ジョヴァンナ・ディ・サヴォイア (ブルターニュ公妃)

ジョヴァンナ・ディ・サヴォイアイタリア語:Giovanna di Savoia, 1310年ごろ - 1344年6月29日)は、ブルターニュ公ジャン3世の妃[1]。1329年の父サヴォイア伯エドアルドの死より1339年まで、サヴォイア伯領の継承を主張した。フランス語名はジャンヌ・ド・サヴォワ(Jeanne de Savoie)。

ジョヴァンナ・ディ・サヴォイア
Giovanna di Savoia
コルドリエ教会に安置されたジョヴァンナと母ブランシュの墓像

出生 1310年ごろ
死去 1344年6月29日
ブルゴーニュ公領、ディジョン
埋葬 ブルゴーニュ公領、ディジョン、コルドリエ教会
配偶者 ブルターニュ公ジャン3世
家名 サヴォイア家
父親 サヴォイア伯エドアルド
母親 ブランシュ・ド・ブルゴーニュ
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生涯 編集

ジョヴァンナはサヴォイア伯エドアルドブランシュ・ド・ブルゴーニュの娘として、1310年ごろに生まれた[2]

1329年、ジョヴァンナは19歳の時に、43歳のブルターニュ公ジャン3世と結婚した。ジャン3世にとってジョヴァンナは3番目の妃であり、2番目の妃イサベルは前年に死去していた。

ジョヴァンナが結婚した年に父エドアルドが死去した。ジョヴァンナは自身がエドアルドの唯一の子であったことから、自身がサヴォイア伯位の継承者であると考えた。しかし、サヴォイアではこれまで女性君主はおらず、相続争いに発展した。ジャンヌの叔父アイモーネサリカ法に従うサヴォイア貴族の支持を得て、最終的にアイモーネがサヴォイア伯位を継承した[2]

夫ジャン3世はジョヴァンナの主張を支持した。結婚後、ジョヴァンナは改めて継承を主張し、叔父に対抗するためヴィエノワのドーファン・ギーニュ8世と同盟を結んだ[2]。最終的に、1339年11月22日にフランス王フィリップ6世によってまとめられた合意により[3][4]、ジョヴァンナは6,000リーブルの年金を受け取る代わりにサヴォイアの継承権を放棄した[2]

ジョヴァンナとジャン3世の結婚生活は12年間続いたが、2人の間には子供が生まれず、1341年4月30日にジャン3世は死去した。ジャン3世が嗣子なく死去したことにより、ジャン3世の異母弟ジャン・ド・モンフォールと姪ジャンヌの間でブルターニュの継承をめぐって争いが勃発した(ブルターニュ継承戦争)。

1343年に叔父アイモーネが死去し、ジャンヌは9歳の従兄弟アメデーオ6世に対し再びサヴォイアの継承権を主張した。ジョヴァンナは従兄弟らへの腹いせに、遺言においてサヴォイア伯領をオルレアン公フィリップに譲った。最終的に、ジャンヌと同様の和解交渉が行われ、フィリップは5,000リーブルの年金と引き換えにサヴォイアに対する主張を放棄した[2]

ジャンヌは1344年6月29日に死去した。

脚注 編集

  1. ^ Cox 1967, p. 22.
  2. ^ a b c d e Cox 1967, pp. 53–55.
  3. ^ The Inventory of the State Archives of Turin, volume 104, page 51, fascicule 9.1
  4. ^ Guichenon 1780, p. 170.

参考文献 編集