スティーヴ・ナイSteve Nye)は、さまざまなアーティストを手がけたイングランド音楽プロデューサー

スティーヴ・ナイ
Steve Nye
出生名 Stephen Jonathan Nye[1]
職業 音楽プロデューサー

略歴 編集

ナイは、1971年にロンドンのAIRスタジオでテープ・オペレーターとしてキャリアをスタートしたのは、そこで音楽プロデューサーのルパート・ハインに見出されたからだった[2][3]。そこを拠点とし、スティーヴィー・ワンダーロキシー・ミュージックフランク・ザッパなど、音楽業界で有名な数多くのアーティストたちのエンジニアリング(そして後にプロデュース)をするようになった。

彼の有名な作品には、ブライアン・フェリー(1977年に『イン・ユア・マインド (あなたの心に)』)、ペンギン・カフェ・オーケストラXTC(1983年に『ママー』)、ジャパン(1981年に『錻力の太鼓』)、デヴィッド・シルヴィアン(1984年に『ブリリアント・トゥリーズ』、1986年に『ゴーン・トゥ・アース』、1987年に『シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイヴ』)、クラナドTM NETWORK、スケアリー・シーヴス(Scary Thieves)、フランク・ザッパ(『ジョーのガレージ』)などのアーティストたちによるものが含まれている。

エンジニアリングとプロデュースに加えて、ナイはキーボードの演奏も行った。1976年から1988年まで、ペンギン・カフェ・オーケストラのメンバーを務めた[3]。ナイは説明する:

「ペンギン・カフェ・オーケストラは、私が取り組んでいる音楽面における代表的な例です。それは私がいつも戻ってくるものです。シンプルでとても強く、そのキャラクターがどこから来たのかよくわかりません。私たちは音楽一家のようなものです。私たちはお互いに近い存在で、一緒に演奏することを楽しんでいます」[2]

脚注 編集

外部リンク 編集