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ナイトハルト・フォン・ロイエンタール

ナイトハルト・フォン・ロイエンタール(Neidhart von Reuental, 13世紀前半)は、中世ドイツのきわめて重要な叙情詩人である。ナイトハルト作とされる作品は150編、約1,500詩節に及び、その内の55編には曲が付されている。ただ、どの歌、どの詩節が詩人自身の本当の作品か、後代のナイトハルト風の作品(いわゆる偽作)かは必ずしも明らかではない。作品を伝える写本の多様さから、15/6世紀に至るまで広く彼の歌が愛好されたことは明瞭だろう。内容面・形式面で従来のミンネザングの「革新者」であり、続く世代に大きな影響を与え、またナイトハルト伝説を生むことにもなった。

生涯編集

ナイトハルトは自らを騎士としている。バイエルン出身らしい。ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハは『ヴィレハルム』(L. 312,12)[1]でナイトハルトに言及している。『ヴィレハルム』は1212年から1217年の間に執筆が始まり、完成は1217年以降とされるので[2]、ナイトハルトは1210年から1220年の間にはすでに有名な詩人であったと思われる。また、1280年頃成立の『ヘルムブレヒト物語』には、故人として言及されている[3]

ザルツブルク大司教エーバーハルト・フォン・レーゲンスブルク2世[4](大司教在位1200-1246)は後援者の一人であったと思われる[5]。詩人はまた、オーストリアシュタイアーマルクフリードリヒ2世好戦公[6](公在位1230-1246)を「揺るぎなき誠実の巌」と称賛し、「殿は私に立派な館を給われた」と感謝している[7]。そこに農民の洒落者がいたと詩人が歌う「トゥルンの野」[8]は、ウィーンの北西、ドナウ河畔の原 (Tullner Feld) である。Tulln市は小都市であるが、ドナウをさらに遡った地にある、今日豪壮な修道院建築で有名なメルク (Melk)[9] もナイトハルトの歌に「立派な館を拝領し・・・これからはここに留まるつもり」の土地として詠みこまれている[10]。その同じ歌の一つ前の詩節で詩人は、「いわれなく私は主君の寵を失った。・・・今まで得た物をすべてバイエルンに置き、/東の國に赴いて、私の希望を托そう、オーストリアの高貴な殿に」と歌っているので、オーストリアへ行く前にバイエルンで活躍していたことは明らかである。十字軍従軍の歌では、バイエルンのランツフート (Landshut)[12]で自分を待ってくれている妻に、無事の帰国を伝える便りを使者に託して歌っている[13]。また、上記ザルツブルク大司教に率いられてシュタイアーマルクに赴き、帰途に就いた際には、「バイエルンよ、ばんざい。/早くあそこへ帰りたいものよ。/恋しい女に/あそこで知り合ったのだ」(H-W: 103,22-25; W-H: WL 37, IV,1-4; B: L 78,IV,1-4)と、古郷での恋人との再会を思って心を躍らせている。

ナイトハルトの名前は先輩の叙情詩人ヴァルター・フォン・デァ・フォーゲルヴァイデや叙事詩人ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ等とは異なり、いずれの写本においても他の詩人による言及においても添え名が付されていない[14]。ロイエンタールという添え名は、彼の歌に頻出する作中人物「ロイエンタールの人」(von Riuwental) に由来する。そして、直訳すれば、「悲しみ・悔い・痛み・悲哀・苦悩[15]の谷」を意味するロイエンタールは、「現世の不幸な生活[16]」「つらい浮世」の比喩として使われるラテン語旧約聖書詩編83,7[17]由来の「嘆きの谷」(新共同訳詩編84,7)を踏まえた命名であろう。

作品編集

伝承編集

ナイトハルトの作品は25本の写本と3冊の印刷本によって伝えられた。これは先輩のヴァルター作品とほぼ同じであるが、写本等が伝える詩節の数は、約500のヴァルターの3倍にも及ぶ驚くべき詩節数である。その最も古い写本『リーデック写本』R(Die Riedegger Handschrift. Ehemalige Preussische Staatsbibliothek Berlin Ms. germ. fol. 1062)は1300年頃成立し、ナイトハルトの歌56編、383詩節を伝えている。ミンネザング伝承の3大写本の内、13世紀末成立の『小ハイデルベルク歌謡写本英語版』(Die Kleine Heidelberger Liederhandschrift) には39詩節(他の詩人の名を冠したものも含む)、13世紀末から14世紀初頭の『ヴァインガルテン写本英語版』(Die Weingartner Liederhandschrift) には82詩節、14世紀初めの『大ハイデルベルク歌謡写本』(マネッセ写本)(Die Große Heidelberger Liederhandschrift oder Die Manessische Liederhandschrift) には289詩節のナイトハルト作品が採録されている。15世紀には132編の歌、1098詩節を採録する写本が生まれた。16世紀に入ると、Schwankbuch ≫Neithart Fuchs≪(笑い話本『ナイトハルト狐』)が印刷されたが、これにはナイトハルトと後代の追加作品が含まれている[18]

