ドレ・テムルDöre Temür、生没年不詳)は、チンギス・カンの次男のチャガタイの子孫で、モンゴル帝国の皇族。

概要

編集

オゴデイ・ウルスを併合し、チャガタイ・ウルスを再興させたドゥアの息子として生まれた。兄弟のゴンチェクケベクエセン・ブカらが相継いで亡くなったため、チャガタイ・ウルス君主となった。後述するように、東方の大元ウルスとは比較的友好的な関係にあったと見られる。

しかしドレ・テムルもまた早世し、兄弟のタルマシリンが後を継いだ。

大元ウルスにおける記録

編集

大元ウルスのジャヤガトゥ・カアン(文宗トク・テムル)の治世に編纂された『経世大典』の「輿地図」には当時のジョチ・ウルス、チャガタイ・ウルス、フレグ・ウルスの領域が示されているが、この地図でチャガタイ・ウルスの君主はドレ・テムル(篤来帖木児)と記されている[1]

また、この『経世大典』「輿地図」の情報を踏まえて編纂された『元史』巻63地理志6には「西北地附録」として、「篤来帖木児」の名義のもとチャガタイ・ウルス領の諸都市の名称が記録されている。

脚注

編集
  1. ^ 宮2007،116-117頁

参考文献

編集
  • 宮 紀子『モンゴル帝国が生んだ世界図』日本経済新聞出版社、2007年