デイジー・チェインソー

デイジー・チェインソー[1]Daisy Chainsaw)は、1989年から1994年にかけて活動したイングランドのロック・グループで、ギタリスト兼ソングライターのクリスピン・グレイによって結成された。グループのオリジナルのリード・ボーカリストであるケイティ・ジェーン・ガーサイドは、バンド初期のEPと1992年のデビュー・アルバム『イレヴンティーン』に参加し、1993年に脱退した。

デイジー・チェインソー
Daisy Chainsaw
ケイティ・ジェーン・ガーサイド(1990年)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル オルタナティヴ・ロックインディー・ロック、ガレージ・パンク、ノイズロック
活動期間 1989年 - 1995年
レーベル Deva、ワン・リトル・インディアンA&M(アメリカ)
旧メンバー ケイティ・ジェーン・ガーサイド
クリスピン・グレイ
リチャード・アダムス
ヴィンス・ジョンソン
ベリンダ・リース

略歴 編集

ケイティ・ジェーン・ガーサイドが、ギタリストのクリスピン・グレイが音楽誌に掲載した広告に応じた後、バンドは1989年に結成された。彼らのギグには、ブドウの木や縫いぐるみ人形がステージ全体に散らばり、ガーサイドは汚れたガウンを着て哺乳瓶からジュースを飲みながらのたうち回っていた[2][3]

バンドは、主にITVの『The Chart Show』や、Channel4の『The Word』というプライムタイムの番組への出演により、ヒット・シングル「ラヴ・ユア・マネー」を含むEP『Love Sick Pleasure』で成功を収めた。しかし、ガーサイドが喉の感染症を患っていたため、BBC TVの『トップ・オブ・ザ・ポップス』への出演を辞退しなければならなかった。「ラヴ・ユア・マネー」は、1992年2月に全英シングルチャートで26位となった[4]

マドンナのレーベルであるマーヴェリック・レコードとの契約の申し出を断り、後にインディーズ・レーベルのワン・リトル・インディアンと契約を交わした。続くシングルの「Pink Flower」(全英65位[4])と「Hope Your Dreams Come True」は、全英アルバムチャートの62位に達した[4]デビュー・アルバム『イレヴンティーン』(1992年)と同様、適度な成功を収めただけとなった。

『イレヴンティーン』をサポートするため、新作『エヴリ・グッド・ボーイ・ディザーヴ・ファッジ』(1991年)をサポートするグランジ・バンドのマッドハニーや、デビュー作『プリティ・オン・ジ・インサイド』(1991年)をサポートするオルタナティヴ・ロック バンドのホールと共に、バンドはイギリスで大規模なツアーを行った。ホールのフロント・ウーマンであるコートニー・ラブは、ケイティ・ジェーン・ガーサイドのことを、自身とベイブズ・イン・トイランドのキャット・ビーエランドと並べて「最初の真のライオット・ガール」の1人として挙げたが、これらのバンドのどれもがライオット・ガールの動きに直接関係してはいなかった[5][6]

1992年、彼らはシープ・オン・ドラッグスとエレファント・ウィッチと一緒に英国ツアーを行った[7]

1993年、ガーサイドがバンドを脱退し、音楽シーンと世間の目から姿を消した。彼女のステージ上での躁病の演技とインタビューでの奇妙な行動のために、ガーサイドは精神病に陥ったという噂が広まった。伝えられるところによると、ガーサイドは湖水地方の家に引っ越しており[8]、1999年まで公に知られることはなかった。

ベリンダ・リース (かつてのQueen Bのメンバー、ロンドンレコード、1990年)がこの時点で、デイジー・チェインソーのリード・ボーカリストとして参加し、再びワン・リトル・インディアンと契約して、デイジー・チェインソー最後のアルバム『フォー・ゼイ・ノウ・ノット・ホワット・ゼイ・ドゥ』をレコーディングしている。1993年にアルバムを宣伝するためにイギリスをツアーした後、アルバムはその翌年にリリースされた。リースは他のプロジェクトとコラボレートするため、アルバムのリリース前に脱退し、1994年にリリースされたテリー・ホールのアルバム『ホーム』で歌っている。彼女は、シングル「Forever J」のビデオとフロント・カバーにもフィーチャーされている。

残りの3人のメンバーは、解散する前に、ディジー・Q・ヴィッパー (Dizzy Q Viper)と改名し、ボーカルにクリスピン・グレイを起用したEPをリリースした。ディジー・Q・ヴィッパーの後に、ディジー・Q・ヴィッパーのメンバーに花代がリードボーカルとして加わったバンドであるヴァピッドリー (Vapid Dolly)が結成された。新世紀に入り、ガーサイドとグレイは音楽的な再会を果たし、クイーンアドリーナを結成した[9]。ガーサイドは現在ライアー、フラワー (Liar, Flower)[10]で、グレイはスターシャ・リー (Starsha Lee)で活動している。

クリスピン・グレイは、2021年5月、その後のバンドに加えて、デイジー・チェインソーの結成と歴史について詳しくインタビューを受けた[11]

ディスコグラフィ 編集

スタジオ・アルバム 編集

  • 『イレヴンティーン』 - Eleventeen (1992年、One Little Indian)
  • 『フォー・ゼイ・ノウ・ノット・ホワット・ゼイ・ドゥ』 - For They Know Not What They Do (1994年、One Little Indian)

EP 編集

  • Love Sick Pleasure (1991年、Deva)
  • You're Gruesome (1995年、95 Cheapskates)

シングル 編集

  • 「ラヴ・ユア・マネー」 - "Love Your Money" (1991年)
  • "Pink Flower" / "Room Eleven" (1992年)
  • "Hope Your Dreams Come True" (1992年)
  • "The Future Free" (1994年)
  • "Love Me Forever" (1994年)

脚注 編集

  1. ^ デイジー・チェインソウ」の表記もある。
  2. ^ Music Might: Daisy Chainsaw”. Rock Detector. 2011年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月26日閲覧。
  3. ^ Daisy Chainsaw segment, RapidoYouTube
  4. ^ a b c Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 138. ISBN 1-904994-10-5 
  5. ^ Garland, Chris Bethell,Emma (2018年10月8日). “Searching for Utopia: An Interview with KatieJane Garside”. Vice.com. 2019年12月3日閲覧。
  6. ^ KatieJane Garside: Biography”. BBC. 2011年1月2日閲覧。
  7. ^ Chainsaw Massacre 2½”. The List (1992年3月13日). 2019年7月1日閲覧。
  8. ^ KatieJane Garside Biography”. Tout Part Out. 2011年2月9日閲覧。
  9. ^ Exposure: Queen Adreena”. The List (2000年5月25日). 2019年7月1日閲覧。
  10. ^ Ep181: KatieJane Garside (Daisy Chainsaw, Liar,Flower, Queen Adreena)” (英語). Conan Neutron's Protonic Reversal (2020年6月24日). 2020年6月24日閲覧。
  11. ^ Interview with Crispin Gray (Guitarist for Starsha Lee; ex-Queenadreena, ex-Daisy Chainsaw)”. YouTube. 2021年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月21日閲覧。

外部リンク 編集