作品の内容編集

夏の歌編集

ナイトハルトの作品は「夏の歌」(Sommerlieder) と「冬の歌」(Winterlieder) に大別される。「夏の歌」は、大部分が夏の到来を告げる「自然序詞」(Natureingang)で始まり、それに聴衆、特に娘たちへの踊りの誘いが続き、最後は娘と娘、あるいは娘と母親との対話で終わる。女たちは、騎士歌人である「私」(作中主体)の誘いに乗って踊りに出かけようとするが、娘同士の対話では、互いに恋の悩みを打ち明け合い、娘と母親との対話では、片方が他方の制止を無視して踊りに駆けつけようとする。大抵の場合、オチとして、憧れの対象が「あのロイエンタールのお方」(Der von Riuwental) であると明かされる。「夏の歌」に登場する娘はミンネザングの「貴婦人」(vrouwe) のつもりである。貴婦人のように装い、騎士に奉仕されたいとは思うが、言葉の端々や態度に農民の娘であることが現れてしまう。娘ではなく、母親の方が恋(ミンネ)に心を狂わされている歌もあるが、その彼女が、「ミンネがその矢で私に死ぬほどの傷を負わせたの」[19]と娘を前に述懐するに及んでは滑稽でしかない。

騎士による貴婦人賛美を歌う従来のミンネザングは、あくまでもフィクションの世界、いわば虚構の優美な世界であり、そこには生々しい現実、散文的要素が入ることは許されなかった。 それゆえに、ナイトハルトの歌で、母親が娘に、「あいつに騙されて揺り籠の‘や‘やを足であやす羽目になっては決して駄目」[20]と厳しい現実を暴露するありさまは、ミンネザングのパロディーと思わざるをえない。ミンネザングには、多くの詩人が競った、貴婦人に対するプラトニックラブを歌う「高いミンネ」の歌とともに、ヴァルター・フォン・デァ・フォーゲルヴァイデが開発した、身分の低い少女との愛を謳う「低いミンネ」の歌もある。しかし、後者もまた夢の世界の話である。それが現実になるとすれば、「浮気」でしかない。農民の男の妻になった女は、家事をしていると夫が思い込んでいるすきに、通りに出てロイエンタール様と遊ぶと叫んではばからない。 それでは、女性たちが憧れる歌人はどんな素晴らしい人物か。詩人は自分を「雨風をしのぐ住居のない哀れな男」[21]と自嘲している。とすると、ロイエンタール様というスターに熱を上げる農家の娘たちは、幻影にしがみついていることになる。

冬の歌編集

「冬の歌」ではまず、呪うべき冬の到来が告げられてから、人々がスケート、サイコロ遊び、室内での踊りなどの娯楽に興じる様が描かれる。その描写に続いて、直前に生じた事件が報告される。事件は、両性間、農民同士、詩人と娘と農民との間などの様々な緊張関係を、時にあけすけな表現によって写し出す。騎士歌人である「私」は「貴婦人」に愛を訴えるが、彼女らは指を麦刈りで怪我をし、麻打ち仕事に精を出し、足は皸だらけである。ライトモチーフのように頻繁に言及される「エンゲルマールによるフリデルーンの鏡の強奪」は、宮廷文化の価値体系の破壊を象徴している[22]

ナイトハルトの歌は軽快で極めて躍動的である。人々を踊りに誘い、陽気にさせ、しばしば滑稽な情景で楽しませる。時に少女らの名前が織り込まれ、踊る人々は歌をリアルに感じただろう。

こうしたナイトハルトの「粗野な歌」(ungefüege dœne)が宮廷を席捲したことは、自分の歌の人気を支えようとするヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの苛立ち(L. 64,31-65,32)からも窺える[23]。ナイトハルトの作品は宮廷文化を真似る農民階級を皮肉る歌か、それとも「当時すでに予感された封建的身分社会瓦解の兆候を一人の騎士が自嘲的な歌にうたった」[24]のか、種々の解釈が可能であろう。

