スタロドゥーブ・ナ・クリャージメ
スタロドゥーブ・ナ・クリャージメ(ロシア語: Стародуб-на-Клязьме)は中世ルーシの都市である。ザレシエ(ru)に立地し、1218年から15世紀初頭までスタロドゥーブ公国の首都であった[注 1]。現在の行政区でいえばヴラジーミル州コヴロフから北東におよそ12km強[注 2]の位置にあり、同州コブロフ地区(ru)の村・クリャジミンスキー・ゴロドク(ru)内に含まれる、クリャージマ川に面した都市(「ナ・クリャージメ」は「クリャージマ川の」の意)であった。
歴史
編集スタロドゥーブ・ナ・クリャージメは、1152年にユーリー・ドルゴルーキーによって建設された。1238年にはウラジーミル大公ヤロスラフが末弟のイヴァンに分領地としてスタロドゥーブ・ナ・クリャージメを与えた[1][2]。以降、ルーシの小さな公国として、イヴァンの子孫がスタロドゥーブ・ナ・クリャージメを統治したが[1]、1363年にドミートリー・ドンスコイがスタロドゥーブ公位の決定権を掌握し、イヴァンの子孫は追放された[3]。また、スタロドゥーブ・ナ・クリャージメはモスクワ大公国の勢力圏に組み込まれた。動乱時代の1609年には、ポーランド軍によって街が破壊されている[2]。
18世紀末 - 19世紀初頭のうちに、帝政ロシアのヴラジーミル県コヴロフ郡(ru)のクリャジミンスキー・ゴロドク村となった。