ノート:アラトリステ (映画)/過去ログ2

最新のコメント:8 年前 | トピック:ヴィゴ・モーテンセンの発言に関して | 投稿者:153.173.19.150
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編集について

Uniontour様の訂正事項について。

ベラスケスの絵画『ブレダの開城』については映画の流れに沿って、「ブレダの包囲戦」の項目に記述しております。制作年は、ウィキペディアの記事に準じて(1634-1635年頃)としておりますので、この作品に関するご記入は、記事の一部を改変の上、削除させていただきました。

『セビリアの水売り』の制作年については様々な説がありますが、二十歳前の作という説も取り入れ、「1620年頃」と表記しました。「1621年」が正しいという説がございましたら、脚注の訂正を、よろしくお願いいたします。
「セビリア」の表記はウィキペディアに準じております。"セビリア-Wikipedia" をご参照ください。--Coinnto 2008年11月16日 (日) 02:57 (UTC) 原文製作スタッフ
ベラスケス作『軍神マルス』に関する監督コメントの所出は、主演ヴィゴ・モーテンセンのファン・サイト「viggo-Works」に掲載された記事(投稿者Sandrob:2007年6月8日)に依っています。--Coinnto 2008年11月18日 (火) 10:33 (UTC) 原文製作スタッフ
Uniontour様が本文・脚注欄に書き込まれた[要出典]及び[要出所明記]タグについて。
公表された上映時間の誤りについて。
日本では、このコメント記入時も公開中の映画「アラトリステ」の実際の上映時間が証拠です。日本の配給会社には、すでに報告いたしましたので、誠意さえあれば訂正されるでしょう。
閲覧者ご自身で確認される場合は、今後発売されるであろう日本版DVDか、既存のスペイン版DVDを入手され、収録時間を機械的にチェックされることが最善かと存じます。
「エンド・クレジットを2回足している」という文章は、(61 200 132 7当時)様のコメントを真似て、すでに自主的に「同等である」と訂正しております。
(ロードショー館での上映時間138分(オープニング・クレジットをカット。秒の単位は切り捨て)に、再度エンド・クレジットの
7分35秒を加える)
映画「アラトリステ」が、もともと三時間近い作品であることの根拠。
脚注欄では書ききれませんので、主だったもののみ、このページに書き出します。
スペイン版及びイタリア版DVDに収録された削除シーンの数々。
シナリオブックに掲載された決定稿から、カットされた分量。
配給会社の意向で1時間近くカットされたとの原作者のインタビュー・コメント。capitan-alatriste.com: 2006年12月4日。
拡張版の発表については配給会社及び制作会社と交渉中との監督コメント。Picture Europe! Festival:2007年6月8日。
拡張版の制作を"期待"している人物として挙げられるのも監督であり、上記のコメントの中で、配給会社への陳情メールが集まることを希望している。--Coinnto 2009年1月12日 (月) 06:22 (UTC)

2008/03/16 記事修正点について

http://viggo-works.com/vbulletin/showthread.php?p=192878#post192878

このファンサイトが信頼できる情報源かどうかはひとまず置いておきます。

*絵画『軍神マルス』との関係 このサイトのフォーラムへのユーザーSandrobさんの投稿によると、監督への質問は「アラトリステの風貌はマルス』に影響されたものかどうか」で、それに対して監督は「自分もそう思った」と答えています。

*「時間拡大版」 同じページに表示される別の投稿者Iolantheさんと、Sandrobさんの受け止め方に若干の違いがあります。いずれにしても「監督の希望」としてはある(2007年当時はあった)けれども、「完全版が期待されている」という表現を用いるにはそのようなコメントが別途信頼できる情報源から出ていることが必要と思います。 服部半端 2009年3月16日 (月) 09:32 (UTC)

2009/11/18 記事修正点について

「2種類の日本語字幕」の項目に、宣伝行為を禁ずるWikipediaの規約違反、及び事実誤認の個所があったため削除・改訂をいたしました。理由は以下の通りです。

この項に原作であるスペイン文学作品の「翻訳者」の一人として氏名が記載されていた人物は、この項からリンクが貼られた当人のブログで「英語以外のヨーロッパ語は読み書き出来ない」と述べている。 (個人が特定されるため、当該アドレスへのリンクを現時点において省略)

原作邦訳本の翻訳者欄には、「レトラ」という団体名で、当該人物を含む最大5名の氏名が記載され、他に大学教授等の「協力者」も名を連ねている。 (「レトラ」が現存する団体かは不明。㈱等の記載なし)。 この集団の中で、スペイン語を解さぬ人物の役割が「翻訳」であったか否かに関する第三者による裏付けは為されておらず、ブログ内の説明文でも、プロのスペイン語翻訳者によって制作された日本語原稿を、更に協議にかけ「添削」したと読める。 (当該アドレスへのリンクを省略)

当該人物が「スペイン文学作品の翻訳者」たり得るのは、共同翻訳集団である「レトラ」の一員としてのみであり、Wikipediaに上記翻訳システムの紹介抜きで個人名を記載することは、閲覧者を事実誤認へと誘導する行為である。また、下記の理由で掲載の必要もない。

この項には、当該人物のブログの「誤訳の見落としが一箇所ある」という趣旨の文章が紹介されていたが、これは全く無意味な記載である。 仮にある人物が、「自分の犯したミスは一つ」と述べたとして、それが真に「一つ」である事の証明に当たらぬことは、自明の理である。 本作の字幕を改訂した作者は、字幕作家として著名な㈱東北新社の佐藤恵子氏であり、佐藤氏は改訂字幕の信憑性について一切発言していない。第三者による公の裏付けも為されていない以上、本項で掲載可能な事実は、字幕が差し替えられたという一点のみである。

また、本項からリンクを貼られた当該人物のブログ巻頭には、「得意分野は翻訳」という趣旨の自己紹介を含む個人ウェブサイトがリンクされていた。本項の記事は、当該人物の関知せぬ他者からの投稿であっても、宣伝行為を禁ずるWikipediaの規約に抵触している。 (当該アドレスへのリンクを省略)

以上の観点から、不適切な部分の削除を行った。

なお、この項の脚注には当該人物のブログから、日本英文学会会長であり東大教授の大橋洋一氏が本作DVDを激賞したという趣旨の文章が転載されていた。 大橋洋一氏は本件・本作と無関係であり、引用元とされる「大橋洋一氏のブログ記事」にも、良い映画だという表現のみで、日本版DVD及びその字幕に関する評価は一切記されていない。閲覧者に誤ったイメージを植え付ける表現は脚注といえどもWikipediaでは許されない。 --Reserve 2009年11月18日 (水) 12:23 (UTC)

