海軍との共同演習で中断された。この間、ジョン・R・ペリーは海軍の対潜水艦戦能力の向上に貢献し、増大するソビエト連邦潜水艦の脅威から国を守るという自己の能力を確実に完成された。

1966年5月1日に太平洋艦隊に転属となった。16日にキーウェストを出航し、3日後にパナマ運河を通過、6月4日に真珠湾に到着し、1967年半ばまでハワイ海域で活動した。

1970年代初めに退役した。1973年2月20日に除籍され、インドネシア海軍に移管された。インドネシアではサマディクン(KDI Samadikun, D-1) と改名して活動、1982年には艦番号がDE-341に変更された。サマディクンは2005年9月8日に退役した。

参照 編集

外部リンク 編集