十字軍の歌編集

「夏の歌」に属するが、他の歌と全く異なる要素を含む歌の一種が、十字軍従軍の歌2編である。それらは、1217年ハンガリー王アンドレ(エンドレ)2世とオーストリア公レオポルト6世によって率いられ、聖地を目指した十字軍に関係しているようである[25]。一行はエルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌ配下の将兵と合流したが、指揮権の統一をめぐって内紛が生じ、スルタン側との戦いで成功をおさめることができなかった。「十字軍の士気はくじけた。花々しい戦(いくさ)の手柄や英雄的な突撃を夢に描いて、遠路はるばるやって来た将兵は、作戦だおれの戦争に嫌気がさしてきた。」[26]こうしてハンガリー王はヨーロッパに引き上げたが、ジャン・ド・ブリエンヌはその後アッコンに上陸し続けるフランス・イタリアからの軍を援軍とし、エジプト大遠征に乗り出した。エジプトの要港を奪い、それを担保に、交換条件としてエルサレムの返還をとりつける計画だった。こうして十字軍はダミエッタの占領に成功したが、実際に戦闘を指揮したジャン・ド・ブリエンヌと教皇特使ペラージュとの間に権力争いが生じ、「彼の配下はイタリア人が多く、その連中は、ジャン王に味方するフランス人の騎士と、ことごとにいがみ合っては、街なかで、腕力沙汰、刃傷(にんじょう)ざたに及んだ。」[27]十字軍の総大将となったペラージュは1221年カイロ征服を企てたが、大敗を喫した。ナイトハルトはこの遠征に参加し、1221年バイエルン公ルードヴィヒ(Herzog Ludwig von Bayern)とともに帰国したと考えられている。

まず、「野は一面緑に萌え」(Ez gruonet wol diu heide)[H-W: 11,8; W-F: SL 11; B: L 17]では、第1節が自然序詞で始まるので、「夏の歌」特有の楽しい軽快な調べが続くかと思わせるが、その期待は裏切られる。詩人は第2節で、「私の歌をここの異国人は/気にとめぬ」と嘆き、続く詩節では海の彼方の人への愛の便りを使者に托し、第6節では、「フランス人どもには/悩まされている」と愚痴をこぼし、最終の第11節では、「この八月ここに留まるものは/愚かな奴に思われる」と十字軍のつらい現実を隠さずに歌っている。十字軍に従軍しながら、異教徒との戦いに難儀するのではなく、戦友として共に戦うべきフランス人に対して不平を述べ、自分の歌を歓迎してくれる故郷の人々を思い、望郷の念を強くしている。 「明るい、長い日がやって来た」(Komen sint uns die liehten tage lange) [H-W: 13,8; W-F: SL 12; B: L 18]も第1節は自然序詞で始まっている。もうすぐラインに達すると伝える詩人は、故郷が近づいたのを喜び、「夏の歌」特有の明朗さを最後まで失わない。

時代の変化を映す編集

「夏の歌」における、騎士に憧れる農婦とその娘、「冬の歌」における、恋の鞘当で農民に負ける騎士の姿は、時代の変化を端的に示しているが、恋愛以外の場面でもそのような社会的変動が表されている。「以前、村の/踊りの音頭取りの/うぬぼれ屋で、おしゃれな百姓たちが/今は鉄の服を来て、/領主の命じる/戦に行っている。」(H-W: 84,12-12; W-H: WL 28, VIII, 5-10; B: L 55,VIII,5-10)つまり、主君の命に従い、武器を手に戦闘に向かう者は、もはや騎士だけではなく、農民も戦場に駆り出される時代となったのである。

影響編集

ナイトハルトは、ある「冬の歌」[H-W: 86,7-8. 86,15-18. 86,23-26; W-H: WL 29,VI-VIII; B: L 53,VI-VIII]で、

  こいつ(ヒルデマール)は、裏に紐の、表に絹の/かわいい小鳥の刺繍のついた頭巾を被ってる。//あんたは、あごの下までたれた/こいつの巻き毛を、見たことがあるだろうか。夜の間はきちんと頭巾に納められ/商人の絹のように黄金色だ。//こいつは、宮廷に生まれ育った/上つ方を気取ろうとする。この方々に摑まれば、頭巾はすぐ引き裂かれ、/気付いた時には、かわいい鳥は逃げている[28]

と歌ったが、前出のヴェルンヘル・デル・ガルテネーレ『ヘルムブレヒト物語』の主人公はこの男をなぞるように、

わたしはある百姓の息子を見ましたが、/その頭髪はブロンドの巻き毛で、/肩越しにふさふさと/豊かにのびておりました。/それを彼は縁取りの飾りをこらした/帽子におさめていました。/それほどさまざまの鳥を刺繍した帽子を/見た人はまずありますまい[29]

