ズヴェニスラヴァ・フセヴォロドヴナ

ズヴェニスラヴァ・フセヴォロドヴナ(あるいはアナスタシヤ・フセヴォロドヴナ、ズヴェニスラヴァ・チェルニゴフスカヤ)ロシア語: Звенислава Всеволодовнаポーランド語: Zwinisława Wsiewołodowna、? - 1155/60年)は、キエフ大公フセヴォロド2世マリヤ(キエフ大公ムスチスラフ1世の娘)との間の子である。シロンスク公ボレスワフの妻となった。

ズヴェニスラヴァ・フセヴォロドヴナ
Звенислава Всеволодовна

死去 1155/60年
配偶者 シロンスク公ボレスワフ1世ヴィソキ
子女 ヤロスワフ
オルガ
家名 リューリク家
父親 キエフ大公フセヴォロド2世
母親 マリヤ・ムスチスラヴナ
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生涯編集

ズヴェニスラヴァは1142年クラクフで、ヴロツワフの統治者であったシロンスク公ボレスワフと結婚した。ボレスワフはピャスト朝に連なる、ポーランド大公ヴワディスワフの長男だった。キエフ大公の娘であるズヴェニスラヴァとの結婚は、ボレスワフにとって、自分の異母弟たち(なお、弟にはミェシュココンラトがいる)との闘争における自身の立場を強化しようと画策したものだった。

しかし、結果としてはこの結婚はボレスワフに優位を寄与するものとはならず、まもなくボレスワフは異母弟によって、領国から追放された。ボレスワフと家族は神聖ローマ帝国コンラート3世フリードリヒ1世を頼り、滞在するための城の提供を受けた。

ズヴェニスラヴァはボレスワフとの間にヤロスワフとオルガの2人の子を産み、ポーランドに戻ることなく死去した。

参考文献編集