ジョーンズ・アンド・ロックリン・スチール

ジョーンズ・アンド・ロックリン・スチール英語: Jones and Laughlin Steel Company [1] )は「J&L」(発音はJane Ell)または「J&L Steel」とも呼ばれていて、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグのダウンタウン近くに本社工場を構える鉄鋼メーカーであった。1852年にバーナード・ロース(Bernard Lauth)とB.F.ジョーンズ(B. F. Jones)によって設立され、翌々年にはロースの持ち株がジェームズ・ロックリン(James H. Laughlin)に買われている。キャサリン・ヘプバーンの母親側の叔父は、この工場で長らく技術者として働いていた。

モノンガヒラ川にかかる「ホット・メタル橋」
ジョーンズ・ロックリン・スチールのサウスサイド工場の煙突群(1955年)

短史 編集

ジョーンズ・アンド・ロックリン・スチールは1852年にバーナード・ロース(Bernard Lauth)とB.F.ジョーンズ(B. F. Jones)によって設立され、翌々年はロースの持ち株がジェームズ・ロックリン(James H. Laughlin)に買われている。始めは高炉があるだけの製鉄会社であったが、1886年から他の工場で鋼鉄の生産も始めた。高炉工場はペンシルベニア州ピッツバーグのダウンタウンから4キロメートル南東のモノンガヒラ川に沿って建てられ、その後その他の工場がこの川添いと、ダウンタウンでアレゲニー川と合流してできるオハイオ川添いに建てられたので、モノンガヒラ川上には「ホット・メタル橋」(Hot Metal Bridge、ピッツバーグ市歴史建造物)が掛けられて、半製品の運搬をスムーズにした。

1905年にはオハイオ川に沿ったアリクィッパ(Aliquippa)に新工場建設された。ジョーンズ・アンド・ロックリン・スチールは「J & L」(発音はJane Ell)または「J&L Steel」とも呼ばれていて、近くに炭鉱を持っていた時期もあった。当時アンドリュー・カーネギーが作った巨大なカーネギー製鋼会社(Carnegie Steel Company、その後のU.S.スチール)に対して、ピッツバーグでは唯一の対抗会社であった。

L&Jが注目を浴びたのは、1968年5月にコングロマリットリング・テムコ・ボート(L-T-V)が63パーセントの株式を買う提案をした事件で、翌月J&Lはこれに同意して買われ、1974年にはL-T-VはL&Jを完全に配下に置いた。1981年には、オハイオ川のさらに下流のオハイオ州にヤングスタウン鋼板・製管工場(Youngstown Sheet and Tube)を建設した。1984には、リパブリック・スチール(Republic Steel)と合併して、LTVスチール(LTV Steel)となっている。[2]

熱間圧延から混合開発へ 編集

以前高炉があった工場用地(モノンガヒラ川の北側)は「南オークランド学研センター」(Pittsburgh Technology Center)として再開発された。またサウス工場(SouthSide Works)用地は住宅用に再開発された。両用地を結ぶ「ホット・メタル橋」は人道兼バイク用道路とされて、これはアレゲーニー山脈を超えて行く「大アリゲニー遊歩道」(Great Allegheny Passage)の一部となっている。[3]

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ スコットランド起源の「Laughlin」は米国で「ラフリン」、「ローフリン」などとも発音する。
  2. ^ リパブリック・スチール (コトバンク)
  3. ^ Trail Maps for the Great Allegheny Passage and C&O Canal trail

外部リンク 編集