ナサニエル・ホーン・ジ・エルダー

ナサニエル・ホーン(Nathaniel Hone RA 、1718年4月24日 - 1784年8月14日)は、アイルランド生まれの画家である。肖像画やミニアチュールを描いた。1768年に設立されたロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの創立メンバーとなった。画家となった同名の曾孫の「Nathaniel Hone the Younger」 (1831–1917)と区別するために「Nathaniel Hone the Elder」ともよばれる。

ナサニエル・ホーン
Nathaniel Hone the Elder
自画像 (c.1760)
誕生日 (1718-04-24) 1718年4月24日
出生地 ダブリン
死没年 1784年8月14日(1784-08-14)(66歳没)
死没地 ロンドン
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略歴

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オランダに出自を持つ商人の息子としてダブリンで生まれた。若い時代にイングランドに移り、ヨークに住んだ。独学で絵を学び、1742年に第4代アーガイル公爵の婚外子のメアリー・アール(Mary Earle)と結婚して、ロンドンで裕福な生活を送るようになる頃までには、エナメル画によるミニアチュール肖像画家として、有名になっていた。1750年から1752年の間はイタリアに修行に出ていた。1753年には短期間パリに滞在した。1760年に設立された芸術家協会(Society of Artists)の会員であり、協会がロイヤル・アカデミー・オブ・アーツに発展するとその創立メンバーの一人となった。

肖像画家として法律家のジョン・フィールディング卿(John Fielding: 1721–1780)や有名な司祭のジョン・ウェスレー(1703-1791)、有力な軍人を描き、版画家としても自らの作品を版画にして出版した。

1775年のロイヤル・アカデミーの展覧会に出展しようとした『魔術師(The Conjurer)』と題された作品が、有力な画家であるジョシュア・レノルズを風刺し、女性画家のアンゲリカ・カウフマンとの関係をにおわしているのではないかとされ、アカデミーの会員やカウフマンの抗議で展示を拒否される逸話を残した[1]。ホーンは作品のなかのカウフマンと思われる女性像を塗り消して、他の60点余りのホーンの作品とともに単独で展覧会を開いた[2]。翌年からホーンはロイヤル・アカデミーの展覧会に出展を再開し亡くなるまで、出展を続けた。

1784年にロンドンで亡くなった。2人の息子、ジョン・カミラス・ホーン(John Camillus Hone: 1759–1836)とホーレス・ホーン(Horace Hone:1754–1825)は画家になった[3]

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ Angela Rosenthal. (2006) Angelica Kauffman: Art and sensibility. New Haven: Yale University Press, 2006. pp. 226-7. ISBN 9780300103335
  2. ^ Stefanis, Konstantinos. "Nathaniel Hone's 1775 Exhibition: The First Single-Artist Retrospective." Visual Culture in Britain 14.2 (2013): 131-153. https://dx.doi.org/10.1080/14714787.2013.787213
  3. ^ Figgis, Nicola (2009年). “Hone, Nathaniel” (英語). Dictionary of Irish Biography. 2022年11月23日閲覧。

参考文献

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  • Emmanuel Bénézit, « Hone (Nathaniel) », dans Dictionnaire critique et documentaire des peintres, sculpteurs, dessinateurs & graveurs de tous les temps et de tous les pays, t. 2, Paris, Gründ, 1924,
  • Brendan Rooney, « Hone, Nathaniel (1718–1784), painter », dans Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004 (ISBN 9780198614128)