という出で立ちで物語に登場し、最後はあわれ、縛り首にされ、自慢の帽子は滅茶苦茶にされ、髪の毛はここかしこに散らばった。

両作品ともに思い上がりが罰を受けるという結末であるが、ヘルムブレヒトは、ナイトハルトの歌において農民が宮廷人によって罰をうけるのとは異なり、同じ出自の農民に復讐される点において別である。ともあれ、ナイトハルトの青年「ヒルデマール」が「ヘルムブレヒト」の原型であることは明白である[30]

後代ナイトハルト作品の受容によって、詩人自身が伝説的人物となった。例えば、15世紀初期成立とされる、ヴィッテンヴァイラー (Heinrich Wittenwiler) 作の『指輪』(Der Ring) には、その主人公である農夫ベルチイの仲間として「百姓の敵」たる騎士ナイトハルトが登場している [31]

16世紀に活躍した最も重要な職匠歌人ハンス・ザックス(1494-1576)は、ナイトハルト、彼と敵対するエンゲルマイエルらの百姓、そして彼の主君オーストリア大公が繰り広げる喜劇を著わしている[32]

夏の歌「森の木々が葉を茂らせた」編集

夏の歌「森の木々が葉を茂らせた」(Der walt mit loube stât) [33]H-W: 20,38-21,33; W-F: SL Nr.18; B: L 12

I „Der walt mit loube stât“,

sprach ein meit, „ez mac wol mîner sorgen werden rât.

bringt mir mîn liehte wât!

der von Riuwental uns niuwiu liet gesungen hât:

ich hoer in dort singen vor den kinden.

jâne wil ich nimmer des erwinden,

ich springe an sîner hende zuo der linden.“


II Diu muoter rief ir nâch;

sî sprach: „tohter, volge mir, niht lâ dir wesen gâch!

weistû, wie geschach

dîner spilen Jiuten vert, alsam ir eide jach?

der wuohs von sînem reien ûf ir wempel,

und gewan ein kint, daz hiez si lempel.

alsô lêrte er sî den gimpelgempel.“


III „Muoter, lât iz sîn!

er sante mir ein rôsenschapel, daz het liehten schîn,

ûf daz houbet mîn,

und zwêne rôte golzen brâhte er her mir über Rîn:

die trag ich noch hiwer an mînem beine.

wes er mich bat, daz weiz niwan ich eine.

jâ volge ich iuwer raete harte kleine.“


IV Der muoter der wart leit,

daz diu tohter niht enhôrte, daz si ir vor geseit;

iz sprach diu stolze meit:

„ich hân im gelobt: des hât er mîne sicherheit.

waz verliuse ich dâ mit mîner êren?

jâne wil ich nimmer widerkêren,

er muoz mich sîne geile sprünge lêren.“


V Diu muoter sprach: „wol hin!

verstû übel oder wol, sich, daz ist dîn gewin:

dû hâst niht guoten sin.

wil dû mit im gein Riuwental, dâ bringet er dich hin:

alsô kan sîn treiros dich verkoufen.