ウィキペディアにおける検証可能性の概念は、「それが第三者によって検証された事実であるか」を問題にしておらず、また問題のブログも、dvdパッケージに字幕監修者としてクレジットされている人物のものですから、その人物がそのように書いているという事実は問題無くウィキペディアに書けると思いますが、面倒くさいし大した問題でもないのでこのまま放置しておこうと思います。--Uniontour 2009年11月18日 (水) 23:15 (UTC)
調べてみたら、1巻では奥付の「訳者」欄に4人の名前が、5巻では「訳者」欄にまず「レトラ」とあって、その下にインデント入って5人の名前が出ていますね。「レトラ」というのはユニット名のようです。ただ、奥付で「訳者」欄に名前が(1巻のみ「晃正」になっていますが、同じ人物でしょう)掲載されているわけで、「閲覧者を事実誤認へと誘導する行為」とまでは言い切れないと思います。--Uniontour 2009年11月19日 (木) 00:16 (UTC)
記述を修正の上で戻しました。なお、リンク先の更にリンク先に個人ウェブサイトがあるから広告宣伝というのは強弁しすぎだと思います。--Uniontour 2009年11月19日 (木) 05:31 (UTC)
  コメント 難しい問題だと思います。まず、私はこの作品を見たことがないことを先に言っておきます。
まず、アラトリステ (映画)#2種類の日本語字幕の項目自体の出典を求めた方が良いと考えられます。2種類あるのであれば、不評とされたものと市場に現在出回っている2つがあるはずで、何かしらの動きがあったはずです。これを先に示してから訳者云々を述べた方が良いと考えられます。
また、個人ブログであってもWikipedia:信頼できる情報源にある1次情報源として提供されることは許される範囲内です。できることであれば、第3者の視点が入った何かしらの新聞などの出典があればなお良いです。今回問題となる人物が翻訳を行った本人であり、自分自身について語っているなら出典として用いても良いと思われます。しかし、東大教授がこういう評価をしたというタイトルまで入ると宣伝ととられても仕方ないかもしれません(自分がやった仕事は最高だ!と賛美している・・・本人による独自研究みたいなもの)。該当ブログの名前と投稿日で代用したなら、宣伝とは言いがたいと言ってもいいかもしれませんが、それでも少し不安の残るページであると思います。できれば、1箇所だけミスしたというミスが何らかの情報源に記載されてればいいのですが・・・。--アルトクール 2009年11月20日 (金) 15:37 (UTC)
少し説明が必要かと思います。実はDVDが出る以前に映画の字幕に変な部分があることがネットで話題になっており、Coinntoを名乗る人々(共有アカウント)が本記事本文に膨大な「正誤表」を書き足していたのです。その後、「正誤表」は独自研究だと指摘されてノートに移され、更にノートでの議論でも正誤表は不要(Coinntoが告知タグを利用してノートを事実上の注釈ページ化し、そこにある「正誤表」を読み手に見せようとしていた)と結論され、管理者による仲裁案としてノート過去ログ化となりました。
日本語字幕が2種類あるということを確認出来る資料は結構難しくて、映画版と日本版DVDの台詞の違いをチェックしてもらうか(私の印象では相当部分が入れ替わっています)、あるいはたしか日本版DVDにのみ「字幕監修者」のクレジットが付いている(映画の公式ウェブサイトには字幕担当者の名前しか出ていない)ので、それで資料とするかというところでしょうね。
ブログのエントリー名についてですが、ブロガー氏は大橋氏が本作品のDVDを見て褒めているという意味で書いているだけで、大橋氏が自分の手がけた字幕を褒めているとはしていないのではないでしょうか? それに、ブロガー氏の仕事上のミスを紹介している、ある意味では不名誉な記述ですので、広告宣伝という意味では逆効果のような気もします。まあ、気になるのであればエントリー名を消して脚注化するのでも良いかと思います(とりあえずそうしておきます)--Uniontour 2009年11月20日 (金) 23:04 (UTC)
今確認しました。日本版DVDのパッケージ裏面の一番下に「字幕監修:加藤晃生」とありましたので、日本版DVDで字幕監修が入ったことは資料的に確定です。--Uniontour 2009年11月21日 (土) 01:59 (UTC)
「東大教授がDVDを激賞」と読めるリンクには、Reserveはやはり疑問を感じます。仮に作家がエッセイで「一つ大きなポカをやらかした」と述べたのなら、それは掲載可能な情報です。ミスは一つきりという断定でもありません。しかし、DVD字幕監修の方のブログには、前後と脈絡なく「劇中劇の男優の台詞で一箇所、誤訳の見落としをしてしまった私ですが、そこ以外は特に後悔している部分はございません」という文章があるのみです。単なる宣言では、本人による一方的な言い分としか認められませんし、第三者による公の裏付けが必要でしょう。(本文ページの改訂を行った結果、リンクも消してしまいましたので、議論が続くと思います)
万人が納得する完璧な字幕翻訳は見果てぬ夢であり、観客は字幕の不完全さも込みで映画を観賞することを(渋々)了承しています。意訳した挨拶の言葉でさえ、文化的に違うとこだわる人もいます。「間違いは一箇所」という発言は無意味であり、現に一箇所ではありません。それは邦訳本の文章と日本語字幕の比較で証明できますし、更に重大な疑問についても別項に記しました。
Reserveには、監修の方ご自身が翻訳者と名乗ることを妨げる意思はありません。この点で、Uniontour様による上記の書き込みは少々、論点がずれていますね。問題は当該人物が監修者であるか否かではなく、特殊な翻訳システムによってスペイン文学作品の邦訳作業に参加したスペイン語を解さぬ人物を、システムの紹介抜きでWikipediaに「翻訳者」として、あえて掲載する必要があるかという点です。Reserveは「翻訳者」という部分がWikipediaを裏付けとして、独り歩きする可能性を危惧します。Uniontour様が再編集された本文記事にも、特殊な翻訳システムに関する言及がありません。しかし、どうしても「翻訳者である当該人物がDVDを監修した」という情報を掲載することが大切だと、Uniontour様がお考えであるならば、あえて反対はいたしません。ただし、今後は監修の方について「Wikipediaに載っている翻訳者」という紹介が可能になることを、このノートに記録として留めます。
加えて、「監修者」の氏名を掲載するのであれば、字幕作者である佐藤恵子氏、訂正事項に則って制作された吹き替え版作者の小島さやか氏の氏名も当然、併記すべきでしょう。
「別物に近い字幕」という表現の削除について。
監修の方のブログから転載されていた「別物に近い字幕」という表現にも、Reserveは疑問を感じました。改訂されるべき誤訳の大半は歴史的人名や地名を耳で聞いた通りに書き起こし、辞典の表記と食い違ったという程度のミスでした。Uniontour様が、このノートページに「膨大な量の」誤訳が書き込まれていたと書かれましたが、確かにミスの多さが目に余るというだけで、素人でも映画を見ていて気づく程度の単純な誤訳です。ちなみに、Wikipediaに素人が誤訳を書き込んだ云々と、配給会社が字幕の改訂を検討した件は全く別次元の話でしょう。共通点は「誤訳が多すぎた」という部分だけです。通常のDVDでも改訂は行いますし、わざわざ章立てて表記する必要もないというのが本音です。
監修の方は「誤訳を見落とした」という表現をお使いですので、スペイン語や英語の字幕資料から独自に翻訳を行った訳ではなく、劇場版の日本語字幕をチェックされたのでしょう。DVDの改訂字幕を見る限り、劇場版のままで問題のなかった日本語字幕の、部分的な添削まで新たなセリフとカウントして「別物に近い」と表現している嫌いがあり、第三者による公の裏付けもありません。依って「別物に近い」という監修者の個人的な表現を削除いたしました。
(「多くの苦情が寄せられた」という表記も、「要出典」を貼られる恐れがありますので省きました)--Reserve 2009年11月21日 (土) 17:14 (UTC)

(インデント戻します)

  • Reserve氏はウィキペディアの基本的な考え方をまだよく理解されていないように思います。ウィキペディアに掲載可能なのは資料に記された事実であって、その資料については、資料の性質(ウィキペディアで言う「信頼出来る資料」か否か)は検討対象になりますが、その資料に記された事実の中身そのものをウィキペディアンが評価検討して「これは資料の書き手が間違えている」というような考察をすることは禁じられています。これは「独自研究」に当たりますので。当該の人物が信頼出来る資料である邦訳書奥付に「訳者」として名前が挙げられている以上、ウィキペディアには「訳者」と書く必要があり、当該人物が「レトラ」というユニットの中で何をやったのか、それは翻訳者と呼ぶに相応しいのかをウィキペディアンは考察すべきではないのです。
  • 昨日あらためてDVDを確認してみましたが、ウィキペディアに書き込まれていた「正誤表」以外の部分でも、人物の台詞、例えば主人公の敵やオリバーレス伯爵の台詞などがかなり違うものになっていました。ですから、幾つかの誤訳を修正した以上の大きな字幕の変化が劇場版とDVD版の間で生じたと言えるでしょう。それについての唯一のウィキペディアに掲載可能な情報源が問題のブログだったというだけの話です。他にもっと詳しい情報源があれば、そちらを紹介すべきかと思います。
  • Reserve氏はある部分では問題のブログの記述を信用出来るものとして「特殊なシステム」の存在を問題視しておられるのに、別の部分では同じブログの「別物に近い」という表現を「第三者による公の裏付けもありません」と疑問視しておられます。これはダブルスタンダードに思えます。アルトクール氏も、一次情報源としてそのブログの記述を紹介することは許される範囲と言われていますし、そのブログの記述の信頼性をReserve氏が「ここは信用出来るから採用」「ここは信用出来ないから不採用」と仕分けすることは、Reserve氏の「独自研究」になります。
  • 字幕作者や吹き替え翻訳の方の名前は記載すべきと考えます。--Uniontour 2009年11月21日 (土) 23:14 (UTC)
配給会社の字幕資料もなしに、ほんの数ヵ所のセリフを指摘できるとは、よほど何度も劇場で訂正前の映画をご覧になったのでしょうか。素晴らしい記憶力ですね。佐藤恵子氏が「別物に近い字幕」を制作されたのであれば、Reserveも異論はございません。佐藤氏はプロの字幕作家として、これまでもご自身の仕事に対する、あらゆる批判に沈黙を貫き、受け止めてこられた方です。今回も一切の反論を控える姿勢に変わりはないことでしょう。
「信頼出来る資料」についても、ご教授をありがとうございます。つまりReserveは脚注を立てて、監修の方がスペイン語を解さぬことと、翻訳システムについての記事の所在を指摘すれば良いわけですね。Reserve 2009年11月22日 (日) 18:07 (UTC)

「ストーリー」節の要出典

以下、Reserve氏が「ストーリー」節にてrefタグを使って書き込んでいたコメントです。こうしたコメントはコメントアウトタグを使うかノートページへの記載をお願いします。--Uniontour 2009年11月19日 (木) 00:22 (UTC)

(以下転載) 男の誇りに命をかける主人公が、妻の愛人たちに貢がせた金で暮らす結婚生活について、即決で断らず「躊躇」した。即ち期待する部分があったとする解釈の根拠を求める。 (転載終わり)

現在の記述には「妻の愛人たちに貢がせた金で暮らす結婚生活」という文言は見あたりません。Reserve氏の拡大解釈ではないでしょうか? 劇中では主人公が恋人に結婚をせがまれて「愛人たちはどうする」など色々と理由をつけて即答しなかったという以上の描写ではなかったと思いますが、現在の本記事の記述が不適当であるとは私には思えませんし、存在しない文言についての要出典タグは不要と考えます。--Uniontour 2009年11月19日 (木) 03:38 (UTC)
タグを除去しました。理由は上記の通りです。--Uniontour 2009年11月19日 (木) 05:32 (UTC)
まず、『男の誇りに命をかける主人公が、妻の愛人たちに貢がせた金で暮らす結婚生活について、即決で断らず“躊躇”した。即ち期待する部分があったとする解釈』という文章について申し上げます。この文章は、Reserveが「要出典」を貼った部分に関する疑問の要点です。内容は「あらすじ」の文章と同様に映画のストーリーから引いていますので、ページの中に当該の文言を求められても見つかりません。
Uniontour様はDVDの字幕によって、主人公が「躊躇」するストーリーだと解釈され、その根拠として、主人公が「色々と理由をつけて即答しなかった」という場面を挙げられました。Reserveは主人公が「断らなかった」という、この場面の字幕翻訳に疑問を持っています。解釈するという点では、Uniontour様とReserveは同等ですね。Reserveはこの場面の主人公が本来は、『断るしかない明白な理由』を語っていると、解釈いたします。
(ヒロインである女優は、愛人たちの援助なしでは没落する。武人である主人公は、「夫になったら最初に来た愛人を必ず切り殺す。殺せば死刑だ」と語る。故に結婚は不可能という解釈)
仮に当該字幕が誤訳であるならば、字幕を根拠に「あらすじ」に記載をされたUniontour様は被害者の立場です。ReserveはUniontour様に対して、これ以上典拠を求める意思はありません。しかし、この問題は本作の他の重要な場面にも影響を及ぼします。誤訳によってオリジナルと異なるストーリーが公開された可能性があるならば、オリジナルのスペイン版との違いを明白にする必要があります。主人公に結婚する意思があったか否かに関しては、大本である制作会社及び監督に書面で確認を取る所存です。スペインから回答が寄せられるかは不明ですが可能性はありますので、「要出典」の添付を続けます。利用案内のページでご教授いただきました方法も順次、実行して参ります。--Reserve 2009年11月21日 (土) 17:14 (UTC)
Reserveさまはまず「検証可能性」を熟読してください。特に以下の部分の意味をよくお考えください。

