タワウ
マレーシアの都市
タワウ(Tawau)はマレーシア・サバ州にある都市で、コタキナバル、サンダカンに次ぐサバ州で三番目に大きい都市である。
タワウ Tawau | |||
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位置 | |||
位置 | |||
座標 : 北緯4度17分53秒 東経117度52分59秒 / 北緯4.29806度 東経117.88306度 | |||
行政 | |||
国 | マレーシア | ||
州 | サバ州 | ||
市 | タワウ | ||
地理 | |||
面積 | |||
市域 | 6,125 km2 (2,365 mi2) | ||
人口 | |||
人口 | (2010年現在) | ||
市域 | 113,809人 | ||
人口密度 | 60.54人/km2 | ||
その他 | |||
等時帯 | マレーシア標準時 (MST) (UTC+8) | ||
公式ウェブサイト : mpt.sabah.gov.my |
地理
編集歴史
編集- 1890年代、タワウの人口はボルネオ周辺の島などからやってきた約200人であった。彼らはタワウラマ村に定住し、漁業や稲作農家となり、オランダと貿易を行った。
戦前の日本企業の進出
編集- 1916年2月、久原財閥のグループ会社である久原鉱業所が北ボルネオ政府より原生林を租借し、久原農園(Kuhara Estate)の経営を開始した。ゴム、ココナッツ、コプラ等を栽培した。
- 1928年3月、久原鉱業所は日本産業株式会社の子会社となる。
- 1934年3月、日本産業株式会社からタワウ農園事業を分離され、日本産業護謨株式会社となる。
- 1939年8月、日産農林工業株式会社に社名変更。
- 1945年、日本の敗戦に伴い農園の資産を没収され、邦人は強制帰国させられた。
- 2021年現在でも、タワウ市内の幹線道路に「久原通り(Jalan Kuhara)」という名称が残っている。日産農林工業株式会社は、2021年現在は兼松サステックとして存続している。
交通
編集空港
編集バス
編集港湾
編集道路
編集姉妹都市
編集外部リンク
編集参考文献
編集- 『東マレイシア概説 -サバ・サラワク・ラブアン -』 上東輝夫著 平成11年(1999) P.137-P.138