er beginnt dich slahen, stôzen, roufen

und müezen doch zwô wiegen bî dir loufen.“


I 「森の木々が葉を茂らせた」

と娘の歓声、「さようなら私のふさぎ虫。

母さん、私の晴れ着を持って来て。

ロイエンタールの騎士が

娘らの前で新曲を歌っているの。

私は決して諦めないわ、どうしたって

あの方とリンデの下で踊るんだ」


II 駆け出す娘に母声かけて

「母さんの言う通りにするんだよ、あわてないで。

てんでお前は知らないのかい、お前の友達の

あのヨイテが去年どんな目に遇ったか。あのおっ母さんが言ってたよ

あの男と踊ったら、お腹がせり上がって

赤ん坊が生まれちまったと、ほれあの小羊ちゃんよ。

それがあの男のギンペルゲンレッスンさ」


III 「母さん、そんなお小言止めて。

私の頭にって、つやつや光るバラの冠を

送ってよこしたし、

ラインの向こうからは赤いブーツを持って来てくれた人よ。

今年あのブーツを履くわ。

あの人が私に望んだ物は私しか知らないわ。

母さんのお説教なんか聞くものですか」


IV 母親は怒りだして

あれこれ言うけれども娘には馬耳東風。

軽薄娘の言うことには

「あの人に誓って約束したのに

面目が立たなくなるわ。

断じて引き下がりなどしないわ、

楽しい跳び方を教えてもらうんだから」


V 母親の最後のせりふ「行くならお行き。

首尾はどうなれ、自業自得さ。

この脳たりん

ロイエンタール(悲哀の谷)に行きたければ、連れて行ってもらえるさ。

あいつの歌が三拍子なら、お前にあきるのも三拍子だよ。

拍子をつけてなぐるけるが落ちで

そのたんびにそばの揺り籠二つが揺れるだけのこと」


冬の歌「夏のあいだ楽しそうにしていたものすべてが」編集

冬の歌「夏のあいだ楽しそうにしていたものすべてが」[34](Allez, daz den sumer her mit vreuden was)

[H-W: 86,31ff.,88,13ff.,88,33ff.; W-H: WL 30,I,VII,IX; B: L 56,I,VII,IX]