検証可能であることと真実であることの違いは、次の例で見ればよくわかるでしょう。あなたは、ある著名な物理学者の「X理論」についてウィキペディアの記事を書いているとします。X理論は査読審査を経て学術誌に掲載されており、したがってウィキペディアの記事として適しています。ところが、執筆中にあなたがその学者に連絡をとったところ「実を言うと、今ではX理論は完全に誤りだと考えています。」と言われてしまいます。あなたが原著者本人からこれを聴いたとしても、彼がそう言ったという事実をウィキペディアに書いてはいけません。

仮にあなたが本作の制作会社や監督から書面で何かの情報を得たとしても、それをウィキペディアに書いてはいけないのです。もしもそれをどうしてもなさりたいのであれば、まずあなたが本作の台詞や字幕などの問題をテーマとした論文や研究ノートを執筆し、学術雑誌に投稿するというのがよろしいかと思います。編集委員会による審査を経た上で掲載に至った論文は問題無くウィキペディアの資料として用いることが可能ですから、「本作の日本語字幕ではこのようになっているが、ここの正しい解釈はこれこれこうであり、本来であればこのような字幕翻訳がされるべきであったと、誰々(あなたの本名あるいは筆名)は指摘している」と書き込むことが出来ます。--Uniontour 2009年11月21日 (土) 23:21 (UTC)
字幕に重大な誤訳がある可能性に対し、Uniontour様はなぜ本文「あらすじ」の文言を変え、「要出典」を無効にする操作をされたのでしょうか。おやめ下さいますようお願い致します。繰り返しますが、Reserveはこの文言を書き込んだUniontour様に対して、出典を求めているわけではありません。Uniontour様はすでに、典拠である字幕の当該個所を挙げて下さいました。誤訳の可能性を、Uniontour様は検証なさりたくないのでしょうか。不思議です。
お示し頂いた「検証可能性」に関してですが、それほど困難な問題ではないと思います。スペインの制作会社宛てに、日本の状況を知らせる手紙を書き、もし本当に誤訳であった場合は、日本の配給会社に対して正式なコメントをホームページ上に発表するよう要請してもらえば良いのですから。とにかく時間がかかりそうですので、気長にお待ちください。--Reserve 2009年11月22日 (日) 18:07 (UTC)

コメント依頼を行いました。

Reserve氏が本作品の制作会社に字幕の誤訳に関する声明の発表を要請される件については、コメント依頼を行いました。関連の議論につきましてはWikipedia:コメント依頼/Reserveにてお願いいたします。--Uniontour 2009年11月22日 (日) 23:39 (UTC)

一部転記提案

原作の独特の翻訳手法について記した記述をアラトリステに一部転記することを提案します。この記述は原作本の翻訳の方法について解説したものですので、こちらの記事ではなく原作についての記事に書かれるべきものと考えます。--Uniontour 2009年11月30日 (月) 07:44 (UTC)

一部転記を行いました。--Uniontour 2009年12月7日 (月) 03:43 (UTC)

独自研究の書き込みはお止めください

訂正記事さま、独自研究の書き込みはおやめください。匿名の個人がブログ等で公開している考察は出典となりません。--Uniontour 2011年6月23日 (木) 23:20 (UTC)

捕捉します。実名でも専門領域が異なれば意味がありません。専門家でも個人ブログはケースバイケースになります。また、適切な情報源があったとしても、記事の主題との関連に応じた適切な書き方が必要になります。訂正情報を広めるために、目立つように大きく書くということは、認められておりません。 --Yhiroyuki 2011年6月25日 (土) 02:19 (UTC)
ここで問題とされている表記について、「問題となっている」という表現ではなく、「問題があると主張する人がいる」という表現に修正させていただき、問題の中身は外部サイトを参照していただくようにいたしました。なお、この点については、今回参照したブログの作者に非公開コメントとして投稿させていただいています。--VZP10224 2011年6月26日 (日) 08:29 (UTC)
東外大の柳原氏は「ぼくはさして『アラトリステ』には興味もないし、そもそも原作も読んでいない、映画も見ていないので、きっとそうなんだろうな、という以上のことは言えない。」[1]としか書いておらず、杉原氏の主張を支持しているとは言えないと思いますが。--Uniontour 2011年6月26日 (日) 10:39 (UTC)
その文章は私も読みました。さらに付記として「ここではこの論争に示唆され、一般論としての条件法理解の難しさを説いただけのこと」と言っていることも確認していますが、それでもわざわざこの映画を引き合いにして発言していることについては、特筆性があると考える人が出てくるかと思います。一般的な話として条件法構文の翻訳に関する注意喚起を書きたいのであれば、わざわざTwitterでDMが来たとか、「ぼくは『アラトリステ』解釈論争には興味ない」と前置きして発言したりせず、何の前置きもなしで書いているのではないでしょうか。とはいえ、柳原氏の説明を載せるためには、特定の解釈の立場に立つものではないことを前置きしないといけないなど、前提条件として書いておくべき事項が多すぎ、かえって冗長になってしまうとも考えていて、いっそ書かないほうが説明として通りやすいかなとも考えていて、この点に関する結論は出しかねている状況です。--VZP10224 2011年7月3日 (日) 16:23 (UTC)
柳原氏のブログは落語でいうマクラに過ぎなかったと思います。柳原氏の件を記述に入れるとすると「東京外語大でスペイン文学を教えている柳原は、この論争においてどちらの側に立つものでもないと表明している」となろうかと思いますが、自分は関わりがないし意見も無いという意志表明をウィキペディアで紹介する意味は無いかと考えます。アニメ脚本家がDVDの字幕に意義を唱えているという現在の記述が適切ではないでしょうか? --Uniontour 2011年7月5日 (火) 12:36 (UTC)

当該ブログの主は、この記事の分野における権威がありません。日本脚本家連盟、日本放送作家協会は特定職業従事者による団体であり、構成員に特別な権威を付与するような組織でありません。また、脚本家という職業はその職務の性質上、筆名が公表されるものであり、匿名でないことにさほど重要な意味があるわけではありません。新聞などで作家にコメントを求めるということはありますが、それは特定分野の知識があるとか、話題になるとか、コメントが取りやすいとかの理由によるものであり、作家であることに特別な権威があるわけではありません。ブログ主は発言の一つ一つが注目を浴びるような著名人でもありません。結局のところ、当該ブログはWikipedia的に見てただの一般人のブログでしかありません。

ブログの内容が、社会的に特別な注目を浴びていることもありません。先行の事例では、翻訳者のなかでもとくに映画字幕の専門家による有意な言及があったり、著名なメディアでの有意な紹介がありました。本件については、ブログ主が一年以上にわたって多くのサイトで宣伝行為(Twitter他)を行っておりましたが、そのような反応が見当たりません。一年もあれば、スペイン語の専門誌や権威のある映画評論誌に寄稿するということもできたはずですが、そうした活動をしたという報告もありません。

また、当該ブログの内容を詳細を見ますと、このノートでの指摘事項の多くを全く理解されていないことが分かります。実質的に、自説の宣伝、字幕翻訳者との私闘目的にWikipediaを利用している形となっています。現状では擁護できるような大義名分がなにもなく、これ以上記述を残しつづける理由がありません。 --Yhiroyuki 2011年7月18日 (月) 04:09 (UTC)

杉原氏はかつて大ヒットしたアニメ作品の脚本の一部を担当しておられたこともあり、一言程度は触れておいても良いかもしれません(むしろそのアニメや杉原氏についての興味深い情報として、若干の価値があるかと)。ただ、こちらのブログ[2]を見ると、訂正記事さんは、以前にアカウント共有で無期限ブロックされた[3]、Coinntoなるグループの一員である疑いが濃いとは思います。--Uniontour 2011年7月18日 (月) 22:38 (UTC)
杉原氏が人気作品の制作スタッフの一人だったということは、本件とは何の関わりもないことです。また、杉原氏の行動は実質的にWikipediaで独自研究を宣伝するためになされており、その内容の重要性に客観的な保証もないので、本記事で取り上げるのは無意味だと思います。 --Yhiroyuki 2011年7月19日 (火) 04:48 (UTC)

ヴィゴ・モーテンセンの発言に関して

筆者がこの記事を記入する際は、投稿ブロックが解除されていることを確認しました。参照元のムービー・スター誌は、管理者の方で実際に見て確認して下さった方がおられます。 雑誌の記事には、誤訳について具体的な場所の表記はありませんでした。そのために現在でも確認可能な主演俳優のインタビュー記事を参照して文章を作成しました。主演のヴィゴ・モーテンセン(敬称略)は、主人公とヒロインは結ばれないと明言しています。

DVDの誤訳の個所が「宝石商のセリフ」であることに、異論がおありの方がおられましたら、「宝石商のセリフは誤訳ではない」という文法的な証明をお願い致します。過去にこのセリフが誤訳ではないと主張された方がおられましたが、文法的な証明は一度もなされておらず、ウィキペディアの基準で言うなら「独自研究」であるからです。--211.5.14.92 2015年9月24日 (木) 14:10 (UTC)

