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ディエゴ・デ・パントーハ(Diego de Pantoja, 1571年 - 1618年)は、スペイン出身のイエズス会修道士。マテオ・リッチを助けてで宣教活動を行った。著書『七克』がよく知られる。

中国名は龐迪我(Páng Díwǒ、我は峩(é)と書かれることもある)。

目次

略歴編集

パントーハはバルデモーロ(現マドリード州南部)に生まれた。1589年にイエズス会に入会した。本来は日本で宣教活動を行う予定だったが、1597年にマカオに到着したとき、中国宣教師が必要とされていたために南京へ行ってマテオ・リッチを手伝った。1601年にリッチに同行して北京に移った。1610年のリッチの没後、サバティーノ・デ・ウルシスと共同で西洋の天文学の書籍を中国語に翻訳した[1]

1616年に沈㴶(しんかく)がキリスト教排撃を起こすとマカオに逃がれ、そこで没した。

主な著作編集

パントーハのもっとも有名な著作である『七克』(1614年序)は伏傲・解貪・坊淫・熄忿・塞饕・平妬・策怠の全7巻から構成され、克罪七端(七元徳)によって罪宗七端(七つの大罪)を克服すべきことを西洋の古今の例を引いて述べている。李之藻の叢書『天学初函』に収録された。

『七克』では中国以外でも読まれた。朝鮮では李瀷『星湖僿説』巻11で『七克』を取りあげている[2]。日本では平田篤胤『本教外編』下巻が『七克』そのものである。

中国語による著作にはほかに『龐子遺詮』4巻[3]、『天主実義続篇』(共著)[4]、『海外輿図全説』2巻[5]などがある。

はじめて北京に行ったころに、パントーハはトレド大司教にあてて中国におけるリッチらの宣教状況を報告する手紙を書いた。手紙は「イエズス会神父らの中国入国に関して」(Relación de la entrada de algunos padres de la compañía de Iesus en la China)の題で出版された[6]。この本は大きな反響を呼んで何度も再版され、すぐにフランス語イタリア語ドイツ語ラテン語スペイン語版が出現した[7]

脚注編集

  1. ^ 明史』暦志一。「(万暦)三十八年(中略)大西洋帰化遠臣龐迪峩・熊三抜等携有彼国歴法、多中国典籍所未備者。乞視洪武中訳西域歴法例、取知歴儒臣率同監官、将諸書尽訳、以補典籍之缺。」外国列伝にも同じ話を載せる
  2. ^ 李瀷 『星湖僿説』巻11・七克。
  3. ^ Pangzi yiquan 龐子遺詮, The Ricci Institute Library Online Catalog, http://riccilibrary.usfca.edu/view.aspx?catalogID=2833 
  4. ^ Tianzhu shiyi xupian 天主實義續篇, The Ricci Institute Library Online Catalog, http://riccilibrary.usfca.edu/view.aspx?catalogID=14426 
  5. ^ 『明史』芸文志二
  6. ^ Pantoja, Diego de, S.J. (1605). Relacion de la entrada de algunos padres de la Cõpañia de Iesus en la China y particulares sucessos q tuvieron. http://purl.pt/16628.  (Biblioteca Nacional de Portugal)
  7. ^ Barnes, Linda L (2009). Needles, Herbs, Gods, and Ghosts: China, Healing, and the West to 1848. Harvard University Press. p. 39. ISBN 0674020545. 

外部リンク編集