I 夏のあいだ楽しそうにしていたものすべてが

冬の長い重苦しい季節に悲しみ始める。

すべての小鳥たちが歌うことを忘れ、声を立てない。

花々と草々はことごとく枯れ果てた。

ご覧あれ、森の木々を覆う冷たい露霜を。

痛めつけられて色艶を失った野を。

人みなの嘆きの種が

私の喜びをも奪っている。

これを一生涯続けざるをえぬとは

苦しいことだ。


VII 私が深刻な顔をしていると

誰かがやってきて言う「ねえ君、何か歌ってくれ給え。

音頭を取って楽しませてくれ給え。

いま流行っている歌は少しも感心しない。

仲間もみな言っているよ、君の方がずっと上手だったよ。

村の衆がどこへ行ったか知りたいのだ

前にこのトゥルンの野にいた

連中のことさ」

それなら、今でも連中の真似をする奴がいるから

そいつの思い上がりをお伝えしよう。


IX 帽子も上衣もベルトも洒落のめしている。

剣の長さはお揃いで、長靴は膝まで届き、色塗りだ。

夏の縁日の日にはそんな出で立ちだった。

トレイゼンの川筋からドナウの岸辺まで

どこでもお待ち兼ねのモテモテと思い込む自惚れようだ。

どうしてわが「かわい子ちゃん」がリミツーンなんかに許したのか

手に手を取って一緒に

輪舞を踊るのを。有頂天になって

あいつめはルフランのたびにいやらしく

顔をあのかたの方に向けていた。

脚注編集

  1. ^ 邦訳:ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ「ヴィレハルム」第6・7巻(伊東泰治・馬場勝弥・小栗友一・松浦順子・有川貫太郎訳)〔名古屋大学教養部・名古屋大学語学センター 紀要C(外国語・外国文学) 21輯 1977 119頁〕
  2. ^ Joachim Bumke: Wolfram von Eschenbach. 2. Auflage, Stuttgart: Metzler 1966, S.12
  3. ^ ヴェルンヘル・デル・ガルテネーレ作『ヘルムブレヒト物語』浜崎長寿訳 三修社 1970. V. 217; 解説3. XIV-XV
  4. ^ Salzburger Erzbischof Eberhard von Regensburg II.;1170頃-1246、大司教在位1200-1246
  5. ^ Haupt-Wießner版103,17= Edmund Wießner/Hanns Fischer版 Winterlieder Nr.37,V,3=Siegfried Beyschlag版 L78,V,3で歌われる「司教」のこと。Haupt- Wießner : Neidharts Lieder. 2. Auflage, neu bearbeitet von Edmund Wießner. Leipzig, S.320参照。 以下の注では、次のように略記する。
    H-W:Neidharts Lieder. Hrsg. von M. Haupt. 2. Auflage. Neu bearbeitet von E. Wießner. Leipzig: Hirzel 1923
    W-F:Die Lieder Neidharts. Hrsg. von E. Wießner. 3. Auflage. revidiert von H. Fischer. Tübingen: Niemeyer 1968 (=ATB 44)
    B: Siegfried Beyschlag, Die Lieder Neidharts. Der Textbestand der Pergament-Handschriften und die Melodien. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1975. ISBN 3-534-03592-5
    SL: Sommerlieder
    WL: Winterlieder
    L: Lied
  6. ^ Herzog Friedrich II. der Sreitbare von Österreich und Steiermark; 1210頃-1246、公在位1230-1246。客死した父の跡を20歳頃に継いだ公は、「気ままに税金を課したため、彼のすべての家臣を激怒させ、また、彼の領国内のすべての修道院の金庫をこじ開け、必要もないのにやたらに金を奪わせたので、聖職者を憤慨させていた。また、都市への対応にもポリシーが欠け、血縁者に対し節度と公正を示さなかったばかりか、自分の母親からも財産を奪い、捕縛と虐待で母親を脅したのだった。彼の親戚、貴族、聖職者、市民、近隣の諸侯が、皇帝に彼のことを訴えた。」(フリードリヒ・フォン・ラウマー『騎士の時代』柳井尚子訳、法政大学出版局 1992. ISBN 4-588-00386-0.362-363頁)その結果、公は皇帝によって国外追放(Reichsacht)の処分を加えられ、領地を失ったが、皇帝の撤退後、旧領を回復していった。しかし、これを機にウィーンは皇帝直属の自由都市となった。
  7. ^ H-W:73,11/12; W-F: WL Nr.24,XII,1/2; B: L52,XII,1/2。なお、ナイトハルト作品からの引用(邦訳)は原則として、「文献」欄に記された、伊東泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子訳「ナイトハルトの叙情詩」(1)・(2)・(3)に拠っている。
  8. ^ „Tulnaere“; H-W:86,1; W-F: WL Nr.29,V,3; B: L53,V,3
  9. ^ ウィーンに近い地名とする説もある。
  10. ^ H-W:75,6/7; W-F: WL Nr.24,IX,4/5; B: L41,XI,4/5
  11. ^ G. Spitzlberger, Landshut. In: "Lexikon des Mittelalters ". Bd. V. München/Zürich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 978-3-85088-905-6), Sp. 1678; Gerhard Köbler: "Historisches Lexikon der deutschen Länder ". 6., vollständig überarbeitete Auflage. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 332; Baedeker, "Deutschland", (ISBN 3-8297-1079-8), Ziel Landshut, Landshuter Fürstenhochzeit(参考
  12. ^ 今日、ランツフートは、1475年にGeorg der Reiche, Herzog von Bayern-Landshut(バイエルン=ランツフート公ゲオルク富裕公;1503年没)がポーランドの王女Hedwig(ヘートヴィヒ; Jagdwiga)とこの地で結婚式を挙げ、それを記念するお祭りが1903年以来4年毎に盛大に催されていることで有名であるが、1204年に当時有力であったWittelsbach(ヴィッテルスバッハ)家のLudwig der Kelheimer, Herzog von Bayern(バイエルン公ルートヴィヒ・デア・ケールハイマー)によって建設され、以後同家の重要な都市として栄えた[11]