ムービースター誌で明確に確認出来るモーテンセンの発言以外の部分は独自の考察が含まれていますので除去しました。モーテンセンはどの部分がどのように誤訳であるかは上記資料で指摘していません。--Uniontour会話2015年11月27日 (金) 01:59 (UTC)

ウィキペディアの皆様に、記事の完成にご協力頂きたく、お願い申し上げます。

私は普段はウィキペディアに投稿せず、この先も他の項目に書き込む予定がないために、ログインせずにこの文章を書いています。2015年9月24日に投稿した時とIPアドレスが変わっていても、211.5.14.92 と同一人物です。私が投稿できることは、管理者の方に確認して頂きました。

今回、表のページに記入した『誤訳に関するヴィゴ・モーテンセンからのメッセージ』の項目は、一度、大幅に削除されたため、構成を変更して再度、記載したものです。もし、また削除されていましたら、文章を復元してお読みください。

この項目で問題提起しているのは、スぺイン映画『アラトリステ』で、主人公が恋人に『プロポーズしようとした』という誤った内容のDVDが発売されていることです。主人公がプライド(男の誇り)ゆえにプロポーズしたくても出来ないことは、この物語の重要なポイントであるために、ウィキペディアに誤訳の事実を掲載しようとしています。

誤訳に関する記事は、過去に何度も削除を受けてきました。誤訳の記事は、『誤訳を犯したどこかの誰か』への個人攻撃ではありません。著名ではないこの人物の『氏名』をウィキペディアに記入したのは私ではありません。

このノートページで指摘している人物は二名です。DVDの字幕で『誤訳を犯した人物』と、その人物の『誤訳ではない』という主張を引用して、ウィキペディアから誤訳の記事を『削除し続けている人物』です。この二名は自分が『同一人物』ではないと、このノートページで主張しています。

『誤訳を犯した人物』の氏名は、『二種類の日本語字幕』という項目に、有名な女性字幕作家と共に記入されています。ウィキペディア上では、彼女と『誤訳を犯した人物』が、問題のあった劇場版の字幕を修正し、正しいDVDを発売したことになっています。しかし、DVDには重大な誤訳が残っていたのです。

この字幕作家さんは翻訳会社のプロジェクト代表ですが、現場のスペイン語翻訳には関わっていません。字幕作家さんも問題の人物も、共にスペイン語の知識がないのです。多くの利害が関わるプロジェクト・メンバーの常として、字幕作家さんは『誤訳があったか否か』について一切発言しません。勝手に名前を併記されていても、彼女がこの記事の信憑性を保証しているわけではありません。

『誤訳を犯した人物』は、DVDのパッケージに『監修』として氏名が記されています。字幕の修正で正確を期すために、臨時で雇われた人物でした。この人物の仕事は、物語の主人公が間違ってもプライド(誇り)を捨てないと、現場の字幕担当者に注意喚起することでした。日本語の小説や映画の内容について語るのに、特別な学位などは必要ないはずです。『男の誇り』は『アラトリステ』のメイン・テーマです。しかし、この『監修者』は、主人公がプロポーズできないという基本的な設定を理解できなかったのです。

『プロポーズしようとした』という誤訳は『条件法の取り違え』によるものでした。条件法は中学校の英語で習う文法で、ご承知の通り言葉の意味が反転します。『将来を共にする』ではなく、『現状(恋人関係)の維持』が主人公の望みでした。この映画には英語の字幕も存在します。中学の卒業証書をお持ちの方ならば、誰でも条件法を証明できます。

この人物は自身のブログで『誤訳ではない』と主張しています。しかし、その『文法的な証明』は過去に一度も行っていません。初めから根拠のない空しい言葉なのです。私は、当時の映画の配給会社に問い合わせましたが、配給会社は一度きりの臨時雇いだったこの人物との関わりを否定し、その言動には一切、責任を持たないと断言しました。この人物の発言は『監修者』の言葉とは認められていません。ウィキペディアでは『専門家』の言葉は絶対だという理由で、この人物の根拠のない言葉が引用されてきました。しかし、この人物を『専門家』と認めているのは本人だけなのです。

以上の文章を書いても『配給会社は責任を持たないという言葉を明文化していない』という主張がなされるでしょう。誤訳を隠す人物はウィキペディアのルールにとても詳しいのです。DVD製作の関連会社には、この人物の『嘘』を不快に思っても声高に止められない事情があります。リコールが起これば関連の小さな会社は潰れてしまうのです。プロの関係者が『誤訳があったか否か、発言しない』とは、そういうことです。プロは、素人が何を騒ごうが無言で押し通すのです。

ウィキペディアのルールと制作会社の弱みを利用して、誤訳の事実は隠されてきました。しかし、この人物が、自分の『誤訳ではない』という主張を証明できないことは事実です。『条件法の取り違え』であることも事実であり、この人物の、DVDにおける仕事の『正しさ』を裏書きしてくれる人は誰もいません。自分で勝手に『専門家だ』『ミスは犯していない』と言っているだけなのです。

この人物は原作小説の翻訳者グループ(翻訳の経験者は少数)のメンバーとして小説の奥付に氏名が記されています。しかし、本人自身がスペイン語を知らないと明記しています。それでも、翻訳者としてDVDの『監修』に雇われた経緯は私には分かりません。ちなみに、出版社も単行本の出版はこの一度きりという会社で、出版された翻訳小説は誤字・脱字・脱行まであるという書籍でした。

『プロポーズの誤訳』は日本だけのミスであり、今ではハリウッドの主演俳優までが知っていて「腹を立てた」と発言しています。主演俳優は人格者として有名な人物です。映画の劇場用字幕には、確かに数十の細かい誤訳がありましたが、『トンネル』を『溝』と間違えるような小さなミスに対して、主演俳優はいちいち発言しません。DVDでは大半のミスは訂正されたのです。主演俳優は、『主人公がプロポーズしようとした』と言い張る『嘘』に怒っているのです。

ウィキペディアには、表のページの『誤訳に関する記事』を削除し続けている人物がいます。『誤訳を犯した人物』とは別人だとノートページで主張している人物です。削除する根拠は、前述の『誤訳ではない』という『根拠のない言葉』です。誰も保証しない人物の『根拠のない』言葉を『根拠』として引用し、誤訳があったという記事を削除し続けているのです。

この『削除を続ける人物』は、初期の頃には本当に「誤訳ではない」と信じていたようで、このノートページにも書き込みがあります。しかし、さすがに途中で自分のミスには気づいたはずです。国立大学のスペイン語学科の教授も、条件法の取り違えだと発言しています。この人物は、教授が『映画を観ていない』という理由で、その言葉をウィキペディアから排除しました。しかし、条件法の指摘まで消えてなくなったわけではありません。http://criollisimo-cafecriollo.blogspot.jp/2011/06/blog-post_10.html

それでも、ウィキぺディアでは、誤訳の記事が削除され続けています。ルールを駆使すれば、私のような素人の書き込みは、いくらでも否定できるということなのでしょう。しかし、今回この人物が否定したのは、主演俳優の言葉なのです。

『誤訳を隠し続けている人物』は、記事を削除するだけです。検証可能な部分まで削除して、記事を育てる行為は一度もしていません。今回は、前後の記事を続けて読むと『主演俳優が誤訳に怒り、DVDでそれが正しく修正された』という並びになっていました。 これは、怒っている主演俳優にダメ出しする行為です。問題の人物はかつて、『スペイン映画の製作者に日本語で誤訳だと証言させればいい』という趣旨の発言をしました。主演俳優はそれを伝え聞いて、日本の雑誌で「腹を立てた」と発言したのです。

過去に誤訳の記事が削除されるたびに、『日本のDVDではアラトリステが結婚しようとする』という情報は広まって行きました。その情報は、ついに主演俳優の耳にまで届いたのです。それは『アラトリステ』という作品を大切に思う世界中のファンの方々の力でした。その主演俳優の言葉が、今回は逆に誤訳を隠すために利用されたのです。

実際に汗をかいて映画を製作した方々に、これ以上迷惑をかけないために、『誤訳に関する記事』を削除されない状態で掲載できるよう、ウィキペディアに詳しい皆様のご協力をお願い致します。 (表のページに書いた「プレスシート」は、マスコミ向けに公式に発行された印刷物です。必要ならば映像も用意できます)

なお、余談ですが最近、ウィキペディア内で、私の仲間が『誰』なのか質問される等、不思議なことが起こりました。仲間とは、この問題の初期に書き込みに参加し、現在は私に一任している友人たちのことです。その為に付け加えますが、国内で活動されているヴィゴ・モーテンセンの主だったファンの皆さんは、この誤訳問題には関わりがありません。この問題の当事者が過去に接触し、本名などが知られているファンの方々は、殊に巻き込まないよう配慮してきました。無関係な方々を守るために、何かあった場合には法的処置を取ることを明言させて頂きます。

上記の文章の補足です。私の仲間とは、2008年にこの映画が劇場公開された時、非常に多かった字幕の誤訳についてノートページに投稿し、Uniontourさんによってブロックされた人たちです。 また、『不思議な出来事』についても補足します。今回の表の記事の投稿の為に、私はある管理者の方に質問をしました。その方は、ウィキペディアでは話せないとして通常のメールでの会話を求め、私の仲間の氏名を尋ねてきました。一般人の名前が単なる記号ではなく、意味を持つのは関係者だけです。それも、彼らが誰だか知らない関係者です。 どうも様子がおかしいので、公正なジャッジを頂ける皆様に、削除の問題の検証をお願いしたいと思いました。どうぞ宜しくお願い致します。--61.192.170.63 2016年1月7日 (木) 05:11 (UTC)

皆様に申し上げます。『日本語字幕の誤訳に関するヴィゴ・モーテンセンのメッセージ』は、また短く削除されました。そこでお尋ね致します。なぜ、DVDの字幕が『修正済み』だという『二種類の日本語字幕』なる記事が掲載されているのでしょうか。
劇場版の字幕をDVDで訂正する作業は、無いに越したことはありませんが、珍しくもない通常業務です。現場でどのような作業が行われたかを証明する人もいない内容で、ウィキペディアに掲載する価値はなく、『修正した』という内容は明らかな誤りです。
この映画は、字幕に誤訳があるためにストーリーが変質し、主演俳優が「腹を立てた」と発言しました。その部分は、プレスシートに明記されており、過去の主演俳優の検証可能な日本語の記事によって語られているのです。
今回の削除は、主演俳優に「言葉が足りない、もう一度発言し直せ」というダメ出しなのでしょうか。
あるいは、『ヴィゴ・モーテンセンのメッセージ』の記事から、『誤訳に関する』の文字を抜けば宜しいでしょうか。そうすれば過去の発言も含むことになります。
私は、記事を何度も投稿してブロックされることを望みません。表の記事に触れることは危険です。多くの見識ある方々に、一つ前の私の文章とこの文章をお読み頂くことを切にお願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年1月9日 (土) 04:31 (UTC)
どなたからもコメントを頂けないので、更に説明を補足させて頂きます。これでブロックされることはないと信じます。
表の記事は、『全く履歴のないウィキペディアに詳しい人物』によって、会話もなく一方的に削除されました。削除された部分は全て検証可能な文章でした。
このページで削除を続けて来た方は、『誤訳を犯した人物』の氏名を『二種類の日本語字幕』という記事で表のページに記載しました。前述の通り、この記事には『修正に失敗した』という事実が欠けています。『監修者』の主張は全く根拠がありません。勝手に併記されている著名作家も現場の作業はしていません。この監修者を『専門家』とする主張は誤りです。『削除を続ける人物』は、この『監修者』とは別人だとノートページで述べています。『削除を続ける人物』は、根拠とするものの正しさを一切証明することが出来ません。つまり『何もない』のです。
この人物の行動が生み出したのは、「誤訳があった」「腹を立てた」という主演俳優の叱責と世界中のファンの方々の怒りだけです。
『プロポーズの誤訳』は、2008年にはすでに誤訳であると証明されていました。映画公開時のプレスシートには『求婚を決意』と書かれており、来日した主演俳優は「プライドゆえに結婚しない」という発言を日本語の記事として残したのです。当然、間違えたのは日本側です。DVDで現在でも確認可能な字幕を見れば、間違いの個所も歴然です。首飾りを売る宝石商が「将来を考えて(の贈り物)」と語り、主人公がそれを肯定しているのです。国立大学の教授も誤りだと発言しています。なぜ、誤訳の記事がウィキペディアでは、これほど排除されるのでしょうか。今回は、「メッセージを伝える場所ではない」という書き込みをして削除されましたが、主演俳優は、『誤訳ではない』というウィキペディアの書き込みに対してメッセージを発したのです。次々と変わるアカウントの方に、このように一方的に削除され続けては対処しきれません。
本来は、『DVDには一か所の誤訳が存在する。主人公はプロポーズを試みない』という記事が、ひっそりと掲載され、それで終っていた話でした。しかし、珍しくもない字幕修正を記事にしたい人物が存在し、それを『大成功』としたいがために事実を捻じ曲げる無謀な削除を続け、主演俳優までが腹を立てたのです。
私はもう一度、コメント依頼を提出するべきでしょうか。
私に過去のメンバーの名を尋ねた管理者の方から、他の管理者の方々に何らかの弁明があったならば、私にも発言の機会を与えて頂きたいと思います。どうぞ力をお貸し下さいますよう、お願い致します。--61.192.170.63 2016年1月12日 (火) 00:37 (UTC)
すみません。上の文章を読んでいて、つい誤字を訂正してしまいました。ノートページだということを忘れていました。悪気や妨害では決してありません。ルールには詳しくなく、発言は無理ですがこのページは読んでいます。お力になれずすみませんが、読んでいる者はいます。--Bompkin会話2016年1月12日 (火) 01:29 (UTC)
ありがとうございました。少なくとも一人の方は読んで下さっていると分かり、勇気づけられました。詳しい経緯は、こちらのブログに纏めています。http://grandesas.exblog.jp/11870355/ 日本のプロのシナリオライターが実名を出して世話役を引き受けているブログです。スペイン語を読めない、何も証明できない『翻訳者』のブログは認めるが、シナリオライターが映画について語るブログに価値はないとして、このブログはウィキペディアの管理者の方から否定されました。しかし、初期からの経緯は詳しく語っています。
なお、DVDの監修者として名前の出ている人物の言葉の信憑性について、証明しなければならないのは、私ではありません。責任があるのは、監修者の言葉を『専門家』としてウィキペディア上で引用した人物です。
現在、表の記事は手を付けられないまま大幅な削除の状態にあります。何度も訂正してブロックされることが怖いからです。記事を育てるために、詳しい方々の助力を求めております。タイトルから『誤訳に関する』の文字を抜けば、誤訳に関する部分の削除を止められるでしょうか。主演俳優のメッセージが、ウィキペディアの問題に対して発せられたものであることは、すでに申し上げました。アドバイスをどうぞ宜しくお願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年1月12日 (火) 23:49 (UTC)

この映画の劇場版字幕は、非常に誤訳の『多い』状態で公開されました。劇場版の誤訳は、正誤表としてこのノートページの冒頭に載っていました。『多い』という言葉を証明するためでしたが、今は削除されています。記入者がブロックされ、正誤表が削除された頃、『誤訳を犯した人物』は自身のブログに、DVDでの字幕修正の監修に雇われたと書き込みました。そして、ウィキペディアに『二種類の日本語字幕』という虚偽の多い記事が書き込まれ、この無名の人物の氏名が掲載されました。

この人物の監修は失敗し、DVDには最大の誤訳が残りました。その事実を認めたくない人物が、ウィキペディアのルールの『言葉』を駆使して、根拠を示せない主張をもとに誤訳の記事を削除し続け、その結果、主演俳優までが発言する事態に至りました。

正誤表の内容については多くを語りませんが、ほとんどがウィキペディアか百科事典にリンクして説明できる人名などの読み間違いでした。欠けはたった一つ、記入者たちがブロックされた為に掲載できなかった『美女を出っ歯と称える誤訳』です。それはなぜかDVDでも訂正されず、現在も誤訳のまま残っています。

正誤表には、問題の『プロポーズしようとした』という誤訳も載っていました。記入者たちも語学が苦手で、劇場版のこの誤訳を持て余していたのです。しかし、記入者たちは、それでは辻褄が合わないということは分かっていました。そのために、質問できるネイティブの方を見つけるか、お金を払って専門の翻訳会社に問題のセリフの翻訳を依頼するか、何とかしようと動いていました。(そして、どちらも実行しました)

『正誤表』はまだ完成していなかったのです。ブロックは早すぎました。もう少しで誤訳は全て解決していたのです。

この誤訳を広める活動は、ウィキペディアの外で、実名を出せる者が受け継いで続いています。ブロックされた初期の記入者たちの感じていた責任も引き継いでいます。初期のメンバーは『プロポーズの誤訳』の証明が遅れたことを悔いているのです。せめて字幕会社に気を付けろと伝えていれば、現場の翻訳担当者が誤った意見に言い負かされることもなかったのです。表の記事に名前を使われている著名な字幕作家さんは、現場で作業をしていません。口を出したとしても、「セビージャではなく一般的にはセビリアだ」等の、直接本人に届いた苦情を伝えただけです。

日本の映画字幕の誤りは数多く、いちいち指摘していては切りがありません。表の記事でも『出っ歯の誤訳』は取り上げていません。『プロポーズの誤訳』は主人公の人格に関わる重大なミスであり、物語全般に影響があるために指摘しています。いわば『宮本武蔵がおつうさんにプロポーズしようとした』というレベルの誤りだからです。

発売されたDVDは回収できません。DVDが出回っている限り、誤訳の指摘は続けなければなりません。これは、『アラトリステ』というスペイン映画を本来の姿で記録するための作業です。宮本武蔵の記事を正しく掲載するのと同じです。配給会社や字幕制作会社は部外者の指摘には無言で耐えます。『誤訳を犯した誰だかも知らない人物』への個人攻撃でもありません。この人物が畑違いの小説の翻訳に関わり、誤字・脱字・脱行まである本を出版させた失敗についても、ウィキペディアでは問題にしていません。

『誤訳に関するヴィゴ・モーテンセンのメッセージ』は、『ウィキペディアに詳しい全く履歴のない人物』によって一方的に削除されました。「メッセージを伝える場ではない」との理由ですが、主演俳優のメッセージは、ウィキペディアに誤った情報が記載されることに対して発せられた言葉です。表の記事が操作された結果、現在は、「主演俳優が誤訳に怒り」「DVDで正しく修正された」という、主演俳優の怒りに油を注ぐ誤った記事が掲載されています。

この問題に関して、コメント依頼を提出しても、どなたからも発言をいただけません。一方的に自分が正しいと主張することは、あらしと断定されるそうですが、反論の意見が書き込まれないのです。こういう場合、私はどうすれば宜しいのでしょうか。管理者の方同士で話し合われたならば、私にも発言の機会を与えて頂きたいと思います。

私が求めているのは、『主人公が買う首飾りはプロポーズのためではない』という、検証可能な文章を表の記事に削除されない形で掲載することと、『二種類の日本語字幕』の記事に『失敗した』という事実を加えることです。とりあえず、再度のコメント依頼を計画しておりますが、それでブロックの対象となることはないと信じます。--61.192.170.63 2016年1月16日 (土) 13:27 (UTC)