  13. ^ 。「使者よ、やさしい愛する妻に言ってくれ、/運命の車は思い通りに廻っていると。/ランツフートで伝えてほしい、皆ひどく上機嫌で、/ふさいでなんかいないと。」H-W: 13,38-14,3; W-F: SL Nr.12,VII; B: L 18,VII。邦訳:伊東泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子訳「ナイトハルトの叙情詩」(1):名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』5,2(1984)190頁
  14. ^ Lexikon des Mittelalters VI, München/Zürich: Artemis und Winkler 1993, Sp.1082[U.Schulze]
  15. ^ 伊東泰治・馬場勝弥・小栗友一・松浦順子・有川貫太郎編著『新訂・中高ドイツ語小辞典』同学社(2001)441頁
  16. ^ 国松孝二編集代表『小学館 独和大辞典〔第2版〕』小学館(1998)1197頁 ’Jammertal‘
  17. ^ ラテン語では、vallis lacrimārum(涙の谷)。Biblia Sacra, Romae/Tornaci/Parisiis 1956, p.620 には、Liber Psalmorum 83,7に“in valle lacrymarum”の形で記されている。ラテン語訳詩編83編は、現在では詩編84編。
  18. ^ Siegfried Beyschlag, Neidhart und Neidhartianer. In: "Die deutsche Literatur des Mittelalters : Verfasserlexikon". 2., völlig neu-bearbeitete Aufl. Bd. 6. Mar-Obe. Berlin/New York: W. de Gruyter 1987 (ISBN 3110107546), Sp. 875; "Lexikon des Mittelalters". VI, München/Zürich: Artemis und Winkler 1993, Sp.1082[U.Schulze]
  19. ^ „Sî hât mit ir strâle/mich verwundet in den tôt;“ (H-W:10,4/5; W-F: SL Nr.9,VI,1/2; B: L 16,VI,1/2)
  20. ^ „ob er dich triege,/daz ein wiege/vor an dînem fuoze iht stê!“ (H-W:7,28-30; W-F: SL Nr.7,III,2-4; B: L 65,III,2-4)
  21. ^ „got vüege ouch mir ein hûs mit obedache ...!“ (H-W:7,28-30; W-F: SL Nr.7,III,2-4; B: L 65,III,2-4)364
  22. ^ "Lexikon des Mittelalters". VI, München/Zürich: Artemis und Winkler 1993, Sp.1083[U.Schulze]; Siegfried Beyschlag, "Die Lieder Neidharts". S. 538
  23. ^ ナイトハルトの作風は、高貴な愛を歌うミンネザング一般に対するパロディーとも言えるが、措辞において意図的に、ミンネザングの第一人者ヴァルター・フォン・デァ・フォーゲルヴァイデの歌をもじった歌がある。元歌は、L. 56,38-57,6: エルベ河からライン河、 さらに下ってハンガリアまで、 そこには、この世で知った限りの 最も高貴な人びとが 住んではいますが、 すぐれた挙措と容姿とを 見わけるこの眼に、狂いがなければ、 神かけて誓います、ドイツの国の女人の方が、 何処(いずく)の国の婦人たちより、すぐれていることを。(石川敬三訳) [訳者代表 呉茂一・高津春繁『世界名詩集大成 ①古代・中世編』平凡社、1960年、295頁] ナイトハルトによるパロディーは、 この地からライン川まで エルベ川からポー川まで そのすべての国々に私は通じているが オーストリアの 一小邑ほどに 多くの厚顔の村人を擁する国は存在しない。 そこには最新の悪戯がいくらでもある。 (H-W: 93,15-21; W-H: WL 32, VI,1-7; B: L 49,VII,1-7)
  24. ^ 高津春久編訳『ミンネザング(ドイツ中世叙情詩集)』364頁
  25. ^ Beyschlag: in VL, Sp.873
  26. ^ ルネ・グルッセ『十字軍』橘西路訳、角川文庫。 300頁
  27. ^ ルネ・グルッセ『十字軍』橘西路訳、角川文庫。 304頁
  28. ^ 伊東泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子訳「ナイトハルトの叙情詩」(3)に拠っている。
  29. ^ ヴェルンヘル・デル・ガルテネーレ作『ヘルムブレヒト物語』浜崎長寿訳 3頁。Wernher der Gartenaere, “Helmbrecht”. Mittelhochdeutscher Text und Übertragung. Herausgegeben, übersetzt und mit einem Anhang versehen von Helmut Brackert, Winfried Frey, Dieter Seitz. Fischer Taschenbuch Verlag 1980. (ISBN 3-596-26024-8) S. 239
  30. ^ ヴェルンヘル・デル・ガルテネーレ作『ヘルムブレヒト物語』浜崎長寿訳 XX頁
  31. ^ H.ヴィッテンヴァイラー『指輪』田中泰三訳 早稲田大学出版部 1977. 9頁下「…キツネの尻尾の図がらをつけていた。/思うに、百姓の敵たる/粋な騎士ナイトハルトらしく/田舎者をばさげすんでいる。」
  32. ^ ハンス・ザックス『謝肉祭劇集』藤代幸一・田中道夫訳 南江堂1979 (1097-001592-5626) 19-43頁には、「ナイトハルトと菫(三幕物)」が [本邦初訳] として紹介され、同書205頁には、同劇の1971年ニュルンベルク公演の模様が記されている。この脚本は、ドイツ語原文では例えばHans Sachs, “ Fastnachtsspiele”. Ausgewählt und herausgegeben von Theo Schumacher. 2., neubearbeitete Auflage. Tübingen: Niemeyer 1970. (= Deutsche Texte 6; ISBN 3 484 19014 0) S. 112-133で読むことができる。
  33. ^ 原文はW-Fに拠る引用、邦訳は伊東泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子訳「ナイトハルトの叙情詩」(1)より。
  34. ^ 邦訳は伊東泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子訳「ナイトハルトの叙情詩」(3)より。