一般的に外国映画の日本語字幕は全訳ではありません。観客が読み切れないからと説明され勝ちですが、要は画面が字幕だらけになってしまうのです。セリフの省略は、誤訳の温床です。
『出っ歯の誤訳』は、DVDの字幕を見れば誰でも誤訳と分かるので放置しています。色男が女性を口説くセリフですが、女性の目が『口中の珊瑚と真珠』を照らし出すとなっています。自分の目の輝きが自分の歯を照らす状況をご想像ください。
オリジナルのスペイン語を聞けば(聞くだけで)、このセリフが二つのセンテンスから成ることは明白です。口元を褒めるセリフと、目を褒めるセリフなのです。劇場版の字幕は、それを一つに短縮し過ぎており、DVDでもそれが踏襲されました。DVDの見落としではありません。日本語を日本語で言い換える作業は全てのセリフで行われているからです。
プロポーズの誤訳で『将来を共に』を『将来を考えて』と変えたのも同様です。この主人公は、いつでも戦死する覚悟が出来ている傭兵なので、劇中で「将来なぞ糞くらえ」と語り、実際に戦死して物語が終るのです。引退後の安らかな結婚生活を夢見て、恋人を空約束で束縛する人物ではありません。
DVDの吹き替え版は、原文をチェックしているので、『出っ歯』の部分は正しく修正されています。吹き替え版の字幕作者さんは、監修者に言い負かされなければ、『プロポーズの誤訳』をクリアできたはずだったのです。そうすれば、主演俳優を怒らせるような問題は起こらず、誤訳のないDVDが発売されていたのです。
『アラトリステ』の主人公にプロポーズを決意させてしまったのは、世界中で日本だけです。これは、物語を左右するほどの誤訳です。ウィキペディア以外で否定的な文章を書き込めるレビュー・サイトには、7年も前に誤訳の情報を書き込み済みです。(まだ書き込めるサイトがあったら、ぜひご教示ください)。履歴のないアカウントの人物の一方的な削除に延々と付き合わされてはたまりません。誤訳の記事を掲載した上で、出来ればページを保護して頂きたく、ルールに詳しい方のご協力をお願い致します。今のところは、こうして一方的に訴えさせて頂くしか手がございません。どうか宜しくお願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年1月28日 (木) 22:51 (UTC)
どなたからもコメントを頂けませんので、表の記事の改稿を始めたいと思います。私が表の記事をいじるのを待って「荒らし」としてブロックを計画されている方がおられましたら、この時点で発言して頂きたいと思います。
これからの改稿の内容に疑問をお持ちの方は、どうぞ一方的な削除ではなく、ノートでの議論で記事の完成にご協力ください。多数の方の立ち合いの元で、議論を進めさせて頂きたいと思います。
始めに、いくつかの問題点を整理する必要があります。
私がこの問題に関して意見を述べるのは、ただ単に『アラトリステ』という映画作品が大切だからです。
『プロポーズの誤訳』は証明が可能です。『誤訳ではない』という主張は誤りです。その顛末はこちらの『誤訳の検証ブログ』に詳細に記されています。http://grandesas.exblog.jp/11870355/ まず、このブログを検証可能な記事として認めて頂くことをお願い致します。
このブログの責任者は日本のプロのシナリオライターです。以前に一人の管理者の方から「アニメのライターに、この問題を語る資格はない」と排斥されましたが、実写映画もアニメも、ライターに『差別』はありません。アニメ映画で宜しければ、このライターは映画の仕事もしています。映像関係の仕事で宜しければ実写の経験もあり、証明可能です。
法律でもウィキペディアの規約でも、言葉を濫用して相手を追い払おうとする行為は問題です。根本がミスと勘違いからなる主張が、押し通された場合は尚更です。その言葉には何らかのトリックがあります。『スペイン語を話せないスペイン文学の翻訳者(DVD監修者)』を認めて、シナリオライターを排斥する行為は不自然です。上告するチャンスを与えて頂けないと困ります。
この検証のブログが問題にしているのは、『主人公が買った首飾りはプロポーズのための贈り物ではない』という一点です。
首飾りは主人公の悲恋の象徴として、物語の中で何度も登場します。購入の理由が変わると、物語も変質します。『プロポーズの誤訳』は物語の主題に関わる重大なミスです。この誤訳は流通しているDVDにも受け継がれており、正しい情報を広める必要があります。この一点をひっそりとウィキペディアに記録すれば、それで終っていた話でした。しかし、『誤訳ではない』と主張する人がおり、その人がウィキペディアの規約の言葉を駆使したために、このノート・ページにあるように膨大な文章と時間が費やされ、主演俳優までが発言する事態に至りました。
国立大学のスペイン語学科の教授による誤訳の指摘も、同じ管理者の方によって否定されています。
教授はこのブログを読んで、問題のセリフについて『条件法の取り違え』だとご自身のブログに書いて下さいました。確かにこの教授は映画を見ていらっしゃいませんが、教授に対してお願いしたのは『この映画全体の解釈ウンヌン』ではありません。問題は、一つのセリフの誤訳という一点のみで、教授はその疑問に答えて下さいました。教授が映画を見たかを問題にするのは『論点のすり替え』です。教授がウィキペディアを好きか嫌いかは、それこそ全く無関係です。
『DVD監修者(原作の翻訳者)』のブログは、誤訳について文法的な証明をしていません。『監修者のブログ』として、雇い主は責任を持たないと発言しています。これは『独自研究』であり、ウィキペディアでは認められないはずです。
『検証のブログ』の排斥について、5年前に議論を中断したのは、主演俳優に連絡を取ることを優先したからです。不毛な論争を続けなくても、来日した際にコメントを求め、『プロポーズではない』と日本語の記事で発言してもらえば、それで済む話だからです。時間がかかったのは単に『来日』の機会がなかったからです。ヴィゴ・モーテンセンは発言の依頼を5年間も忘れずに、日本の雑誌からのインタビューの機会を捉えて実行してくれました。(日本に住む記者が、海外の俳優にインタビューする機会はめったにありません。海外の芸能記事は、現地からの配信と翻訳によるものが大半です)
汗をかいて映画を作った方々にとって、大切な作品を字幕のミスで台無しにされることが、どれほどのショックかご想像下さい。以下は『アラトリステ』とは直接の関係がないので、表のページには書きませんが、ヴィゴ・モーテンセンについては、次のような記事が存在します。
この俳優さんは、シナリオが気に入ると新人監督や低予算の映画にも好んで出演する人物ですが、2013年公開のアルゼンチンの映画では自ら英語字幕を担当し、2015年の作品では、設定に重要な関係のある国の字幕について、主役である本人が、尊敬する著名な小説家に字幕監修を依頼したそうです。日本の字幕問題で『腹を立てた』という対象が、これらの記事からも分かります。日本人として本当に申し訳なく、恥ずかしいことだと思います。ちなみにこの俳優さんは数ヶ国語を操り、詩集や画集も出版する才人です。
「ヴィゴ・モーテンセンは、どこが誤訳か話していない」という主張も、揚げ足取りのトリックです。DVDは劇場版のセリフの日本語を、日本語で言い換えただけで、ミスはそのまま引き写しているからです。DVD特有のミスや、主題に関わらない些細な誤訳は初めから問題にしていません。「誤訳の記事など掲載に値しない」という主張もトリックです。『プロポーズの誤訳』は、些細なミスとは別格です。
私は、『検証のブログ』にリンクを張って、表のページで閲覧可能にする気持ちはありません。ブログでは、原作の翻訳本が欠陥のある状態で出版されたことなど、様々な問題に触れているからです。この小説は極端に『翻訳者』の多い本でしたが、少なくとも翻訳自体にミスはなく、本当にスペイン語の翻訳に携わった方々に罪はないからです。他の証拠だけで表のページは構成可能です。
私には、特定の人物のミスを論う気持ちはありません。大切なのはあくまで『アラトリステ』という映画作品です。どこの誰かも知らない赤の他人は範疇にありません。無理な反論を続けなくても、『監修者』はDVDの欠陥に対して損害賠償を求められません。リコールを恐れる配給会社は、ファンと違って、この問題について沈黙で押し通すからです。よく調べずに『監修者』を雇った側にも責任があります。スペイン語を解さない著名な女性に『字幕作家』と名乗る資格があるのは、トラブルの際に責めを負う統括責任者だからです。作業の一端を担ったスタッフがこぞって『我こそは字幕制作者』とウィキペディアに記入し始めたら、どうなるかご想像ください。『監修者』に証明できるのは、DVDのパッケージのスタッフ欄に名前があるという一点だけです。
ただし、私は『二種類の日本語字幕』という記事は削除いたしません。直前に『DVDに誤りがある』という記事が記載できれば十分です。削除か否かは、記事に名前を出されている人物か、記事を掲載した方が判断されるでしょう。
表の記事に書く内容は以下の『要点』だけで十分です。
『日本語字幕の誤訳について、主演俳優が腹を立てたと発言した』『主人公が求婚を決意したと言うプレスシートの記事は誤りである。これは、首飾りを買う場面を”将来を共にするための贈り物”と誤訳したための取り違えだった。首飾りは、結婚を断り、失望させた恋人を宥(なだ)めるためのプレゼントだ』『現在、流通しているDVDでも誤訳は訂正されていない』
掲載したいのは、これだけです。
そもそも初めから『プロポーズの誤訳』には、プレスシートと、主演俳優の日本語のインタビュー記事という検証可能な証拠が揃っていたのです。プロポーズが『誤訳だ』という事実は、初めから証明されており、その掲載を阻止しようとする行動は無謀でした。現在の表のページを放置することは出来ません。『DVDでの修正』が正しいと読める記事は誤りだからです。
そのために、表の記事の改稿を始めさせて頂きます。
なお、管理者の方の不明瞭なジャッジや謎の行動についても、私は問題にはいたしません。私はこの誤訳以外で、ウィキペディアに関わる気持ちはなく、規約にも詳しくないからです。今後は調べ物で利用させて頂くことだけが、私の素朴な願いです。--61.192.170.63 2016年2月17日 (水) 05:36 (UTC)
  •   コメント 監修者のブログは当事者情報ですので、特別な取り扱いがされます(そういう規約があります)。他のブログについては、Wikipediaで情報源として使用できないことが、上の「独自研究の書き込みはお止めください」で説明があります。また、「ヴィゴ・モーテンセンは、どこが誤訳か話していない」のであれば、Wikipediaにおいて氏の発言を特定の誤訳と関連づけることが禁止されます。 --Yhiroyuki会話2016年2月17日 (水) 19:51 (UTC)
Yhiroyukiさん、8年越しで誤訳の記事を掲載して頂きました。ありがとうございました。修正箇所については、ルールを読みつつ書き込んで参ります。これ以上の削除が行われないことを祈るばかりです。
記事中の、『将来を共にするため(の贈り物)と誤訳したために……』という部分に、要出典が貼られていますが、(中学校で習う)『条件法の読み違え』という文章を記入して宜しいでしょうか。スペイン語学科の教授のブログを貼る必要はないと認識しているのですが。
『この誤訳は字幕・吹き替え共に修正されなかった』という部分の出典は、検証可能な日本版のDVDと記入させて頂きます。販売元なども明記いたします。
以下は、ノート・ページへの記録のための文章です。(お答えいただく必要は全くございません)
『監修者/翻訳者』のブログが保護されるというコメントには、異論があります。このブログには、保護されるべきでない部分もあるからです。個人攻撃は避けて来ましたが、この際ですので記録させて頂きます。
まず、『(旧)二種類の日本語字幕』は書き込むほどの事件ではない記事ですが、この記事を掲載したアカウントの方に、この内容を書くことは本来、不可能でした。参考にした『監修者/翻訳者』のブログに、記事のような文章は存在しないからです。身辺の出来事を常にぼかして書くのは、『監修者/翻訳者』さんの癖なのでしょう。皮肉なことに、ご本人が必要な時にも言質が取れないのです。
『監修者/翻訳者』のブログには、問題の字幕が誤訳ではないという文章も存在しません。自分の犯した誤訳は『他の部分だ』と書いているだけで、文法的な証明も皆無です。DVDの発売直後に、ファンがこのブログに書き込んだ細かい誤訳の指摘は、ブログ主によって削除されました。
『監修者/翻訳者』なる人物は、ウィキペディアが無条件で受け入れる『識者』『専門家』ではありません。この人物の『翻訳者』はあくまで自称です。『翻訳者』の部分まで保護の対象となることは、言葉のトリックです。
『監修者/翻訳者』のブログには、あからさまな嘘は書かれていませんが、その分、事実が非常に薄いのです。大半は、既成の『スペイン王家の系譜』などを、ほとんど出典を示さずにコラム風にまとめた読み物です。スペイン語を知らないという文章は、数年間に及ぶ記事の中で一か所だけでしたが、これがあれば確かに嘘つきにはなりません。原作小説に関する記事は、後述の日本語原稿によるものです。
この人物の本来の仕事は、小説に非常に多く掲載されている『注釈』の収集だったのです。これならば、集めた日本語の情報を、日本語で言い換えれば使用可能となります。故に、この人物は『翻訳の専門家』ではありません。
ブログの中での会話の相手は、映画化で興味を持った主演俳優のファン達でした。この仕事に関する限り、数年間で一度も、仕事仲間との会話がありません。監修者を雇った総元締めである配給会社でも「誰、それ?」と言われ、説明に苦労したほど、人との繋がりの薄い人物です。字幕監修で打ち合わせた人物についても、誰だったかは伏せています。著名な字幕作家さんと会ったという記述もありません。これはつまり、ブログの正しさを証明する仲間がいない。全て本人の『主観による事実』=『独自研究』だということです。
このブログで分かることは、実際にスペイン語の翻訳に携わった方から、日本語の原稿を入手し、それに手を加えた結果、誤字・脱字・脱行まである欠陥本を出版してしまったということです。PCから送信した原稿が、そのまま印刷原稿になることを知ってか知らずか、ぎりぎりで送った様子ですが、誤字・脱字が発覚してから『校正!』と騒ぎ始める等、プロではありません。たとえ大学を出ていても、畑違いのことに手を出せば『素人』です。ウィキペディアが無条件に受け入れて良い『専門家』ではありません。
ちなみに本当にスペイン語の翻訳を担当された方は本来はスペイン在住で、他に翻訳や出版の経験があることが分かっています。初期の頃には何人もの方が『我こそは翻訳者』というブログを公開していましたが、欠陥のある本が出版された頃には、現在の一人を除いて全員が音信不通になってしまいました。せめてDVDの字幕修正までは、仕事を続けて頂きたかったものです。スペイン語が分かる方が監修に参加していれば、誤訳は生まれなかったと残念でなりません。
映画の問題で、この人物が『専門家』と名乗れるのは、『監修』としてパッケージに名前があるという点だけです。著名な字幕作家さんがスペイン語を話せないことは明白な事実です。もし、同様にスペイン語を話せない素人に仕事を丸投げしたなら、字幕会社の大失態です。『(旧)二種類の日本語字幕』とは、そういう不完全な記事です。
『監修者』という名目しか許さなかった字幕会社は、書籍の場合と違って、やはりプロでした。『監修者』に証明できるのは、作家にアドバイスをしたということだけです。仮に自分で名乗っていても、翻訳の専門家でも、字幕の専門家でもありません。保証する人が誰もいません。たとえ全てのセリフ(字幕)の日本語を言い換える作業を行っていても、字幕は、あくまで統括責任者である字幕作家さんのものです。誤訳があるという事実は消せないのですから、黙って字幕作家さんに全てを負ってもらうべきでしょう。あくまでも共同で字幕を制作したと主張するなら、それを証明しなければならないのは、『監修者/翻訳者』さんか、記入したアカウントの人物です。
個人攻撃は嫌だといいながら、結局、書いてしまいました。原作の翻訳小説については、原作者に恩も義理もないので、ウィキペディアでは問題にしていません。『監修者/翻訳者』さんには、そちらの書き込みだけで満足して頂きたいと、切にお願い致します。
この長い文章をお読みいただいた皆様、ありがとうございました。ただ、まだ削除されないと決まったわけではありません。その節には宜しくお願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年2月18日 (木) 12:29 (UTC)
  • こんにちは。61.192.170.63さんの2016年2月17日 (水) 16:29 (UTC) の編集を拝見しましたけれども、これは独自研究にあたるので、61.192.170.63さんの加筆内容を直截に裏づける情報源が提示されなければ、いずれ除去することになります。情報源というのは即ち、「主人公が求婚を決意したと言うプレスシートの記事は誤りである。これは、首飾りを買う場面を”将来を共にするための贈り物”と誤訳したための取り違えだった。首飾りは、結婚を断り、失望させた恋人を宥(なだ)めるためのプレゼントだ」という趣旨のことを加筆したいなら、それと同じ趣旨のことが書かれた文献を提示しなければいけない、ということです。その情報源は、配給会社、本編の翻訳者、字幕監修者、あるいはマスコミなど、どれが公表したものであっても基本的には大丈夫だと思います。けれども、本作のDVD、プレスシート、柳原孝敦さんのブログの3つを出典として提示された場合、それは特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成となるので、ウィキペディアには掲載できません。
  • 映画関連で例を1つ挙げると、『チャッピー』は日本公開に際して一部の場面がカットされたそうです。そのことが現時点のチャッピー (映画)#公開に書かれているのは、あくまでも、その内容を直接的かつ明示的に裏づける情報源(ソニー・ピクチャーズのウェブサイトやTwitter公式アカウント)が示されているからです。同様に『アラトリステ』に関しても、誤訳の場面や台詞について具体的にウィキペディアに加筆したいなら、誤訳の場面や台詞について具体的に指摘している文献をまず用意せねばなりません。ウィキペディアは出典ありきの世界です。「否定的な文章」を加筆しようとされているのですから、よりいっそうの慎重さが求められることは言うまでもありません。
  • meta:User talk:61.192.170.63でのコメントを拝見しました。61.192.170.63さんが杉原めぐみさんが世話役を務めるブログの開設者であるということは分かりましたが、基本的に61.192.170.63さんがウィキペディアの外で何をしているのかは関知しません。ただ、少なくともウィキペディアが世の中に先んじて物事を発信する場ではないという点は理解していただきたいと思います。--153.204.177.76 2016年2月18日 (木) 17:47 (UTC)
皆さま、コメントをありがとうございました。大勢の方が読んで下さっていたことが分かりました。
『アラトリステ』という作品は、出だしから不幸な運命を背負っていました。素人の方々が原作小説を集団で翻訳しようとした熱意までは良かったのですが、その中で注釈を担当した人物の『押し』が強く、翻訳された原稿の日本語を日本語で言い換えることで、自分の翻訳作品だと言い出したのです。それでも、完全な編集がなされれば良かったのですが、結果として欠陥本が生まれてしまいました。この方は更に、不十分だった映画字幕にも口を出し、最大の誤訳を見逃して、DVDを欠陥の状態で発売させてしまいました。
誤解を恐れずに言うならば、8年間、ウィキペディアの誤訳の情報を削除し続けているのは、そのご本人です。
私たちファンは、DVDが不完全で、鑑賞の際には注意が必要だという情報を発信したいだけです。それでなくても、日本人にとって馴染みの薄いスペインの歴史ものであるこの映画は、難解なのです。(長尺を理由に、公開前に一時間近くカットされるという憂き目にもあっています)
私たちファンの目的は、『押し』の強い人物の糾弾ではありません。赤の他人のことなど、私たちはどうでもいいのです。大切なのは『アラトリステ』という作品だけです。
要出典の部分については、情報を整える努力を続けます。ただ、それをするということは、この『赤の他人』を現実社会で糾弾するということでもあるのです。それは、ウィキペディアで誤訳を指摘するよりも、この方にとって大きなダメージとなるはずです。
あなたは『アラトリステ』に対して、ひどいことをしてきました。ウィキペディアのルールに詳しいことは分かりましたが、自分の罪を隠そうとする愚かな行為は、もうやめて下さい。