文献 作品校訂版/翻訳/参考文献/その他編集

  • "Neidhart von Reuental". Hrsg. von M. Haupt. Leipzig: Hirzel 1858
  • "Neidharts Lieder". Hrsg. von M. Haupt. 2. Auflage. Neu bearbeitet von E. Wießner. Leipzig: Hirzel 1923
  • "Die Lieder Neidharts". Hrsg. von E. Wießner. 3. Auflage. revidiert von H. Fischer. Tübingen: Niemeyer 1968 (=ATB 44)
  • Siegfried Beyschlag, "Die Lieder Neidharts. Der Textbestand der Pergament-Handschriften und die Melodien". Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1975. ISBN 3-534-03592-5
  • E. Wießner, "Vollständiges Wörterbuch zu Neidharts Liedern". Leipzig: Hirzel 1954
  • E. Wießner, "Kommentar zu Neidharts Liedern". Leipzig: Hirzel 1954
  • W. Szabo, "Neidhart von Reuental. Der große Schelm". Nach der Textausgabe von Moriz Haupt und Edmund Wiessner ausgewählt, übertragen und eingeleitet. Graz/Wien: Stiasny 1960
  • D. Kühn, "Herr Neidhart". Frankfurt a. M.: Insel 1981. ISBN 3-458-04754-9
  • Siegfried Beyschlag, Neidhart und Neidhartianer. In: "Die deutsche Literatur des Mittelalters : Verfasserlexikon". 2., völlig neu-bearbeitete Aufl. Bd. 6. Mar-Obe. Berlin/New York: W. de Gruyter 1987 (ISBN 3110107546), Sp. 871-893
  • U. Schulze, Neidhart. In: "Lexikon des Mittelalters ". Bd. VI. München/Zürich: Artemis & Winkler 1993 (ISBN 3-7608-8906-9), Sp. 1082-1084
  • Neidhart von Reuental, "Lieder. Auswahl mit den Melodien zu neun Liedern". Mittelhochdeutsch und übertsetzt von Helmut Lomnitzer. Stuttgart: Reclam 1966 (=RUB 6927/28)
  • Friedrich-Wilhelm Wentzlaff-Eggebert, "Kreuzzugsdichtung des Mittelalters. Studien zu ihrer geschichtlichen und dichterischen Wirklichkeit". Berlin: de Gruyter 1960. S.307-310


  • 伊東泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子訳「ナイトハルトの叙情詩」(1)・(2)・(3):名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』5,2(1984); 6,2(1985); 7,2(1986)[ナイトハルトの歌の全編の邦訳]
  • 高津春久編訳『ミンネザング(ドイツ中世叙情詩集)』郁文堂 (1978) 271-282頁に「住処なきロイエンタールの君」(H-W:29,27-31,4; W-F: SL Nr.26; B: L8)と「フリデルーンの鏡が奪われた」(H-W:95,6-97,8; W-F: WL Nr.34; B: L54)の訳と解説(作者についての解題は364頁)。この書は、「郁文堂・中世ドイツ文学叢書」の第3巻で、日本図書館協会選定図書。
  • ヴェルナー・ホフマン・石井道子・岸谷敞子・柳井尚子訳著『ミンネザング(ドイツ中世恋愛抒情詩撰集)』2001年 大学書林 ISBN 4-475-00919-7. C 0084. 156-171頁にナイトハルトの歌3篇の対訳と注。
  • 伊東泰治編著『Deutsche Lyrik des Mittelalters(中世ドイツ抒情詩選)』南江堂(1973) 64-71頁に“Blôzen wir den anger ligen sâhen“ (H-W:26,23-27,38; W-F: SL Nr.23; B: L10)の原文・現代ドイツ語対訳(131頁に楽譜)、116-123頁に“Ez gruonet wol diu heide“ (H-W:11,8-13,7; W-F: SL Nr.11; B: L17)の原文・現代ドイツ語対訳
  • 小栗友一「ナイトハルトのミンネザング=パロディー」:名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』7,2(1986.3)89-97頁
  • 中島悠爾編「日本における中世文学研究文献(2)」:日本独文学会『ドイツ文学』64号(1980.03)所収。168頁にナイトハルト関連の、1958-1979年発表の雑誌・紀要掲載論文計9編が記されている。
  • 『中世ドイツ騎士歌人たちの愛の歌と格言詩』(Minnesang und Spruchdichtung um 1200-1320) 古代音楽合奏団(Studio der frühen Musik)演奏. Teldec „Telefunken-Decca“ 1966、日本発売元・キングレコード1969に「五月の明るい輝きに」(Meie, dîn liehter schîn[H-W:XI,1-XIII,11; W-F: Anhang II; B: 22])、「草木の枯れた牧場に花が」(Blôzen wir den anger ligen sâhen[(H-W:26,23-27,38; W-F: SL Nr.23; B: L10])、「フリートリッヒ王侯よ」(Fürste Friderîch)[H-W:101,6-19; W-F: WL Nr.35,VII])、「五月がふたたび巡りきて」(Meienzit ane nit; Pseudo-Neidhart)が収録されている。