今の私の願いは、皆様に掲載して頂いた記事を『削除するな』ということです。編集途中でも要出典付きで掲載されている記事は、たくさんあるはずです。可能ならばページの保護を申請し、皆様に見守って頂きたいと思います。ありがとうございました。--61.192.170.63 2016年2月19日 (金) 00:32 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。まず、上のコメントでは、61.192.170.63さんが誰と誰を同一人物だと考えているのか分かりにくいです。固有名詞を出さず、根拠も提示しない。これでは議論のしようがありません。また、仮にウィキペディアの利用者の誰かが『アラトリステ』の日本での配給に関わっている人物だったとしても、61.192.170.63さんの2016年2月17日 (水) 16:29 (UTC) の編集のような独自研究を本記事に記載してよいことにはならないです。実際、今日に至るまで、誤訳に関する記述は複数の利用者によって除去されてきました。61.192.170.63さんの加筆に対して、複数の利用者が「独自研究である」「情報源が示されていない」と指摘しているわけです。本件に関連してCoinntoさんが立ち上げたWikipedia:井戸端/subj/翻訳と「独自研究」についてを見ても、ウィキペディアに独自研究は載せないということで大方の意見が一致していることは分かると思います。ウィキペディアに参加するなら、ウィキペディアの方針は守らなければいけません。
  • いずれにせよ、61.192.170.63さんがウィキペディアの利用者の誰かを『アラトリステ』の日本での配給に関わっている人物だと考えるなら、まず、その利用者の会話ページでWikipedia:自分自身の記事をつくらないのガイドラインを案内して、対話を試みるべきでしょう。それでも問題行動が改善されない、納得のいく返答が得られなかった、第三者の意見を募りたい。そんなときは、利用者の行為についてのコメント依頼を提出してください。このノートページは、あくまでも記事の編集について議論する場所であって、利用者の行為について議論する場所ではありません。
  • 61.192.170.63さんにとっては、「ウィキペディアで誤訳を指摘するよりも、この方にとって大きなダメージとなるはず」だという「この『赤の他人』を現実社会で糾弾するということ」が、「情報を整える努力」である。そういう見解だということで間違いないですか。出典に則した記述へと書き換えるつもりがないなら、いくら待っても仕方ないので、今すぐにでも除去いたします。「DVDが不完全で、鑑賞の際には注意が必要だという情報を発信したい」場合、「DVDが不完全で、鑑賞の際には注意が必要だ」と書いてある文献を提示してください。Wikipedia:独自研究は載せないの方針に書いてあるように、「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません」。--153.205.171.205 2016年2月21日 (日) 11:35 (UTC)
ありがとうございました。ウィキペディアのルールを全て学んでから話さない私に問題があることは自覚しております。申し訳ございません。ただ、『翻訳者/監修者』のブログに、保護に値しない部分があるという点については、ご再考をお願い申し上げます。
私が指摘しているアカウントの人物については、「自分は『翻訳者/監修者』ではない」という内容の言葉が、このページの冒頭付近に存在します。この人物が他人だと主張し、プロポーズは『誤訳ではない』とする嘘に反論を重ねる形で、このノート・ページの長い文章は展開して参りました。
『翻訳者/監修者』本人については、最初に当該のブログに書き込みを行ったファンからの誤訳の指摘は削除され、コメントも拒否されましたので、会話は成立しません。
『アカウントの人物』と表現しているのは Uniontourさんですが、全てが匿名で、ログイン場所を変えれば別人になれるという状況で、その指摘は無意味でしょう。最近の文章で『翻訳者/監修者』と書いているのは『DVDで誤訳を犯した人物』で、氏名は表のページに記載されている加藤晃生さんです。表のページで引用されている加藤晃生さんのブログが、『DVD字幕監修者のブログ』とされているが、それを保証する人物はおらず、本来は『翻訳者のブログ』であるが、実は加藤氏は『翻訳者とは名ばかり』であるという、複雑な経緯のために呼称が変化してしまいました。
最近の私の文章は、Uniontourさんと『翻訳者/監修者』を同一人物と断定しています。引用元のブログ記事にない『ブログ主の脳内の知識』で表の記事を書いているためですが、独断は陳謝いたします。
また、『翻訳者/監修者』は『自分が翻訳した』という言葉は使用していませんでした。『翻訳本の奥付の翻訳者欄に名前がある』というように、他人が思い込むのは勝手だという手法に終始しています。
しかし、本来ならば、書籍とDVDを欠陥の状態で世に出した本人が、ブログやウィキペディアに『間違えた』と書き込むべきでしょう。『リコールを恐れて無言で通す』のは企業であって、アマチュアのこの人物が正直に語るのを止める人はいません。汚名を被るのは責任者である著名な字幕作家さんの役目です。
『翻訳者/監修者』さんが認めるべきは、劇場版の『プロポーズの誤訳』を見落とし、DVDに継承させてしまったことです。(書籍に関しては問題にしていません)。
『監修者』さんへ。言葉のトリックや削除に終始せずに、あなた自身が表のページに『DVDの誤訳』を書き込むことは、どうしても出来ませんか?
『アラトリステ』は、ファンにとっては大切な作品ですが、あなたにとって、嘘をつき、こうして晒されてまで、『誤訳ではない』と虚勢を張る理由とは何なのでしょう。
『アラトリステ』原作のスペイン語を実際に翻訳した女性は、自分の翻訳原稿をこの人物が日本語で書き直し始めた時点で抗議するべきでした。押しの強い強面の男性が怖かったとしても、横取りを許したこの女性は間違っていました。
コピペに近い文章でも、構成と日本語表現を変えて『別物』として発表する人はいます。スペインの古い時代の衣装などについて、原作の翻訳本に加えた『注釈』は、まさにそれだったのでしょう。
小説部分の翻訳文の日本語による言い換えは、構成を変える手間もなく一行ごと一語ごとの書き換えとなります。その作業を行い、『自分の作品』と主張し始めた人物を、この女性が止めていれば、DVDが欠陥品になる事態には至らなかったのです。
主演俳優は、出来る範囲で私たちファンの依頼に応えてくれました。『言葉が足りなかった』と再度の発言をお願いするのも恐縮なので、いずれ実現する『来日』の前に、問題を解決しなければなりません。そのためにも、皆様が指摘された形式で、文章を世に出す作業を始めたいと思います。現在の表の記事は削除せず、しばらくお待ち頂きたくお願い致します。
幸いと言いますか、『翻訳者/監修者』さんは最近、所属していた大きな団体を離れました。この人物への糾弾によって、無関係な団体まで巻き込む恐れはなくなりました。
公表する原稿については、自分でルールも調べておりますが、素人の思い込みは『不十分・独自研究』と指摘されてしまいます。詳しい皆様に、このページで事前にチェックをお願いできると、本当にありがたく思います。
現在の不明点は、以下の通りです。
・署名記事である必要はあるか。その場合は、シナリオライターの杉原めぐみで良いか。
・コラム程度の文章でも良いか。
・誤訳の説明は、『条件法の取り違えで、意味が逆転した』だけで良いか。(教授のお名前の掲載が可能かは未知数なので)
・誤訳を犯した人物として、一般人である『翻訳者/監修者』の氏名を記載すべきか。
・例えば『業界紙』のように、読者が限られる出版物なら目立たないが、それは可か。あくまで全国出版であることが必要か。
これらは『今のところの不明点』です。例えば『"アラトリステ"は数々の不幸を背負った映画だった。DVDでもそれは収まらず……』というように、コラム風な小文で、誤訳について語るだけで宜しいでしょうか。
確保できる記事のスペースもまだ分かりませんので、とりあえず、これらについてお教え頂けますと、とても助かります。
勝手なお願いではありますが、どうか宜しくお願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年2月22日 (月) 16:22 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。61.192.170.63さんが加藤晃生さんとUniontourさんを同一人物だと考えていることは分かりました。けれども、Uniontourさんの編集に何らかの問題があると考えるなら、ここではなく利用者‐会話:Uniontourで質問あるいは警告してください。それでも改善が見られないようなら、利用者の行為についてのコメント依頼を提出してください。このノートページは、誰かを告発したり糾弾したりする場所ではありません。ましてや、同一人物であるとする根拠も示さずに「『監修者』さんへ」と呼びかけたり「この女性は間違っていました」と非難したりするのは論外です。61.192.170.63さんが今後も記事の編集と直接には関係のない発言をここで続けるなら、ノートページの目的外利用と判断します。
  • 誤訳の箇所を具体的に指摘している文献が提示されないなら、加藤晃生さんとUniontourさんが同一人物であろうとなかろうと、誤訳の箇所を具体的に指摘するような加筆は認められません。逆に言えば、誤訳の箇所を具体的に指摘している文献が提示されるなら、加藤晃生さんとUniontourさんが同一人物であろうとなかろうと、あるいは『アラトリステ』の日本での配給に関わった組織や人物が何と言おうと、中立的な観点に沿って、誤訳の箇所を具体的に指摘するような加筆は認められる可能性がある、ということです。
  • 61.192.170.63さんの2016年2月17日 (水) 16:29 (UTC) の編集については、独自研究の問題点を解消していただけなかったので、除去しました。ウィキペディアに書き込んでから公表、ではなく、公表してからウィキペディアに書き込む、という流れだと理解してください。また、公表された場合でも、それが出典として十分かどうかは内容次第だったり媒体次第だったりするので、一概には言えません。出典の提示にあたっては、関連するウィキペディアの方針とガイドラインの文書を利用者‐会話:61.192.170.63に案内しておきましたので、それらを一通り読めば「不明点」は解決されると思います。--153.173.19.150 2016年2月22日 (月) 22:00 (UTC)
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